模型づくりで・・・・1 ―― ものの使いよう

2009-10-01 09:02:19 | 構造の考え方
[追記 追加 10月1日 9.54 ][文言追加 17.38][註記追加 10月2日 10.25]

ここしばらく「熱中」していたのは、上掲写真の段丘部分に建てる建物の計画案の作成。
建物は「心身障碍(害)者施設」。35人が暮しています。[文言追加 17.38]
甲府盆地の東隅、標高約500mのところにあります。一帯は葡萄:巨峰の産地。
   
   註 「障害者」の「害」の字は「碍」にすべき、という動きがあります。
      「碍」は、「碍子」の「碍」。「さまたげる」という意。
      碍子とは、電気の通るのをさまたげるためのもの。
      「害」の意とはまったく違います。

   註 [追加 10月2日 10.25]
      中国・台湾では、「障害者」ではなく、「残障者」という語を使うそうです。

30年ほど前に、心障者・児の父母たちが基金を出しあい設立した法人が運営。そして今から28年前、当初の建物が生まれました。きわめて厳しい条件の下での計画ゆえ、面積などぎりぎり(「続・RC造とは何か・・・・窓のつくりかた」に、この建物の外観などを、少し載せてあります)。

そこで30周年をむかえるにあたり、増改築で少しばかり「ゆとり」を設けようという計画。

現在の敷地は前面(東南に面します)がひな壇型に整地されている葡萄園、背後は山の急峻な斜面、そういう地形の一画。
その東南の葡萄園の敷地を譲り受け、そこに増築をして居室を増やし、できるだけ個室化し、居住者の高齢化に応えるように全体を改修する、という計画です。
その葡萄園、元々山の斜面を段丘化してあり、高低さは約12~13m(先回6~7mと書きましたが、6~7段の書き違いでした!)。

こういう計画では、敷地模型が絶対に必要になります。高低の感覚は、図面の上ではなかなかつかみにくいからです。

普通、高低差のある敷地の模型をつくるには、数mm厚のコルク板やスチレンペーパーを等高線に従って切取り、それを何層か張り合わせてつくるのが簡単です。
しかし、この場合は、高低差が約12~13m、しかも一段が0.8mから2mのひな壇になっていますから、それをつくるとなると、通常のやりかたではとんでもない枚数のコルク板やスチレンペーパーが必要になります。
縮尺も、本当は1/100ぐらいほしいのですが、そうなるときわめて大きくなってしまうので、1/200としました。それでも約65cm×60cm(つまり、1/100にすると、各辺がこの2倍になる)。

そこで、急斜面の場合よく使う方策、上掲の下から2番目の写真のような骨組をつくり、その隙間を充填する方法を採りました。
骨組は、厚3mmのスチレンペーパーを、測量図から作成した任意の位置の断面図に従って切り、所定位置に糊付けします(木の板の方がよいのですが、それでは加工が大変)。

隙間の充填には、ボンドを混ぜた水で練った鋸屑を使うと仕上りはきれいなのですが、これも結構大変。練り土を使ったこともありますが、重い上に干割れが入ってしまいダメ。もっとも、土壁塗と同じで、スサを入れて少しずつ時間をかけて埋めればよいのでしょうが、それでは時間がかかり過ぎる。

そこで、簡単で早く仕上がる方法として、骨の上に紙を貼る方策を採りました。
紙は障子紙です。この方法を採るのは二度目。前回は仕上りがベコベコになったので、今回は水張りの方法を応用しました。仕上りはまあまあの出来(写真参照)。

適宜の区画大に障子紙を切り、貼る前に、あらかじめ紙に水を刷毛引きします。
これを骨組に糊で貼り付けると(糊は障子貼り用の澱粉糊)、最初はベコベコしていても、乾いてくるとピンと張るのです。
おそらく和紙を使い、正麩糊(しょうふ・のり)を使うのが最適なのでしょうが、和紙に類似の市販の障子紙と普通の澱粉糊で代用。

これは和紙や障子紙の効能です。ときには、骨組から紙が剥がれるくらいにピンと張ります。洋紙ではダメなようです。古い建物の襖の下地には、反古紙を数重に貼ってあります(袋貼りのようですが)。

薄い紙も、四周を枠に固定すれば、一気に丈夫になり、ちょっとした物なら、置いても簡単には破れません。ましてこのようにピンと張れば、物を置いても撓みません。
両手でただ拡げた紙に物を載せると簡単に真ん中が落ち込みますが、紙を両手で引張っていると、同じ物を載せても落ち込む量が減ります。この場合は、水張りによって、自ずと引張り効果が生まれているのです。
この理屈を使ったのが pre-stressed concrete です。

襖や障子が意外と丈夫なのも、木骨と和紙と糊の協働作業の結果と言ってよいでしょう(洋紙では「張り」が出ないようです)。
薄い紙でも、「使いよう」で「効能」が違ってくるのです。

「材料の使いよう」は、「材料」を建物の架構に使う際の基本的な点である、と言えると思います。
つまり、「材料」自体の性質:強弱などだけに目を向けていてはダメ、要は「使いよう」にあるということ、逆に言えば、「使いよう」を考えずに材料を云々しても無意味だ、ということです。
そのためには、常に、「部分」ではなく「全体」を見渡すことが必要になります(この模型づくりでいえば、材料の特質と、それに手を加えることで生じるであろう「変貌」の想定を含め、「工程」全体を見渡すことに相当します)。こういう「見方」の「養成」は、おそらく経験・体験に拠るしかないのではないか、と思います(経験・体験と言っても、必ずしも「現場」の経験・体験を必要とするわけではなく、「日常」の中での経験・体験でも十分ではないか、と思います)。

ちなみに、先回紹介した遠藤新氏が、関東大震災後叫ばれた木造建築への「ボルト・金物」や「筋かい」の使用の奨めは、架構全体でなく木の柱だけ見ているから生まれる考え方だ、という的を射た見解を、震災の翌年に書いていますので、次回紹介します。


   追記 喜多方の煉瓦焼成は、55時間かけ、23日の午前3時に無事終了、
       との連絡がありました。追って詳細をお知らせします。
                           10月1日 9.54 追記

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