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雪だるま倶楽部

日々を離れ
日常から脱却した世界
そんな風景を切り取っています

永観堂

2012年01月30日 | 京都散策
禅林寺
山号を聖衆来迎山
院号を無量寿院と称する



永観堂と呼ばれるようになった謂れは
第七代住持
永観による



真言宗の寺院であった禅林寺を
阿弥陀信者であり
日課一万遍の念仏を唱える永観は
やがて浄土宗の寺へと変えてゆく



永観は人々に念仏を勧めたと云う



万人を救うとされる阿弥陀
その教えを実践し
寺内に薬王院を建立
病人救済を行ったと
伝えられている



本尊は阿弥陀如来像



顔を左へ向けた特異な姿の如来像であるが
これには
逸話が残っている



永観和尚が念仏を唱え
阿弥陀如来像の周囲を行道した折
阿弥陀如来が須弥壇から下りてきて
一緒に行道を始めたという
これに驚いたのは永観和尚
歩みを止め暫し見入る
その和尚に
阿弥陀如来は振り返り
「永観遅し」と言ったとか



そのまま如来像に戻った阿弥陀如来
しかし、振り返った姿そのままに
像は今でも横を向いているという



久しぶりに訪れた永観堂の写真を紹介
最後にちょっとした豆知識
永観、今日では「えいかん」と読むが
正確には「ようかん」と読むそうな
禅林寺が永観堂と誤って読まれ
更に、読み方も違っているという

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天寿庵

2012年01月26日 | 京都散策
無関普門



生まれは信濃の国
越後国に在る
正円寺という寺で
出家した僧である



青年の頃は
関東地方
北越地方を活動の舞台とし





臨済宗の僧として
講席を遊歴したという



京の地を踏んだのは
40代に入ってから
東福寺の円爾に参禅した後は
宋へと10年の修行の旅に出る



帰国の後
70代で東福寺の住持となった



亀山上皇の離宮に出没していたとされる
妖怪を降伏したなどという伝説もつ
南禅寺第1世



無関普門の塔所がここ
天寿庵



秋の頃は
なお美しい
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南禅院方丈

2012年01月24日 | 京都散策
方丈



方丈前の枯山水庭園
小堀遠州作とも伝えられている



御所を下賜されて造営されたと伝えられる





どうも
諸説あるようで
旧御所清涼殿を移築とも
女院御所の対面御殿とも
云われている



南禅寺境内の最奥
山麓に立つため
早朝は薄暗い



紅葉する木々も
あくまでしっとりと



静かに
しっとりと



拝観順路に従い
虎の子渡しの庭に戻る頃には
山裾を超えて日差しが入り込んでいた



やはり
紅葉は日差しの下が美しい
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南禅院

2012年01月22日 | 京都散策
南禅院



南禅寺は此処で興ったとされている



平安の世が終り
鎌倉に日本の中枢が移動した
鎌倉時代になってから出生した
亀山天皇





即位中に
元寇を体験することとなった天皇である



また
鎌倉幕府との軋轢で
辛酸をなめている



正応2年出家



南禅院は
出家の折の住まい



自ら造作したと伝わる庭園



暫し佇んで
法皇が眺めたであろう景色を楽しんだ
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南禅寺

2012年01月20日 | そうだお金を使わずに京都を巡ろう
そうだお金を使わずに京都を巡ろう







瑞龍山太平興国南禅禅寺



境内が美しく染まる季節がやってきたと
喜び勇んで訪れた秋の南禅寺



白川通りから東へ
ほうら見えてきた



「絶景かな」
楼門五三桐



たしかに絶景だ



早朝のころ
まだ少し静かな境内



ようおいでやした



蹴上の山間の隙間から
太陽の日差しが入り込むと



紅葉した木々の葉が
赤く輝いた

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大原 参道

2012年01月18日 | そうだお金を使わずに京都を巡ろう
古くは
「おはら」と称された



日本海
若狭と
京都の地を結んだ鯖街道の宿のひとつ



「京は遠ても十八里」
そういう声が今でも聞こえてきそうである



鯖街道を行き交う
商人や旅人で賑わい
叡山に近かったことから
寺院も建立された





それでも
昭和の時代になるまでは
長閑な山間盆地の農村地であった



昨今の京都ブームで
訪れる人も増えた



参道の土産物屋のあんずちゃん



今日は人は多いかい?

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三千院

2012年01月16日 | 京都散策
最澄が円融房を
叡山の地に建立したのは延暦年間の事



自刻の薬師如来像を本尊として安置
現在の大原の地へと移るまでは
転々と移転を繰り返していた



そこに至り
風景を眺めている限り
長い年月を感じさせられるが
この地に移転し
三千院と呼ばれるようになったのは
そんなに昔の事ではない



大原の地に円融房が移転し



三千院あるいは
三千院門跡と称されるようになったのは
明治時代になってからなのだ



そんな筈はない
そう言いたくなるのが
宸殿から先の風景



それも
その筈



往生極楽院は
三千院がこの地へと移転するずっと前
平安時代末期から
阿弥陀堂としてこの地に在った



苔のじゅうたんを見ながら散策すると



よう
お参りに来られた
地蔵さまにそう呟かれた
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実光院

2012年01月14日 | 京都散策
一つ前の記事で紹介した
勝林院の塔頭子院



客殿で拝観料に含まれる抹茶を頂き
静かに鑑賞するのがこちらの庭園を愛でる方法





旧普賢院の庭園
池泉観賞式庭園



抹茶を楽しみ
庭園を鑑賞したのなら
回遊してみたくなる
こちらは
庭園を回遊できるのが嬉しい





庭園のほぼ中央に
秋の頃
一際目を引くのは不断桜



住職自らが造作した庭園



この時期見られる桜に感謝しつつ



庭園美を堪能
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勝林院

2012年01月12日 | 京都散策
大原問答



顕真と法然との宗論の事である



時は文治2年
場所は
大原勝林院





その時
どのような論法が行われ
どういう結論に達したのか
残る書籍の文章を
蒸留して一粒のエキスにすると



当来の世に経道滅尽せんに
われ慈悲をもって哀愍し
特にこの経を留めて
止住すること百歳せん



一日一夜に及んだ宗論



この場所に臨んだ
多くの僧侶たちの思い



この勝林院を訪れる時



聞こえてきそうな気がする
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宝泉院

2012年01月10日 | 京都散策
大原
古くは「おはら」とも呼ばれ
漢字では小原とも表記された
高野川を遡った先
山間の小さな盆地



三千院で有名なこの地の
参道の一番奥
勝林院の僧房として
宝泉院は創建されている



盤桓園



立ち去り難く
訪れた人の心に訴える



ある
タクシー運転手が連れてきた観光客に
この庭園を
まるで額縁のように鑑賞できると説明し
やがて額縁風に見立てる庭園として



いつしか
額縁庭園とも呼ばれるようになった



拝観料には一服の茶席代も含まれており
毛氈に坐し
この庭園を眺めるのも一興



紅葉には少し早かったが



庭園を愛でるには
丁度良い
そんな時期の参拝だった

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法然院

2012年01月07日 | そうだお金を使わずに京都を巡ろう
善気山法然院萬無教寺

日の出と共に
山門の門は開かれる



大文字山の山麓に
ひっそりと庵を結んだ
六時礼讃行を修した草庵



阿弥陀仏の誓い
「南無阿弥陀仏」



念仏を唱えたなら
死後は身分の上下なく
平等に往生できるという



専修念仏の教え



サンスクリット語では
buddha-anusmRti

仏陀に対すし帰敬し讃嘆し礼拝する



黒谷上人とも
吉水上人とも称された法然上人



偉人の謚号は数多く
慧光菩薩
華頂尊者
通明国師
天下上人無極道心者
光照大士



この地で
修行を為さったとか

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源光庵

2012年01月05日 | 京都散策
京都市中で
最初に紅葉が始まるのはいつも鷹峯
訪れたのは11月中旬であったが
例年よりも紅葉の進み具合は遅く
存外青葉の拝観となった



鷹峯の寺院
曹洞宗
山号は鷹峰山
といえば
鷹峰山寶樹林源光庵





血天井と
悟りと迷いの窓で有名な寺院





開基と言える建立ではなく
大徳寺二代住持
徹翁義亨が隠居処として
山中に庵を結んだのが始まりである



当然
臨済宗の関連としての草庵であり
当初は復古堂と呼ばれたいたが



やがて
荒廃したのちは
江戸時代になって
卍山道白により
曹洞宗に改宗している



迷い
悟りが欲しければ訪れよ



幾多の迷いを見てきた窓は
何かを伝えてくれるかもしれない
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高山寺

2012年01月03日 | 京都散策


奈良時代の頃より
ここは山岳修行の地であった



度賀尾寺
都賀尾坊
などと称される
小寺院が建っていた



寺院としての形態を保つのは
神護寺の別院と称されるようになり
神護寺十無尽院と呼ばれるようになったらの事



高山寺と呼ばれるようになるのは
更に後の世の事で
鎌倉時代の僧
明恵房高弁の折



明恵房高弁が実質的な開基とされている



建永元年
後鳥羽上皇から栂尾の地を下賜された明恵房高弁



小寺院をまとめ
日出先照高山之寺と称した



京の町からは離れていたが
それでも度重なる戦火で伽藍は焼失し
現存するのは石水院のみ



紅葉の風景には少し早かったが
荘厳な雰囲気を醸し出す境内を
存分に巡った

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西明寺

2012年01月01日 | 京都散策
2012年
昨年は多くの方に拙い記事を一読いただき
感謝に堪えない一年でした
また新しい一年が訪れ
旧年に変わらぬご愛顧を頂ければ幸いです


今年最初の記事は
例年通り
時期外れの紅葉の写真となった








弘法大師空海には多くの弟子が居た



弘法大師が入定したのは
承和2年の事
それから43年の後
元慶2年
高弟のひとりが朝廷に
本朝真言宗伝法阿闍梨師資付法次第の事を言上



それによると
後に弘法大師十大弟子と称される弟子の名が連ねられている



真済
真雅
実恵
道雄
円明
真如
杲隣
泰範
智泉
忠延



後にと記したのは
空海が弘法大師の称号を賜るのは
延喜21年
醍醐天皇の治世下であったからである



話が逸れた
高弟の話だった

高弟の一人、智泉大徳は
母親が弘法大師空海の姉と伝えられる
所縁の深い人物である



肥前松浦から出航した遣唐使船に
入唐留学僧として渡唐した弘法大師空海が乗船したのは有名な話だが
どうやら
智泉は侍者として
同行したらしいのだ



おそらく
2年後の帰国の際には同行していただろう
そして
入京が許され
高尾山寺に入った時も
随行していただろう



そんな弘法大師とも高尾山とも所縁の深い智泉大徳が
神護寺の別院として建立したと伝えられているのがここ西明寺



普段はひっそりとしているのだが
秋のころは
少々小忙しくなる

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