沖縄 8 Scene

沖縄で生まれ沖縄に生きる
      8郎家の日記

5年間ありがとうございました

2011年02月26日 | お仕事

 新緑が芽吹きだしたやんばるの森(下写真)とともに、ハチローからみなさんに、ご報告です。

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 当ブログ「沖縄 8 scene」を今回をもって、事実上、閉鎖することを決めました。

 まことに勝手ながら、そう判断させていただきました。

 最大の理由は、人事異動です。このたび、ハチローの3年におよぶやんばる生活が終りをつげ、那覇に戻ることが決定しました 同時に業務内容も大幅に変わるため、従来のように写真で沖縄の風物詩をお伝えすることが非常に難しくなってきたからです。ただでさえ、更新ペースが滞っていた状態。このままだらだら続けても、月一回、釣りと愛息ジュウロウの話しかでてこない可能性が高いのです。すでにそうだといわれればそれまでですが(笑)

 2006年2月19日に開設してから、満5年の月日がたっていました。今回含めUPした記事は計410本。庶民派アナログサラリーマンであるハチローが、「ネットの世界で情報を伝え共有することが一体どういうことなのか」との疑問、期待から立ち上げ、実質単なる日記的側面に終始しながらも、5年以上も続けてこれたのは、みなさんの激励やコメントがあったからこそです(ひゅーひゅー)。本当に感謝しています。

 下写真は愛機NIKONのD300。当ブログは彼の存在なしには語れません。やんばる異動を前に総額30万円で購入しました。24時間365日、常にハチローのそばにいて、獅子奮迅の大活躍でした。センスもなければ大して努力もしていない最悪のご主人様ハチローを、ここぞというときに必ず助けてくれました。一点の不満もない最高の相棒だったぜ。活躍の機会は減るが、これからもよろしくな。

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 振り返れば、いろんなことがあり、そして伝えました。

 沖縄のいろんな風物詩を撮影し、北は伊平屋から南は与那国までいろんな海に潜りました。業務での不平不満も正直に書きました(今思えば子供だったなぁと反省も多々あり)。旅行などプライベートも遠慮なく載せました。いろんなところで飯を食いました(食べすぎです)。そして、ひねくれ者ハチローなりのむぬかんげーも一方的に(謝)お伝えしました。

 テルおばぁ、いちどぅしヤスーンが亡くなりました。人の命のはかなさを痛感するとともに、大事な人はそのときに大事にしておかないと取り返しがつかない、ということも身をもって知りました。まさに後悔あとに立たずでした。でも、それを記憶に残すためにブログという記録に残しました。

 どぅしぐわぁーたちとの交流も記録しました。それはハチローにとって、いつでも少年時代に戻ることができる楽しい作業でした。40、50歳を過ぎて正真正銘の加齢臭オヤジになっても忘れることはないでしょう。

 登場していただいた方には、本当に感謝しています。

 ところで、閉鎖を「事実上」としたのには二つの理由があります。

 一つは、綴り揚げてきたハチローの「日記」でもあるため、何かしらの方法で残したいと思っており、その方法が確定するまでは、ネット上で生かしておこうと思っているからです。5年間分を効率的にデジタル保存できる方法を知っているという方がいらっしゃいましたら、教えて下さい。それまでは月々3000円?のサーバー維持費を払いつつ、当面はネット上に残したいと思います。

 もう一つは、暫定的に残している間に、何かしらの話題があれば、臨時的にUPする可能性もあるかなと、いちるの期待を残しました。その可能性は低いですがね。

 つまりは、閉鎖、です。

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 前回UPした、「ゴマちゃんにリベンジ」のてんまつが気になっているマニアの方(笑)のために、簡単な報告を。

 結果からいうと、ゴマちゃんとの再会は果たせませんでした(泣)。釣果はガーラオジサンなど、寂しいものでした(下写真)。そして「小さな魚はリリースしよう」と当たり前のことを誓った37歳です。

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 やんばるはシティーボーイのハチローに、釣りの楽しさを始め、自然の素晴らしさを教えてくれました。

 さて、当ブログのラスト1年で、ハイハイと勝手に主役に躍り出た愛息ジュウロウは元気いっぱい。大好きな風呂でも、座りこんで余裕の表情を見せています。最近は「ぱぱ、まま、あんまー(沖縄方言で母のこと)」と口にします(笑)。歩くのももうすぐだね

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 やんばる最後の思い出にと、家族3人での美しい名護城(なんぐすく)公園で最後の記念撮影をしてきました(下写真)。※最後までモザイクご免。お見せするほどの顔ではないもので。 

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 の向こうに見える名護のまち(妻とジュウロウの生まれ故郷)での3年間は、ハチロー一家にとって忘れることのない日々です。

 暗い話題ばかりの日本ですが、みなさんもお体に気をつけて、日々まい進していきましょう。

 5年間、ご愛顧のほど、まことにありがとうございした。