沖縄 8 Scene

沖縄で生まれ沖縄に生きる
      8郎家の日記

どぅしぐゎたちの十三回忌

2020年02月17日 | どぅしぐわぁ

 2008年に仕事中の不慮の事故で亡くなった、いちどぅし、愛称ヤスーンの十三回忌に参列してきました。下写真はおそらく1990年代後半に男だけのドライブ中に撮影した笑顔のヤスーンです。

 ヤスーンを慕うN高校の同級生5人が集まりました。リーダー格のTら~は諸事情で残念ながら欠席でしたが、彼が年始に「今年が十三回忌ではないか」とグループLINEに共有したことから、今回の集合となった経緯があります。ありがとう。

 故人との最後のお別れ法事とされる三十三回忌は20年後なので、現在46歳の8郎らがそれまで健在だとしても、御年70半ばのヤスーンのご両親がお線香を準備してくれている可能性は低いです。なので8郎は、十三回忌にはどうしても“アントキの6人”全員でお線香を上げたかったのです。

 ヤスーンの実家では、ご両親が迎えてくれました。七回忌以来6年ぶりの再会だったのですが、予想以上にお元気だったので、とてもうれしかったです。8郎らの訪宅をとても喜んでいただけました(こちらの都合で前倒しをお願いしたにも関わらず、です)。仏壇の横の壁には、日焼けした精悍なヤスーンの優しい笑顔が遺影となって飾られていました。いいなぁ、ヤスーン。君だけ、いつまでも年を取らないね。僕らはすっかりくたびれたアラフィフのおっさんです。8郎の頭はもはや不毛地帯(山崎豊子原作)、ともにブラック職場で疲弊するポン先生と亀さんは白髪が目立ち、森ドゥは8郎がいるからこそ目立たないものの実はハゲレースの堂々2位に付けています。一番若く見えた砂吉もあごのラインがたるみ、正真正銘の普通のおっさんになっていました(みんな、すまん!)。平等に同じ月日がたったということさ。

 

 実家にいたのは20分程度でしょうか。ご両親に気遣いさせないよう、早めに退散しようと前もって決めていました。お礼とお別れを告げて、家を出ました(お会いするのもこれが最後かもしれないと思うと心底、お二人のご長寿を願いました)。その後は誰が言い出したか、居酒屋で杯を交わすことになりました。そのまま、解散できないよな。前日も午前様の二日酔いで、この日も早朝から少年野球の大会に参加してきた8郎は体力的にきつかったのですが、なぜか発泡酒がおいしく感じました。予約の関係もあって19時半には解散したのですが、例年同様、楽しい酒席でした。ヤスーンも間違いなくそこにいて、いつものようにニコニコ笑っていたね。

 

 振り返ると10数年、この集まりの幹事を務めてきた8郎ですが、実は、この十三回忌を一定の節目に置いていました。どこかで、区切りをつけなければ、という気持ちがあったのです。でも、その酒席で、また集まりたいと、みんなが言ってくれました。森ドゥがLINEで送ってくれた「この集まりを楽しみに頑張りマッスル」というメッセージ(オヤジギャグ臭に多少ひいたものの)に、ちょっと涙腺を刺激されました。もう年ですね。

 お互いに若くはないので、これまで同様に飲んで騒ぐ、というだけにはいかないだろうが、ふとしたことをきっかけに集まることができればと思っています。その延長線上に三十三回忌があればいいね。

 これから、8郎たちの人生にどんなことが待ち受けているのか、誰にも分かりません。でも一つだけ確かなことは、ヤスーンだけはあの日のまま、アントキの6人を待っていてくれる、ということです。

 ヤスーンの最高の笑顔に会うために、また集まろうか。これからもよろしくお願いします。