先日、借りた本を返しに行くと、その元舞台製作の仕事を仕事をされていた方が、実は昔、我が家に訪ねて来た知人が、スプーンを眼の前で何本も曲げ、更に自分の娘-小学生だったと記憶しているが、子供と手を繋いで子供の指先にあるスプーンをも、曲げたんですよと奥から2本の曲がった現物を取り出して、見せてくれました。
何故、曲がったのかを教えてほしいと云うのです。 子供にその後、どのような状態だったのかを聞いたところ、泣き出してしまい、それ以上聞くことは出来なかったとのこと。 娘さんが大きくなった今でも、そのことは聞けないと云うのです。
私は直ぐに、意念という力がスプーンを曲げたんでしょう。 また、その知人の意念の力を、子供の体を通して発揮させたのでしょうと話しました。 また改めてじっくりとお話をしましょうと言って、退出しました。
スプーン曲げは、テレビでユリゲラーさんが、やっているのを見たことがありますが、当初は私にも何故、曲がられるのかは分かりませんでした。
生まれて初めて、深呼吸の要領で長く吐く呼吸を行いながら、静かに宇宙や光、蓮の花などをイメージしながら静かに座り続けていた頃は、イメージ-意念する力は、ある程度ありましたが、無とか、無心をイメージするようになってからは、意念する力は弱まっているようです。
当時、読んだ本には、気功治療を行っている方は、毎日5,6時間も座禅しながら自らを高めておられると云う文章を、読んだ記憶があります。 また元の事務所で一緒に働いていた女性の病が改善するようにと念じながら、毎晩3時間座り続けた時には、初めて天目が開き、その存在を感得しました。
意念する力の存在を、改めて感得したのです。
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