禅林寺
山号を聖衆来迎山
院号を無量寿院と称する

永観堂と呼ばれるようになった謂れは
第七代住持
永観による

真言宗の寺院であった禅林寺を
阿弥陀信者であり
日課一万遍の念仏を唱える永観は
やがて浄土宗の寺へと変えてゆく

永観は人々に念仏を勧めたと云う

万人を救うとされる阿弥陀
その教えを実践し
寺内に薬王院を建立
病人救済を行ったと
伝えられている

本尊は阿弥陀如来像

顔を左へ向けた特異な姿の如来像であるが
これには
逸話が残っている

永観和尚が念仏を唱え
阿弥陀如来像の周囲を行道した折
阿弥陀如来が須弥壇から下りてきて
一緒に行道を始めたという
これに驚いたのは永観和尚
歩みを止め暫し見入る
その和尚に
阿弥陀如来は振り返り
「永観遅し」と言ったとか

そのまま如来像に戻った阿弥陀如来
しかし、振り返った姿そのままに
像は今でも横を向いているという

久しぶりに訪れた永観堂の写真を紹介
最後にちょっとした豆知識
永観、今日では「えいかん」と読むが
正確には「ようかん」と読むそうな
禅林寺が永観堂と誤って読まれ
更に、読み方も違っているという
山号を聖衆来迎山
院号を無量寿院と称する

永観堂と呼ばれるようになった謂れは
第七代住持
永観による

真言宗の寺院であった禅林寺を
阿弥陀信者であり
日課一万遍の念仏を唱える永観は
やがて浄土宗の寺へと変えてゆく

永観は人々に念仏を勧めたと云う

万人を救うとされる阿弥陀
その教えを実践し
寺内に薬王院を建立
病人救済を行ったと
伝えられている

本尊は阿弥陀如来像

顔を左へ向けた特異な姿の如来像であるが
これには
逸話が残っている

永観和尚が念仏を唱え
阿弥陀如来像の周囲を行道した折
阿弥陀如来が須弥壇から下りてきて
一緒に行道を始めたという
これに驚いたのは永観和尚
歩みを止め暫し見入る
その和尚に
阿弥陀如来は振り返り
「永観遅し」と言ったとか

そのまま如来像に戻った阿弥陀如来
しかし、振り返った姿そのままに
像は今でも横を向いているという

久しぶりに訪れた永観堂の写真を紹介
最後にちょっとした豆知識
永観、今日では「えいかん」と読むが
正確には「ようかん」と読むそうな
禅林寺が永観堂と誤って読まれ
更に、読み方も違っているという
