ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

私は昔から自ら体を動かし その過程で感得して行くと云うスタイルでしたが

2019-07-14 09:57:06 | 自分

子供の頃は父が朝早くに近くにあった不忍池(しのばすの池)で、大きな声で詩吟を詠っておりました。 父は若い頃に働きながら長距離を走っていて、神戸-明石間のマラソン大会で優勝したことがあると聞いておりました。

従って専修大学の陸上部ぼ方々が、我が家に来て池の周りを走っていたことも、思い出されます。 そんな父の影響からか、私自身も小学3年の頃から池の周りを走るようになりました。

中学生になっても、余りあるエネルギーの発散先として、ひとりで家の周辺を走っておりました。 何時しか仲間と毎晩 集まっては、上中里から赤羽まで往復する毎日でした。

北園高校に入って、それまでやってはいなかったバスケットボール部に入って、何時もバスケットコートで長い時間を過ごすことになりました。 級友と付き合うよりはバスケ仲間と一緒にいることが多かったのです。

コーチから殴られる姿を見て、もう少し選手の自主性を伸ばすような練習方法があるのではないかと、感じたりしておりました。 

大学は建築学科に入学しましたが、設計製図の時間は演習課題を出されても、どのようにデザインして良いかが分からず、エスキスの時間にも出ずに悶々としており、結果的に留年することになりました。

その姿を見て佐藤仁先生が、自分の研究室に来なさいと云われて、結果的に先生の研究論文をお手伝いする過程で、物事の考え方を感得したのです。 勿論デザインの考え方も学ばせて頂きました。

大学を留年しながらも紛争中の最中に卒業して、先生の紹介で入江三宅設計事務所に働くことになりました。 10年経ったら独立しようと考えておりましたが、8年で卒業することになりました。 大きな計画でも纏めるのはひとりであると云うことを、学ぶことが出来たのです。

長女が生まれ1歳になった時に、多摩ニュータウンに引っ越すことになりました。 引っ越しをした年の梅雨に、真新しい畳からダニが発生し、幼い娘のことを考えて怒りから、ダニ対策委員会を作ることになり、上の2階の住む井上さんと一緒に、東京都と公社を相手に住民闘争を行うことになりました。

畳の高周波処理を行う工場の管理状況が悪く、処理前の畳から処理後の畳にダニが浮遊して来て、処理後の畳にまたダニが存在し、ねずみ算ならぬダニ算の増え方がh、比較にならないぐらい多く発生してしまうことも分かりました。

そんなことがあったなあと思い出されるのですが、本を読んで学ぶよりも、自ら体を動かして何かを感得して来た自分に気づくのです。

これは座禅についても云えることですが。



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