雪だるま倶楽部

日々を離れ
日常から脱却した世界
そんな風景を切り取っています

四日市市立博物館2

2019年10月03日 | 三重散策
四日市市は?
と聞かれて最も思い出されるのが公害であろう



四日市という地名を世に知らしめたのが
残念ながら公害の街という認識である



古くは街道筋の町で
豊かな自然に抱かれた集落の集まりであったろう





それが
何時のころからか
工場が林立し



周囲は工場労働者の街が形成された



高度経済成長という名の時代が過ぎ



豊かさと引き換えに



公害が街を覆う



そんな歴史があった街である

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四日市市立博物館1

2019年09月29日 | 三重散策
近鉄四日市駅の西側
そらんぼ四日市ビルにある博物館
5階にはプラネタリウム
4階は特別展示エリアだが
3階、2階は常設展示があり
無料で見学できる



3階は四日市の歴史のコーナー



四日市周辺は弥生時代のころより人が住み着き



室町時代ともなると
四日の市が開かれ



これが四日市の名前の由来ともなる



江戸時代には東海道四日市宿で賑わい



この地方特産の



ハマグリで多くの往来客をもてなしたという



その歴史が
立体的に再現されている



訪れると
つい、ハマグリが食べたくなる



続く
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寶珠山大観音寺

2019年09月26日 | 三重散策
先に紹介したルーブル彫刻美術館は
こちら寶珠山大観音寺の敷地内に存在する



有名なB級スポットと記したが
それは
こちらの観音寺が



B級要素満載であるからである



拝観料は美術館と共通で2,000円



共通権なら
こちらの寺院受付で
干支に因んだ護符(般若心経が掘込まれたコイン)が授与される



境内に立ち入れば
B級の意味を体言できる





マイク片手の観音様



金運
弘法大師の釜



33mにもなる
金色の観音様



仏の手



河童たちや



ネコのオーケストラ



興味がある方は訪れてみるといいだろう
公共交通機関なら近鉄大阪名古屋線
榊原温泉口駅から徒歩10分程度である
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ルーブル彫刻美術館

2019年09月23日 | 三重散策
三重県で有名なB級観光スポット



ルーブル彫刻美術館を訪れた



美術館は
奥に控える寶珠山大観音寺の境内に立地



珍しいもの好きの者たちの聖地



とはいっても
こちらの美術館



ルーブル美術館から
正式な許可を得ている美術館である



こちらのロゼッタストーンや



ハンムラビ法典などは



レプリカなのだが





本物と寸分互い無い



精巧さを保ち





見る者に感動すら与える





二層に別れた展示場には



美術史に多大な影響を与えた彫刻物が
所狭しと



展示されている

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旧長谷川邸

2019年03月04日 | 三重散策
木綿を商いとしていた豪商



先の記事で
松坂商人と記したが
正式には
伊勢と松坂の商人を
総称して伊勢商人と呼ぶ



広大な敷地と



多くの屋敷が点在する



こちらの屋敷



土日祝日
無料で一般公開されている





広大な敷地を巡り
伊勢商人の豪商ぶりに触れる



見所は多い

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松阪商人の館

2019年02月27日 | 三重散策
小津清左衛門の邸宅



江戸に出店を構え



紙や木綿を手広く商いした
松坂を代表する豪商の屋敷である



外観から想像できないほど
邸内は広い



屋敷内には土蔵も二棟あり





在りし日の豪商振りが想像できる



大規模なお竈さんが
この屋敷で多くの人が暮らしていたことも教えてくれる



日本三大商人の一つである



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御城番屋敷

2019年02月25日 | 三重散策
松坂城のすぐお膝元



江戸時代末期の武士の住宅が残されている



この屋敷は
紀州藩から遣わされていた紀州藩士が



藩命に抗議して20名が脱藩



6年後に
紀州藩主の直臣として帰参を許され



松坂御城番職に就いた折
松坂城南東の三の丸に
藩士とその家族の住居として新築された組屋敷が
現在も残されているのである



そのうちの一軒が観光目的で一般公開されている



他の屋敷には表札があり



今でも民家として使用されている


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本居宣長旧宅

2019年02月22日 | 三重散策
本居宣長が
12歳から72歳で没するまで
60年間にわたって暮らした家が残されている



元は城下町にあった屋敷を
明治42年に保存を目的として
松阪城跡の現在地に移築されている



通称、鈴屋



最もこの屋敷全体を指す呼び名ではなく
建物二階の書斎を指す名である



木綿商の息子だった本居宣長だが
医業を志



この屋敷で多くの患者を治療したという





屋敷の隣には
彼の足跡を保存する
資料館も併設されている



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松坂城

2019年02月20日 | 三重散策
元は蒲生氏郷が
松ヶ島城の城下町に発展性が無いと判断し



新たに築城をしたのが松坂城である



蒲生氏郷はその後
陸奥国会津へと大封し



その後は
服部一忠
古田重勝
と、主を変える



現在、松坂城は城郭のみが残っており
敷地内には歴史民族資料館と
後で紹介する本居宣長資料館が建っている



さて
話は戻って江戸時代初期



古田重勝没後
弟の古田重治が統治するが
石見国浜田城に転封となり



以後は紀州藩の統治下となる



天守は残念ながら
正保元年に台風で倒壊



再建されることはなかった

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四天王寺

2016年08月24日 | 三重散策
三重県の津市にも



推古天皇の勅願により
聖徳太子が建立した寺があった



四天王寺とは
守屋大連との戦で三度負けた聖徳太子が



四天王尊像を刻み



戦に勝てれば
寺塔建立すると祈願し



祈願叶って
建立された4つの寺



その一つが
こちらだそうだ



国道23号から
西へ通り一つ隔てた場所に建ち



土田御前の墓所として
ひっそりと佇んでいる

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津城

2016年08月19日 | 三重散策
三重県津市丸之内に
かつて存在した城



別名
安濃津城と称する



江戸時代初期に
藤堂高虎が城郭を改修したと伝えられている



輪郭式の平城



明治維新まで
藤堂家の居城であった



天守は
関ヶ原の戦いの前哨戦で焼失し



以後
再建されなかったとされていたが



近年の研究で
寛永年間の資料に
天守が描かれた絵図が見つかり



寛文年間に再度焼失し
以後は再建されなかったというのが定説となった

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おはらい町

2015年11月13日 | 三重散策


宇治橋から五十鈴川に沿って



石畳の参道が続く



通りの左右には
様々な店が軒を連ね



詣でる人を労う



距離は約800m



切妻・入母屋・妻入の木造建築



景観は見事で



へーベルハウスが点在してしまった
どこぞの宿場町よりはらしい風景が広がっている



参拝の後は
おはらい町を



歩くのが定番

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内宮

2015年11月11日 | 三重散策
皇大神宮



祭神は
天照坐皇大御神



光華明彩しく
六合の内に
照り徹らせり



2000千年の昔より



五十鈴川の畔に鎮座



正宮
別宮
摂社
末社
所管社
全てで125の宮社



その中心へ



5500haの敷地は



すべて神域

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六華苑 洋館

2015年08月31日 | 三重散策
六華苑の洋館は
Josiah Conderが設計



40年を超える月日を日本で過ごしたが



この六華苑は
彼の晩年の作品となった



ヴィクトリア朝様式



Josiah Conderが設計した建築物は
ほぼ東京に限られているのだが



この六華苑の洋館だけが



唯一例外的に
首都圏以外に建つ



諸戸清六という人物の



人脈の広さを
屋敷は語っているようだ

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六華苑 和館

2015年08月29日 | 三重散策
明治の終わりから
大正にかけこの屋敷は造営された



モダンという言葉が流行り



和洋折衷は屋敷にも及んだ



六華苑と名付けられた
この館も
和館と洋館を併せもつ



和館は
伊藤末次郎が棟梁を務め
大正元年に完成



廊下は館を巡るように
ぐるりと配し
また、板廊下と畳廊下で
家人と女中で廊下を使い分けている



手前から奥の間へと
床面積が広がる設計といい



格式を重んじた家主であったろうと
建物からも想像できる



次回は洋館を紹介

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