波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

黒姉さんとの出逢いと別れ

2014-06-28 00:20:59 | ニャンコ
こんばんは、白黒茶々です。
今回は、白黒茶々家の黒のことを書かせてください。彼女は、箔が来る7ヶ月ほど前にウチの子になった黒猫です。



黒猫とはいっても、正確には濃い焦げ茶で、真っ黒よりはやさしい色合いとなっています。それに加えて下毛は白いので、毛をかき分けると不思議な感じに。さらに縞模様もかかっているので、単純な黒ではないのです。 それから体には余分な贅肉はなく、全体的にしまっていました。すらっと伸びたマズルと耳、まっすぐに長い尻尾も、なかなかのものです。

私たちが黒と出逢ったのは、今から10年ほど前の平成14年秋のことでした。その日は小雨が降っていて、そのような中でお腹をすかせた痩せた黒い仔猫が、白黒茶々家に助けを求めてきたのです。そこにいた箔母さんとたつぴはその仔猫を保護し、食べ物を与えました。それだけにとどまらず、彼女らは「この仔猫も飼いたい」と言い出したのですけど………
その頃ウチには先住猫の茶々がいて、彼女の世話係だった私は、それ以上ペットが増えることに難色を示しました。その後は「面倒を見るのは、里親が見つかるまでだに」という条件でいちおう了解はしたのですけど………
それから1ヵ月も経ったら、私まで情が移ってしまい、彼女のことを手離せなくなってしまいました。このようにして黒は、晴れてウチの子になったのです。



しかし、茶々姉さんはなかなか黒のことを受け入れず、彼女を「シャー 」と激しく威嚇したりしました。 それでも黒は動じたりしないで、普通に接していました。 そんな粘り強さが通じたのか、数年経ってようやく茶々姉さんは黒のことを認めるようになりました。



ウチに来てから、人前では決して怒る姿を見せたことのない黒でしたけど、箔が新たな家族としてやって来たときには、彼女にとっては得体の知れない白くてモコモコのその生命体に、初めて「シャー 」と威嚇を浴びせました。 それでも、やがて彼女は箔のことを受け入れるようになりました。



やがて茶々姉さんが遠くの世界に旅立ち、若い銀や京がやって来たら、立場は逆転してしまいます。今度は黒のほうが後輩猫たちを受け入れられず、彼女らが近付こうものなら、吐くほど怒ったりしました。 それでも、その抵抗感は数ヵ月後にはおさまりました。



銀と京は仲良しになり、冬の寒い時季にはストーブの前で仲良く寄り添ったりしていたのですけど、黒だけはあぶれていました。3ニャンの間に多少距離感があるのは、ご愛敬ということで。



そんな黒に異変が起き始めたのは、今年のGWの頃だったと思います。元気や食欲はあるのに、徐々に痩せてきたのです。さすがに心配になって、動物病院に連れていったら、もともと身体の中にあるウィルスが原因で、腎機能や肝機能が著しく低下していると言われました。それだけではなく、病状が進行していて余命幾ばくもないとも。
やがて黒は食べ物を受け付けないようになり、点滴で養分を補給しても日に日に衰弱していきました。もう治る見込みがないのなら、私たちは現実を受け入れ、できるだけ黒と一緒にいる時間を大事にしていこうと決意しました。
彼女の体重は以前の半分ほどまで減り、歩くのもやっとの状態になってしまいました。それでも、誰も目を背けたりしませんでした。

そのような中で、箔母さんは「黒ぽんが外に出たがっていたから、庭に放してあげたよ」と、その日あったことを話してくれました。「お日さまを浴びたり、草の匂いをかいだりして、昔のことを思い出しているみたいだったよ」黒ちゃ、よかったね。「それで、飛んでいる蝶々を追いかけようとしたんだけど、体が付いていけなくて」私は「もうあまり長くないなら『これはムリだろう』ということでも、黒ちゃの好きなようにやらせてあげて………」と言いかけたのですけど、そこから先は声になりませんでした。

そのような状況の中で、波を迎えにけいママさん家に行く日がやって来ました。 当初は箔母さんも一緒に行きたがっていたのですけど、黒の容態があまりよくなくて「今日は一緒にいてあげたい」ということで、私とたつぴが箔を伴って赴くことにしました。けいママさんには申し訳ないのですけど、その日の私は波と出逢う高揚感と黒のことを心配する気持ちが交差していて、浮き沈みが激しかったです。私の携帯にメールが入ったら、そのたびに黒に何かあったのでは?と落ち着かなかったりも。
黒ちゃ、せめて新しい家族として波を紹介するまで、ウチにとどまっていてくれ。私はそう願い、布袋大仏に黒のことをお願いしてから、帰路を急ぎました。



「ただいま 黒ちゃの様子はどお?」帰るなり、箔母さんにそう聞いたら「元気だよ」と。黒にはまだ、弱々しくもアゴを持ち上げるくらいの力は残っていました。おかげで、そんな彼女を傍らに寝かせて、波と一緒に記念撮影……… というか、同じフレーム内に納めることができました。

その後も黒の容態は芳しくなく、夜は箔母さんが同じ布団の上で寝て、たまに起きては彼女の様子をうかがったりていました。その晩は私も気になって、なかなか寝付けませんでした。

その翌朝、箔母さんは「今日は仕事休んでいい?」と、私に聞いてきました。「職場に『休みたい』って言えば、休めるモンなの?」「それが、なかなかそうはいかないんだよね。まさか『飼っている猫が死にそうだから、休ませてくれ』なんて言えないし………」「何にしても、今日は仕事にならないら?」「そうなのよ」そうしたら、もう仮病しかありません。私は箔母さんの上司の方に電話をして、彼女が風邪で熱を出してその日は仕事に行けないということにしておいて、なんとか承諾を得ました。しかし、私は仕事をサボるワケにはいきません。辛うじて息をしている黒を撫で、箔母さんには「じゃあ、黒ちゃと一緒にいる時間を大切にして」と言い残して、家を出ました。

その日の午後、箔母さんからメールが来ました。「黒ぽんが、虹の橋を渡りました」それは、黒の最期を伝えるものでした。その日はたつぴの中学校では防災時の引き渡し訓練があって、たまたま彼はいつもより早く家に帰ることになったそうです。その帰宅直後の6月16日15時9分に、箔母さんとたつぴに見守られながら、黒は旅立っていきました。10歳と2ヵ月ほどの生涯でした。

黒は、色やキャラクターからしてかなり地味な存在でしたけど、知らず知らずのうちに私たちの中では大きな存在になっていました。私や箔母さん、それにたつびも、今は心にぽっかりと大きな穴が空いています。この喪失感みたいなものは、時間が経てば埋まっていくのでしょうか?



黒ちゃ、ウチに来てくれて、ウチの子になってくれて本当にありがとう。わずか20時間ほどでしたけど、波とも家族になれるように頑張ってくれて、ありがとう。黒のことは、ずっと忘れません。これからも、私たちのことを遠くから見守っていてください。
もし生まれ変わったら、今度はもっと長生きしてくださいね。到らぬ家庭ですけど、そんなウチでもよかったら、また逢いに来てください。


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コメント (34)
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