議論・論議とは?

2015-02-21 11:45:41 | 近時雑感
議論:[ある問題に関し](何人かの人が)自説の陳述や他説の批判を相互に行い、合意点や結論に到達しようとすること(やり方)。
論議:[ある問題に関し]はげしいやりとりの上、より高い相互理解やより具体的な施策を進めること。
ともに、「新明解国語辞典」の解説です。

なぜ、この語の語義を調べる気になったか?
極めて単純です。ここしばらく、TVでは連日国会中継が放映されています。
そこでのやり取りを見ていて、これは議論・論議と言えるのか、と違和感を感じたのです。
とりわけ、我が宰相を含め、政権側の応答は、前掲の字義・語義とは程遠く、むしろ、それを避けているように思えます。
そしてまた、特に、我が宰相の《滔々と》自説を述べる内容は、いずれも、単に威勢がよいだけで、「論理」的に筋の通らない、今は流行らない《かつてのコマーシャル》を聞いているような趣さえあります。
その一つ、「頑張れば頑張るだけ報われるような世の中・・・・・」という文言、これは、「現下の格差の存在」についての見解を求められたときの、
いわば「はぐらかし」(質問にまともに答えず、一般論をぶったり、話題を変えて気勢を殺ぐこと)の答弁の中の文言。
「はぐらかした」つもりが、逆に「本音」が出てしまった、と私には思えました。
それはすなわち、今、現実に「格差」を感じている人びとは、「その人たちの頑張りが足りないからだ」と言っているに等しいからです。
この「認識」の底の薄さには驚きます。
しかし、国会の論議?は、そこでお終い。質問者の更なる「追及」も為されない。そういう「国会審議のすすめかたの決まり」でもあるかのよう。
ところで、この「格差についての認識」は、高所得者の相続税の負担軽減策でも露わになっています。
高所得者が、子どもや孫に教育費として生前贈与する場合は相続税を軽減する、という施策。
これは、言うなれば、教育面での高所得者の優遇策、貧乏人は教育を受ける機会が少なくて当然だ、というに等しいこと。
現政権の中枢に居られる方がたは、率先して、すべてものごとは金次第、という世の中を追い求めている、としか私には思えない。そう言えば、その昔、「貧乏人は麦を喰え」と言い放った宰相もいた・・・・。
もしかして、貧富の格差を拡大し、貧乏人救済のため、徴兵制を「取戻し」、世界各地で「自由に戦争ができる」、そういう下地づくりを画策しているのでは?とさえ思いたくなります。

春が近いというのに、暗い感想になってしまいました・・・。
「ケントの家々」の続き、進行中です!しばらく時間をください。

25日付信濃毎日新聞コラム「斜面」にリンクします。[25日 9.35 追記]

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