波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

東京に放たれた白黒茶々氏

2023-06-10 01:10:08 | 一人旅

こんばんは、白黒茶々です。

甥っ子たちの結婚式の3日後となる5月17日は、私は仕事関係の用事で東京に行くことになっていました。 その行事は、東京都港区にあるいろんな意味で高いホテルでおこなわれるのですけど、それは夕方からということもあって、午前は通常通りに仕事をしていきました。

………ということで、やって来ましたよ こちらは浜松駅の新幹線口で、その地元企業のスズキのブースには、アルトなどが飾ってあります。 このような感じで、新大阪駅ダイハツ車広島駅ではマツダ車が出迎えてくれるのですよね。

さらに、浜松の代表的な産業でもある楽器会社の河合楽器の高級なピアノも置いてありました。 YAMAHAと交互に出展していて、自由に弾くことができるストリートピアノとなっています。 しかし、私にはそれを奏でる腕はありません。

それはさておき、今回はこの浜松駅から新幹線に乗っていくのですよ たまにこちらに止まるひかり号に乗れば、1時間18分で品川駅に着いてしまうのですけど、その間に寝るのはもったいないですよね。

富士川を渡っているところで、富士山が見えてきましたよ 日曜日とはうって変わって、この日は晴れ。いや、東京は30℃まで上がるみたいで、晴れを通り越して炎天下になりそうです。 それよりも、私がこのあたりを通る際に富士山が見える確率は、ほぼ100パーセントということに。 そして、14時半頃に品川駅に着いたのですけど、この日の用事まで時間が有り余っていますよ。 そうしたら、タクシーで直接ホテルに行かないで、その近くにある増上寺の前で降ろしてもらうことにしましょう。 そのお寺は翌日の朝に見学する予定なのですけど、先に見ておけばその日のスケジュールに余裕ができます。

う~む……… 思いっきり逆光ですね。 これでは増上寺さんが実力を出し切る(?)ことができないので、次の日に出直してくることにしましょう。 そして、こちらから歩いて8分程で………

目的地となる、ザ・プリンスパークタワー東京にたどり着きましたよ こちらでの式典は、コロナ禍で中止になったり他の社員(母や姉)が行ったりしたこともあって、私にとっては7年ぶりとなります。

その式典の受付が始まるのは16時半。 それまで客室でくつろぐことにしましょう。 それにしても、豪華な部屋ですね。 朝までここで過ごしたいのですけど……… ダメですよね。

とかなんとかやっているうちに、受付の時間となりました。 今回の目的は、こちらのホテルでおこなわれるタイヤメーカーの横浜ゴムによる感謝式であります。

全国から、そのメーカーの商品をある程度売り上げたお店が招待されたのですけど、その数は350余り。 横浜ゴムの社長や重役からの挨拶や、優秀なお店の表彰、名前の読み上げなどを経てから………

(私にとっては)お楽しみの懇親会の時間となりました 結婚式から舌の根も乾かないうちに、ご馳走にありつけるなんて ちなみにこちらは、前菜の青菜とうす揚げのお浸し白身魚南蛮漬け桜豆腐・山葵・蟹甲餡鰊旨煮・山椒卸し和えにございます。

続いて、メインディッシュとなる松花堂弁当の、シャルキュトリーシーザーサラダバロンティンチキンとチキンコンフィマッシュポテトと温野菜添え(長い )、茸入りトマトソース銀鮭西京焼き海老袱紗(ふくさ)玉子栗甘露煮青唐鰻蒲焼き焼き豆腐結び白滝桜麩であります。

さらに御飯&汁物の、穴子焼きちらし小丼香の物二種味噌汁が出てきました。

締めのデザートは、ガトーショコラ・マスカルポーネクリームフルーツとアプリコットソースですね。 それらの他に、刺身のお造りと豆菓子の盛り合わせも出てきたのですけど、それらは先に食べちゃって……… いや、写真に撮れませんでした。

そのような中で「ヨコハマタイヤのイメージキャラクターでもある、吉岡里帆さんからメッセージがあります」というので、本人が登場することを期待していたのですけど、ビデオでの出演でした。 しかも、彼女の隣にはアイスガード7でお馴染みのウルトラセブンがいて「ジョワッ 」とか言っていましたし。

その代わりといってはナンですけど、出し物としてサンドアートが用意されていました。 その道の方が、音楽が流れる中で、砂で絵を描いたり消したり付け加えたりして、それらを紡いでいくと1つの物語になるのですよね。 しかもその中に、さりげなくタイヤを書き加えるという心憎い演出もしてくれましたし。

それらが終わったら、私は客室に戻りました。  その部屋の位置が反対側で東京タワービューとはいきませんでしたけど、12階から見る都会の夜景は綺麗でした。 それから夜が明けて………

これはホテルの吹き抜けを下から見上げた図です。 その最上階となる33階には、ビュッフェ形式のレストランがあって………

私はそこでモーニングをいただきました あ、オムレツは目の前でコックさんに焼いてもらいました。 種類が豊富なうえにどれも美味しそうで、目移りしてしまうのですけど、この歳になると限界があるのですよね。 なので、今回は量を盛るよりも、なるべく絞ることに重点を置いて……… って、それでも多いですって? 実はすべて平らげてからも、シリアルとケーキをいただく程の勢いがあったので、大丈夫です。

そのレストランからは、近くの東京タワーを俯瞰することができました。 この日は平日の木曜日で、実は東京見物をするためにまる1日休みをもらっていたのですよ 私にとって東京は、4月の日本スピッツ協会の展覧会(本部展)以来なのですけど、今回はワンコ連れではないので、より小回りが利きます。 そのようにして、東京に放たれた田舎者が最初に向かったところは………

ホテルから歩いて6分程の芝公園の中にある、芝東照宮でした。 東照宮は東照大権現こと徳川家康公を祀った神社のことで、実はこちらにも由緒ある東照宮があったのですよ

芝東照宮は、家康公が亡くなった翌年の元和3年(1617年)に増上寺の境内に創建されました。 しかし、絢爛豪華な拝殿などの建物は昭和20年(1945年)の太平洋戦争の空襲で焼失してしまい………

昭和44年(1969年)に、かつて本殿があったあたりに現在の社殿が建てられました。 こちらには、家康公の存命中に彫られた等身大の座像が御神体として祀られています。 その東照宮を参拝したら………

増上寺に向かうのですけど、その間にあるこちらの門をスルーしてはいけません この建物は、台徳院霊廟の惣門です。台徳院は徳川2代将軍秀忠のことで、彼を祀った霊廟は戦災で焼失してしまったのですけど、惣門は焼け残りました。その後、曳家によって現在の場所に移されました。

そして、ようやく増上寺に行き着きましたよ 朱色がまばゆい建物は三解脱門で、元和8年(1622年)に建立されました。 その門を潜っていくと………

東京タワーを背負った(?)大殿がどど~んと、聳え立っています。 増上寺は明徳四年(1393年)、酉誉聖聰(ゆうよしょうそう)上人によって開かれました。 その後徳川家の菩提寺となり、慶長3年(1598年)に現在の芝の地に移転。 その後規模を拡大していき、最盛期には境内は現在の東京タワーや芝公園を含む一体にまで及びました。 しかし、戦災によって多くの伽藍を失い、昭和49年(1974年)に大殿が再建されました。 その裏のほうには………

徳川将軍家墓所があります。 徳川将軍の2代秀忠、5代綱吉、7代家継、9代家重、12代家慶、14代家茂はかつては広大な境内に点在する霊廟に祀られていたのですけど、戦後になって彼らはこの場所に改葬されました。 それだけではなく、彼らの正室の崇源院お江)、静寛院和宮)なども含めた38人が祀られているのですけど、まだお詣りできる時間になっていませんでした。 私は増上寺を出てから西のほうに歩いていき………

今度は煌びやかな門に差し掛かりました。 こちらは有章院霊廟の二天門であります。有章院は7代将軍家継のことで、彼は4歳で将軍職に就いたのですけど、8歳(いずれも数え年)で逝去。 亡骸は増上寺に葬られ、霊廟は戦災で焼失したのですけど、二天門は現存しています。

さらに、都営地下鉄三田線御成門駅の近くには、その名もズバリ御成門がひっそりと立っています。 もともと増上寺の裏門だったのですけど、徳川将軍が参拝する際によく用いられたことから「御成門」と呼ばれるようになりました。 明治25年(1882年)に、現在地に移築。 貴重な遺構なのですけど、文化財の指定は受けてなくて、所々に損傷が見られます。
そんな御成門を仰ぎ見てから、私は御成門駅で地下鉄に乗っていきました。これから私の東京見物はより本格化していくのですけど、何が飛び出てくるのかは楽しみにしていてくださいませ


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