沖縄 8 Scene

沖縄で生まれ沖縄に生きる
      8郎家の日記

有言果たすぞ3000里

2022年09月06日 | スキルアップ

 2022年度中小企業診断士1次試験の合否発表がありました。8郎の番号はもちろんなく、4度目の不合格が公式決定しました。自己採点で知ってはいたのでもはや落ち込んだりはしていません。ただ、診断士協会公式サイトの合否を告げるPCのモニターには、油断したために負けた哀れな初老の男が写っていましたね。情けない限りです。敗因分析はすでに書いたので、今回は今後の方向性について決めたことを報告いたします。

 不合格確定後から針路についてかなり悩みました。そして、結論を出しました。

 

 まだ、あきらめない。です。

 

 そうです、8郎は挑戦継続を決めたのです(しつこいやっちゃ)。ちなみに女性に振られたら即あきらめる、そういう男ですが(今そんなのカンケーねぇ)。 

 前に書いたように49歳にとって状況は「試験からの撤退」を意味するものがほとんどです。そんな中、継続を決めた理由も無理くりたくさん見つけたのですが、一言に凝縮すると、50代後半への不安が大きい、に尽きます。

 わが社の売上は右肩下がりで落ちています。8郎も勤務20数年で多方面から商品づくりに携わってきましたが、この島で生きてきた49年の人生経験を合わせても、うちの商品に対する世間様からの需要が上がることはもはやないと確信しています。すぐ倒産というわけではないでしょうが、M&Aという時代の波にさらされるのは間違いないと見ています(子会社に格下げして給料減らすけど辞める?どうする?正直辞めてほしいな~的な)。そんな中で日々同じ仕事に時間を費やしていいのかという不安です。この資格への挑戦を思い立った5年前からそれは変わりません。もちろん、この資格を取ったところでその不安が解消される約束は全くないのですが、サラリーマンとしての自己分析、総括、集大成には最適の勉強科目だと思っています。たとえ受かっていなくても、会社の分析、見通しなど自分なりの判断、まとめができているのは、間違いなくこの試験科目を勉強してきたお陰です。

 視界不良の中、とにかく勉強だけは続けておきたい、そういう心理が後押ししているのは事実です。50代後半になって「あの時、なぜあきらめたのだろうか」と後悔したくないので。

 自己採点のショックが消えず、なかなか起き上がれなかった試験翌日8月7日の朝、カーテンから力強い朝日が見えました。それが冒頭に載せた写真です。その光景を見て、今から30年前の大学2浪が決定した日のことを思い出しました。あの時は若いだけに今の数倍ショックが大きかったですね。同じように強くて温かい太陽が輝いていました。備忘録として書いておきます。

 

 話は1993年にさかのぼります(細川護熙が首相になり、福岡ドーム、レインボーブリッジが完成した年です。懐!)。大学試験に2回落ちたということは、来年受験するなら成人で受けることを意味します。周りは大学、専門学校、就職などを決めて、新しい生活をしている中で、俺一人だけまた宅浪かと焦りました。父親も無職で家庭の収入はほとんどありません。予備校も通えずクーラーもなく古い参考書と紙だけで勉強する毎日にもう嫌気がさしていました。バイトもしていましたし。こんな状況で来年は受かるのだろうかと、かつ将来に対する不安でその夜は眠れませんでした(例え受かっても高校1年だった後輩と同級生になるのです。笑)。よく眠る8郎の人生で2回だけ、心理的絶望で眠れぬ夜があったのですが、そのうちの1つです。

 しかし、朝起きて団地の廊下にふらふらと出たところ、2月のまぶしい太陽が8郎を照らしてくれたのです。それはもう力強い太陽でした。体が温かくなり、眠れなかった8郎を優しく元気づけてくれました。同時に19歳8郎は思いました。そうか、状況はどうあれ、落ち込む、落ち込まないは自分の心次第。これから苦しい3度目の受験勉強が始まるが、その間も太陽は変わらず俺をずっと照らしてくれるだろう、と。まだピュアだった19歳8郎は「生命の源である太陽が照らす限りまだ頑張れる」と気持ちを切り替えることができたのです(昭和の歌謡曲にありそうですね)。※神様のいたずらか、翌センター試験は成人式の日でした。スーツ姿や晴れ着姿の同年生が楽し気に闊歩する中、一人車の中で弁当食いながら単語帳をめくっていたのを思い出します。

 当時のことを思い出し、ちょっと泣けてきましたね~。もう年です。19歳の俺へ、49歳になってもまだ勉強してるぞ。おっさんがまだ踏ん張れるのは19歳の君の努力があるからだよ。

 

 センチメンタルな話は終わります。

 もちろん感情的なだけでなく、冷静に分析もした上での判断です。診断士の重要科目「企業経営理論」に沿って、周辺環境を(スウォット)分析しました。

 

 ・  ・  ・  ・  ・

 

 まずはマイナス要素から見ていきましょう。(弱み)(脅威)です。

 

(弱み)

・来年50歳になる。記憶力、集中力、やる気が落ちてくるだろう。

・同時に競争相手は若年化が加速している。年齢的にも不利が加速していく。

 

(脅威

・2年前に合格した3科目(しかも2次試験と無関係)がゾンビ復活し、5科目受験となる。

・比較的定時に退社できる現職場も5年目に入る。異動の可能性も高い。影響多し。

・実はこの3年間はコロナに助けられていた(コロナ休あり、イベントなし等で勉強に集中できた)。今後はコロナ効果は期待できない。

・7科目中1番苦手な「経営情報システム」が今年易化していた。来年難化するはずなので超手ごわい。

 

 以上、マイナス要素を上げましたが、やはり多いですね。ただ気力さえあればカバーできそうな気もします。どちらにしろ50台後半の不安を麻痺させるほどの要素ではありません。次に少しでも前向きになるために(笑)、プラス要素です。

 

(強味)

・これまで積み上げてきた知識のベースがある。一から勉強し直すわけではなく、5科目すべてすでに当落線上にいる。つまり最低でも50点は取れる状況からのリスタート。

・5科目と増えるが、試験対策上、科目が多いほど「高得点科目が助けてくれる」という全体最適化というメリットもある。

 

(機会)

・来年1次を合格すれば、再来年2024年までの2次試験の権利を得ることができる。

・【挑戦継続を決めた最大の要素はこれです】落第の最大要因だった「10郎の野球に時間を割いている」が、来年からはなくなる!  負け惜しみではなく、それさえなければ去年で合格していたと思います。

※ただし、その選択については一切後悔していません。10郎との野球生活は8郎の人生最大の喜びでもあります。例え過去にもどって神様に「子どもの野球か己の合格か」と求められても同じ選択をすることでしょう! 

 

 ・  ・  ・  ・  ・

 

 以上が49歳のSWOT分析です。分析結果からも挑戦を続ける価値はあることが分かります(ということにします)。

 

 ただし、継続イコール時間の消費であることには最大限注意を払いたいと思います。なので継続するに当たって心苦しいながらも2つの「時間制限」を設けました。

 

①1次試験は来年2023年までとする(来年不合格なら撤退する)。

②2次試験は再来年2024年までとする(再来年不合格ならまた2科目がゾンビ復活するので撤退する)

 

 つまり診断士挑戦は長くても51歳まで、となります。そうふんぎりを付けようと思います。19歳当時と違って8郎には本当に時間がないのです。終わりを設定しなければなりません。来年1次がダメなら、涙を飲んで撤退します!

 下写真は2022年度の合格発表ページ。何度見ても8郎の番号はありません!(笑)。

 

 あとは、勉強法の見直しですね。過去問集中のほぼ独学でしたが、改めてWEB講座も検討しようかと思います。来年中学生になる10郎の学習経費に充てたいので、妻とも相談ですが。。。来年の1次試験までもう10カ月しかありません。5科目で割ると1科目2カ月しか割けないのです。19歳のときと違って、1年は向こうから全力ダッシュでやってきます(笑)。

 

 以上長々と書いてきましたが、それは49歳の心に近い将来への不安がある証拠です。でも書くことで心の整理ができるので更新させていただきました。

 当初計画の2000里余歩いても目標を達成することはできませんでした。でも、息子との約束「有言実行」を果たすため、年々弱りつつある足腰を5度立ち上がらせ、3000里までは目指してみようと思います! 太陽が照らし続けてくれるでしょう。

 往生際の悪いおっさんに引き続き応援のほど、よろしくお願いいたします!


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