波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

今、世の中は古墳ブーム?(三河田原歴史散歩その1)

2019-05-22 01:33:13 | お出かけ
こんばんは、白黒茶々です。
最近、新聞にこのような記事が載りました。 私はかなり前に、その近くを通ったことぐらいしかないのですけど………



大阪府堺市の仁徳天皇陵(大山古墳)を中心とした百舌鳥古墳群と、羽曳野市と藤井寺市にまたがる古市古墳群が、世界文化遺産に登録されることになったのです 古墳が世界遺産になるのは初めてのことで、そのことによって古墳への関心は高まることと思います。 そういう私はもともと古墳が、いや、正確にはその石室が好きだったのですけど、その洞穴熱に火がついてしまいました。

………という前フリにしたかったのですけど、正直に言ってしまうと、今回の話は4月下旬のことになるので、こじつけ感は拭いきれないのですよ。 とにかく、その頃に私は、まだ行ったことのない古墳を検索していったら、愛知県の田原市にいくつか点在していることを知りました。 三河田原といえば、1万2千石の小藩・三宅氏の居城だった田原城や、縄文時代後末期・晩期の遺跡の吉胡貝塚があるところですよね。 ウチからは車で1時間ほどの距離なのですけど、8年前に行って以来となっていました。
さらに同市内には、私が以前から気になっていた加と茶という喫茶店があって、調べたらそこのモーニングセットが美味しそうときたもんだ こうなったら、歴史犬の運命をたどることになったも連れて、朝から田原市内に行くしかありません



………ということで、やって来ましたよ 私の目の前にある建物は、看板からもわかるのですけど、加と茶にございます。 風見鶏が乗った曲線の屋根にレンガ張りの壁で、とてもおしゃれですね。 そういえば、私がこのお店のことを知ったのは、「ナニコレ珍百景」で昔やっていた「怒りの珍百景」というコーナーからでした。 店名は有名人の加藤茶さんからパクったのでは?という疑惑があり、番組の調査員が店主に聞いてみたら……… もとは加藤茶屋という名前だったのですけど、代替わりする際に短縮して現在の店名になったとのこと。 実は私も加藤姓なので、加藤さん割引きや加藤さん特典みたいなものはあるのでしょうか? とにかく、今回はこちらでモーニングを食べることからすべてが始まるので、さっそく突入させていただきます



そ、そんな……… (この日の)日曜日でもやっていることは、前もって確認してあったのに……… 臨時休業なのですけど、こうなることは想定していませんでした。テンションを上げて挑んだ三河田原の歴史散歩は、いきなりつまずいてしまいました。 とにかく、お腹が空きました。こちらの他に、近くでモーニングサービスをやっているお店は 大急ぎで検索してみたら………



権現の森の入口にある、こちらのこーひー家茶苑さんに行き当たりました。 外観はおしゃれで、まわりの森林とマッチしておりますね。 波と狛には車の中で待機してもらって……… 今から私は朝の朝食モーニングを食べてくるので、ちょっと待っていてくださいませ。



その店内には、このような格言が すでに広まっているのかも知れませんけど、私のツボにハマり、つい「うん、うん」と言いながら読んでいってしまいました。 そうしているうちに………



先ほど注文しておいたモーニングセットが出てきましたよ こちらはレギュラーで、ドリンク(茶苑ブレンド・420円)の代金だけで、こだわり十穀パンのトースト、サラダ、ゆで玉子、ビスケットが付いてきました。 さらにドリンク代に課金をすれば、よりデラックスにすることもできるのですよ たまにこのようなお店でモーニングをいただくと、ちょっとリッチな気分に浸ることができるので、いいですね。
お腹も心も満たされた私は、波狛ちゃとともにこの日最初の史跡となる、新美古墳に向かいました。 しかし、それがあると思われるあたりを通っても、案内看板みたいなものはなかったので、かなり右往左往してしまいました。 そのような動きをしつつも………



ようやく古墳に続いているような雰囲気を出している脇道を見つけました。 ところが、今度はその近くに車を止めておけるようなスペースがなかったので、またしても右往左往するハメに。 そして、ちょっと離れた所に車を置いていき、波と狛を引き連れて、ようやくこの日最初となる新美古墳に迫っていきました。



………あれ?スマホのGPS機能によると、このあたりに古墳があるハズなのですけど。 かなり怪しいところに入ってきてしまいました。いや、よく見てみたら向こうにその説明看板の裏っ側みたいなものがあるので、そちらに回ってみましょう。 そうしたら………



あった、ありましたよ 新美古墳が。藪の中で石室の口を開けている様子は、昔私の実家の近くにあった防空壕に似ていて、いずれのものも怪しい雰囲気がありありでした。



まずは、古墳に到達したことを記念して、波狛写真を撮っておきましょう。 ここで、手短に新美古墳の説明をさせていただきます。 こちらの古墳は6世紀末までに築造され、7世紀中葉まで追葬がおこなわれていたと考えられています。直径20m、高さ3mほどの円墳で、昭和45年(1970年)の発掘で、須恵器、鉄鋌、刀子、耳環が発見されました。
時季によってはカマドウマがいるという情報もあるのですけど、それぐらいのことはなんのその。 いよいよその石室の内部に入りますよ



おおっ 中は意外と広いですね。 断面が台形となっていて、天井も高いです。



狛にとっては初めての古墳の石室となるのですけど、私に引っ張ってこられてもイヤイヤすることもなく入ってきてくれました。 それよりも、カマドウマはどうだったかって?そういえば、気にはなりませんでした。 その日はいなかったのか?それとも私が気付かなかったのか?いずれにしても、今度見かけるようなことがあったら、皆さまには自主規制(モザイク処理)したものを公開いたします。



この日2つ目の古墳は、こちらの神明社の境内にあります。 今度は範囲が限られているので、難なくたどり着けるでしょう。ところが、私がアタリを付けて回ってみた社殿の裏側には、そのようなものはなく、またしても右往左往してしまいました。 こうなったら、先に行った方のレポートや写真を検索し、そこから正確な位置を読み取るしかありません。 そうしたら………



社殿の脇にある鳥居のトンネルを潜っていき、その先の「稲荷社」なるものの裏側に古墳があるみたいですけど、果たして………



おおっ これこれ、この古墳ですよ 石室に続く羨道は消滅してしまったのですけど、なんとなくその面影は残っています。ただし、その穴も木の柵で塞がれていました。



………とはいっても、ガッチガチに守られているというワケではなく、柵の間には人が通れないこともないぐらいの隙間が。 また「カメラが飛んでいって、勝手に石室の内部の写真を撮ってきた」ってヤツをやりましょうか?



いや、こちらは神域ですし「カメラに私と波狛ちゃたちもついてきた」と続く見え見えの行為はやめておきます。 それに、柵の間からでも、その内部の様子は撮影できますし。といったところで改めまして、こちらはその名もズバリの神明社古墳で、6世紀中葉から後期のあたりに築造されたとされています。さらに、渥美半島における初期の大型横穴式石室であります。



あともう1ヵ所、よろしいでしょうか? その古墳は、田原が生んだ幕末の先覚者・渡辺崋山の菩提寺でもある城宝寺にあり、そのお寺の外からもよく見えるので、こちらでは私が右往左往することはありません。 門構えからして立派な城宝寺に入っていった右側には………



渥美半島で最大級の横穴式石室をもつとされる、城宝寺古墳が残っています。 後世に削られたこともあって、墳丘の形は変わっていて、さらに現在はその上には弁天堂が建っています。それよりも、先ほどの神明社古墳より柵が頑丈に張られているので、潜り込むのは諦めなければなりません。



それでも、その石室からは洞穴特有の冷気が出ていて、波と狛はこれまでの散策で熱を帯びていたこともあって、心地良さそうでした。



それから、柵の間から石室の内部を覗いたり撮影したりすることはできました。 こちらの古墳は、6世紀末頃に築造されたと推測されています。早い年代から口を開けていたこともあって、副葬品は残っていません。その一方で修行の場としても使われていて、弘法大師(空海)は37歳の時にこの中で護摩行をやったそうです。 その流れからでしょうか?現在はその奥に石仏が安置されています。

今回の田原市の古墳レポートは、この3点で終わらせていただきます。 外から覗くだけというものもありましたけど、やはりあの石室独特の雰囲気はいいですね。 といったところで、次回は一気に江戸時代にまでワープし、田原城や渡辺崋山に関連したところを散策させていただきます。


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 ドラゴンクエストだったら、新美古墳のような洞穴ではかなりの確率で格闘することになるなぁ……… と、ついそっち方面に行ってしまった方は、こちらに投票してやってください。
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