座禅と云うと、とかく直ぐに「悟り」と云う言葉が出て来ますが、私は「悟り」と云う言葉は、自ら発する言葉ではないと思っております。
お釈迦さまも含めて、自らは悟りを開いたとは、決して云ってはいないと思います。 周りの方々−お弟子さんたちが、悟りを開かれたと称していたのではないかと想像いたします。
従って、ここでのブログ上では、決して「悟り」と云う言葉は使いません。
違う意味で自ら感じ得ると云う「感得」と云う言葉を使っております。
座禅と云うと、とかく直ぐに「悟り」と云う言葉が出て来ますが、私は「悟り」と云う言葉は、自ら発する言葉ではないと思っております。
お釈迦さまも含めて、自らは悟りを開いたとは、決して云ってはいないと思います。 周りの方々−お弟子さんたちが、悟りを開かれたと称していたのではないかと想像いたします。
従って、ここでのブログ上では、決して「悟り」と云う言葉は使いません。
違う意味で自ら感じ得ると云う「感得」と云う言葉を使っております。