沖縄 8 Scene

沖縄で生まれ沖縄に生きる
      8郎家の日記

成長と感動の4年間

2023年01月11日 | 学童野球

 愛息10郎の学童野球4年間(現時点では3年10カ月)の総決算となる最後の市大会Y杯に出場してきました。県大会出場の夢は果たせなかったので、せめて最後の市大会くらいは「有終のV」を飾ろうと意気込んだものの、結果から言うと2回戦負けでした。しかも相手は過去3度の対戦で1度も勝てていない強豪MYさん。悔しかったですがMYさんだけに納得しましたね、やはりうちのほうが弱かったんだ、と(笑)。MYさんは投手層も厚く守りも固い素晴らしいチームでした。うちのチームなら簡単にヒットにしてしまう(泣)イージーゴロ、フライを確実にアウトにしてピッチャーを助けていましたね。その差が大きかったです。何を言ってももう終わりです。この大会で10郎ら6年生は実質退団となりますので(卒業まで練習には参加します)。

 負けたとはいえ、最後の記念大会なので以下に経過を報告させていただきます。

 下写真は大会初日1月7月の幻想的な朝焼けです。

 ついでに翌8日夜の満月も1枚アップします(我が家の絶景テラスから撮影)。1月の満月はアメリカ先住民の間ではウルフムーン🐺(狼月)と呼ばれているようです。沖縄に狼はいないので、そんなのカンケーねぇ!

 本題に入ります。下写真は試合前に子供たちが気合を入れるシーンです。学童野球最後の大会ということで掛け声に勢いはあったけど、県大会の出場権はないという事実からか緊張感はさほどなかったね。8郎はこの時点で「優勝する見込みは薄い」と直感しました。。。

 1回戦は6年生が少数のTRさん。予想通りコールド勝ちでした。10郎は勝負を避けられ2打席とも四球(前回対戦でセンター越え90㍍級のホームランを打ったからでしょう)。ダブルヘッダーの次戦に備え登板もなしでしたが、もちろん盗塁、ファーストでの好守備で勝利に貢献しました。

 そして運命の2回戦MY戦。「調子はいい」と意気込んで先発した10郎、コントロールは定まっていたので不安はありませんでした。ただし「置きにいくボール」が増えているのだけが気になりました。先頭バッターを力で打ち取ったと思ったらライト前にポテンヒット(泣)。2番は空振り三振に仕留めたものの、3番左バッターにコツンと当てられ1塁線を破られます。そう速い当たりではなかったのでファーストには止めてもらいたかったのですが、体が重いのか反応すらできません(完全に練習不足だね)。そのうえ、ライトが後逸し(この球場はぼこぼこなので責められませんが)、結果ランニングホームランとなり2点を先制されます(うそだろ~!泣)。過去3年10カ月で何度も見てきたシーンです。最後の最後でこのようなプレーを見せられると、このチームの真のレベルを見せつけられたようで、前会長として「県大会出場」などと軽々しく言ってはいけなかったのかと反省しましたよ。10郎は3回3分の1を投げ70球超、失点2、被安打3、四球3、奪三振3の結果でした(正直、被安打は多くても1、自責点ゼロですよ!)。

 チームの打棒も振るいませんでした。相手MYは1回戦で40球ほど投げたエースM君を最終回まで温存し、2番手、3番手投手を出してきたのですが、うちのチームはまたも打てません(素振りが足りん!)。10郎も第1打席で、「追い込まれるまで絶対に手を出すな」と8郎が口酸っぱく言ってきたスローボールに手を出し内野ゴロ。2打席目はフルカウントからの見逃し三振。先制されていたので塁に出てかき回そうと思ったようですが、そこは最後の大会、空振り覚悟でフルスイングしてほしかったなぁ。最終回の3打席目、抑えとして出てきたエースM君との対決では、内角のストレートをぼてぼての内野ゴロ。俊足を生かして何とかヒットにしたのですが、打ち負けてましたね。次の打者がファウルフライを打ち上げて試合終了。0対3で、前回に続き完封負けでした。有終のVはもちろん、MYさんへのリベンジすらなりませんでした。

 うちは弱かった、という現実を見せつけられたためか、悔しさよりあきらめ感が強かったですね。MYさんとのここ2試合で、通算9イニング4人の投手を相手に1点も取れなかったのですから。。。例え10郎が抑えても、10郎がホームランを打たなければ勝てなかった、ということになります。

 

 悔しいですが、これが野球です。人生と一緒で、練習してきたことがすべてうまく行くとは限らないのです。相手だって練習しているし、向上しているからです。しかし、それでもあきらめずに他人より努力を積み重ねていけば、きっと結果が出るときが来る。努力した人だけに野球の神様は微笑んでくれます。

 と、4年間頑張った息子にエールを送りたいと思います。

 

 4年間を振り返りると親としても感慨深いものがあります。入団時から身長は40㌢以上伸びました(驚)。公式戦で11本のホームランを打ちました。エースを任された5年生からは市内では誰よりもえぐいストレートを投げてきました(コントロールはともかくね。笑)。これからもまっすぐで押すピッチャーを目指してほしい。コントロールで勝負、打たせて取るなんていう勘違いしたピッチャーになってほしくない(スピードボールに挑戦しなかったただの言い訳ですから。打たせて取る、なんて他力本願すぎます)。コントロールなんて自分のフォームを完成すれば後から付いてくる! 自分の体で投げられる最高のストレートを常に追求してほしいのです。ラスト大会での最高球速は速度計がない球場だったので分かりませんが、「勝手に親ばか体感測定」(笑)で120㌔+αとします🔥 実際にもう投げられると思いますよ。

 いつかの思い出に、入団当時2019年4月7日の記事をアップしておきます。ブログ内の写真を見ると当時8歳10郎のほっぺと、今はもうボロボロのローリングスのグローブがまだつやっつやですね。当時の期待感を上回る成長と感動の3年10カ月でした。また、8郎が当時のクサレ社長のいやがらせ人事で現在の部署に異動してきた年でもあったと、記事が教えてくれました。野球と資格試験に注力できるライフスタイルを実現できた現部署にも感謝です。クサレ社長の完敗ですね。

 

息子のグローブ - 沖縄 8 Scene

新しい部署での引継ぎ作業のため残業中だった8郎に妻からLINEが届きました。LINEには愛息10郎のこのようなりりしい姿が添付されていました。10郎、ついに地元...

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 何度も書いてきたけれど、、、

 野球と息子よ、本当にありがとう。

 

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 と、感傷的になったところですが、10郎個人としての学童野球はまだ終わりではありません。以前にもお伝えした通り10郎はU市選抜に選ばれたので、県内16地区から選ばれた選抜チームが集う3月の大会(美●島大会というようです)へ向けて合同練習が始まるのです。これまではライバルだった他チームのメンバーと今度は仲間になって県優勝を目指すことになります。とても刺激的で10郎は楽しみにしています。同じく選出されたN君との左バッターコンビは市内でも最強の「NJ砲」(笑)だと勝手に思っているので、出れなかった県大会以上のレベルとなる選抜大会で旋風を巻き起こしてほしいと思います。

 8郎家ではこの選抜大会を、同じ時期に日米で開催されるWBC(ワールドベースボールクラシック)になぞらえ、OBC(沖縄学童ベースボールクラシック)と名を付け盛り上げています(笑。盛り上がれば何でもいいのです!)。10郎はU市選抜の投打の軸と期待されています。チーム成績としては不完全燃焼だった学童野球からスパッと気持ちを切り替え、OBCに向けて、また家族3人で夢を追っていきます。

 U市選抜チームの結団式がY杯終了後すぐに行われ、妻が帯同してくれました。

 市大会で対戦し「この子がうちのチームにいたら県大会出れたのに…」(笑)とうらやましく見ていた選手はほぼ選出されていたようです。頼もしぃ~。選ばれし22人の小さなサムライたちよ(と言っても成長の早い子は170㌢近くありますが)、U市代表の誇りをもって県優勝👑を目指してほしい。やればできる! そして小学校最高の思い出を残して次のステップを踏んでください。8郎家も本家WBCより盛り上がること間違いないでしょう! 当ブログでも報告してまいりますのでこうご期待。

 

【追記】以上、愛息の学童野球のエンディングシーンを報告してきたところですが、そんな10郎に人生初のアクシデントが起きてしまいました! 交通事故🚙に遭ったのです。試合を終え帰宅後、友達とアパート街で鬼ごっごをしているときに駐車場から飛び出してしまい、走ってきた車と正面衝突したようです。相手車両の正面エンブレム辺りのパネルを破損するなどかなりの衝撃かつ衝撃音で、近隣住宅からも複数人が飛び出してきたほどだったようです。右わき腹と背中を強く打った10郎は弾き飛ばされて転倒し、ひじ、ひざを打撲、擦りむきました。幸いにも救急病院での診断は擦過傷程度でした(もちろん後遺症の有無は分かりません)。頑丈な体に感謝します。

 救急車による搬送、翌々日には警察まで出向いて事情聴取を受けるなど、12年8カ月の人生で初の経験をしました。体力だけでなく精神的にも疲れたと思います。8郎も会社を休んで同行対応した次第です。相手方が保険ですべて経費を支払うことになっています。

 診断的には軽傷とはいえ、腰骨と腹筋に痛みがかなり残っているようで、それをかばうために右足をびっこしながら歩く状態です(右足自体は全く痛くないそうです)。週末の選抜チームのデビュー戦(練習試合)はスタメンを辞退する可能性が高いです。一番監督にPRしなければならないときなので非常に残念ですが、大きなケガがなかっただけでも「不幸中の幸い」と言い聞かせるしかありません。

 ここで視点を変えれば「不幸中の幸い」ほどいい教訓はありませんよね。中学生になったら自転車にも乗るはずですから、これからは車社会の危険さを理解した上で行動してほしいと思います。愛息よ、気を付けなはれや!


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