雪だるま倶楽部

日々を離れ
日常から脱却した世界
そんな風景を切り取っています

神護寺

2007年11月02日 | 京都散策
三尾の名刹最後の寺は神護寺

西明寺から更に5分程度先へと進むと神護寺への参道(階段)が見えてきます

    

神護寺は元々、神願寺と高雄山寺という2つの寺院が天長元年に合併してできた寺
寺号は「神護国祚真言寺」
神護寺と呼ばれているのは、寺の根本史料の「神護寺略記」や国宝の「文覚上人四十五箇条起請文」などにも「神護寺」と書かれているからです

唐から帰朝した空海が14年間住持していたことでも知られている寺院ですね

神護寺は 愛宕山山系の高雄山の中腹に位置する山岳寺院
だから参道も石段
石段を登り始めて最初の曲がり角まで着くころにはもう息が切れそう
曲がって坂道

    

途中の茶店の誘惑が...

ここから先が最後の石段
石段の下から眺める楼門
江戸初期の建立

楓が被い茂り紅葉の季節は最高の景色を見せてくれます

    

段々と近づいてくる楼門

    

雪だるまとしてはこのアングルが好み

参拝客がちらほら通りますので、撮影のタイミングが難しい

    

楼門から先は拝観料が必要です

    

楼門から先は山寺とは思えないほどの広い空間が待っています

先にも書きましたが、神護寺は「神願寺」と「高雄山寺」が合併して出来た寺院です

神願寺も高雄山寺も和気清麻呂の私寺

和気清麻呂の墓所が今の神護寺境内にあるので和気氏ゆかりの寺院であることは確からしいのですが、創立の時期や事情についてはよく判っていません

一つの説としては、洛北の鷹ヶ峯にあった愛宕権現を愛宕山に移座した際に、他のいくつかの山岳寺院とともに建立されたというものがあります

        

弘仁3年に空海が高雄山寺に住し、ここで灌頂を行った
この時、灌頂を受けた者の氏名を書き付けた空海自筆の灌頂歴名が現存
そこには「高雄山寺」の寺号があることから高雄山寺が神護寺の前身ではないかなと思います

    

神護寺は空海が居た時期は盛隆を極めますが、その後荒廃
寿永3年、文覚が源頼朝の援助のもとに再興

    

    

寺号の「神護国祚真言寺」とは
「八幡神の加護により国家鎮護を祈念する真言の寺」という意味があるそうす

    

    
コメント (3)
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