[追記追加 20.00][各所文言補訂 29日10.15]
発症以来初めて東京へ行ってきました(家内の見守り付です)。一昨年の暮に山梨へ行ったのが最後でしたから、一年九ヶ月ぶりです。
行き先は入院している知人のお見舞いに、御茶ノ水の東京医科歯科大学病院。
電車の乗り降りは別段問題はありませんでしたが、難儀をしたのが駅の構内。エスカレーターやエレベーターを探すのに結構手間取りました。多くの場合、辿りつくまで、かなりの距離を歩かなければなりません。
大きな駅には、ホーム間をつなぐ連絡通路が数本ある場合があります。
しかし、そのそれぞれに、エスカレーターやエレベーターがあるとは限らないのです。下図は上野駅の構内図です。
図の上が上野公園側になります。上野駅は、図の手前側が開業当初の駅になります。東北・上越・常磐各方面への長距離列車の発着ホームになっています。その後山手線が敷設され、そのホームは上野公園のある山側に設けられました。したがって、上野駅は二段になっています(現在は、低い方のホームの上にもホームが高架でつくられています)。したがって、これらのホーム間の連絡は複雑です。図のように、現在、3本の連絡通路が設けられています。当初の連絡通路は、一番左側の「中央乗換通路」と呼ばれ、山側では地下になっている通路。中ほどにあるのが「公園口通路」、この2本だけでは不便だということで造られたのが、右手の「大連絡橋通路」です。
今回、御茶ノ水へは、土浦~(常磐線)~上野~(山手線)~神田~(中央線)~御茶ノ水のルートにしました(通常は秋葉原で総武線に乗り換えるのですが、秋葉原は混雑するし連絡路も複雑で私の脚には負担だと考え、神田乗り換えにしたのです)。
念のため、各駅の構内案内図は事前に調べたうえのルート選択です。
土浦~上野は特急を使いましたので、上図の一番手前の⑰番ホームに着きます。そこから「大連絡橋」までエスカレーター。
しかし、そのエスカレーターは、図で分るように、直接「大連絡橋」には着かず、その1本右手の小連絡橋に着きます。改札口は、エスカレーター到着地点から10数段ほど階段を上がったところ。この段差にはエスカレーターはない。ここが最初の「難関」。しかし、問題なく通過。
今回の外出では、普段はまったく使わない「杖:T字杖」を用心のために持ってゆきました。これは正解でした。
乗り換えの山手線は③④番ホーム。
ところが、そのホームへのエレベーター、エスカレーターは「大連絡橋」にはない。ゆえに「公園口通路」を使うしかない。そこまでの歩行コースを、図上で辿ってみてください。健常な場合でも結構な距離です。しかも、流行りの「エキナカ」の中を歩くのです。「お上りさん」の私は、健常な時でも、よく人にぶつかりそうになる場所です。幸い、そういうこともなく、何とか目指すホームのエレベーターに到着。思わずホーッと息をつきました。
「大連絡橋」にエレベーター、エスカレーターがあれば、健常な人にとっても、負担・ストレスは大幅に減るはずです。
もっともそうすると「エキナカ」に人が来なくなる?!それを避けるためにエレベーター、エスカレーターを設けないのだ、とは思いたくはありませんが・・・。
神田の乗り換えは楽でした。空いていたし、降りてすぐにエレベーターが見付かったからです。
御茶ノ水に着きました。この駅が難物でした。
もともと狭隘な場所にある駅ですからホームの幅が狭い。エレベーター、エスカレーターなど設ける余地がないのです(現在、水道橋寄りに移設し改良する計画が進行中のようです)。
やむを得ず、階段を使うしかありません。人通りの少なくなった頃を見計らい、左手でときおり手摺を掴み、右手で杖を突き、何とか登り切りました。かなりくたびれました。
普段の散歩コースに、水平距離50メートルほど、高低差10mほど一気に登る山中の道のような急坂があるのですが、そこよりもくたびれました!
東京医科歯科大学病院は、病院の案内では御茶ノ水駅から歩いて1分とありました。病院のHPから周辺図・配置図を転載します。
御茶ノ水橋を渡り、バス通りを越えれば病院の「お茶の水門」。病院のエントランスは、そこから一段高い位置、バス通りから見れば二階に相当する高さにあるらしい。それゆえ、バス通りからは階段かスロープでその段差を登ることになるのです。これが「歩いて1分」の正体。
配置図の「お茶の水門」の文字のところが階段の始まり。階段の左側にスロープが並んでいます。図では分りにくいので、そのあたりの航空写真が次図。
この写真は工事中の撮影らしく、病院の建物のあたりは現在と異なるようです。写真の中に、丸印を付けましたが、左下がエントランスまでの歩行の基点(バス通りの歩道の端部)、右上が終点(出入口のある建物端部壁面)の位置です。その間、水平距離で約40メートルあります。基点からその中ほどまでがスロープになっています。その右手が階段です。目の前に、スロープ・階段越しに、10何階かの病院・病棟(配置図の「医科A棟」)が聳えていました。
地上階には、自動車向けの入口があるらしかった。
配置図の立体駐車場の右手にバス通りからの車の進入路があります。上掲の航空写真は、このあたりの様子も現在とは異なります。
横断歩道を渡って、この階段とスロープ越しに建物を見上げた時の私の気持ちは、あまりの「感激」でうまく言い表せません。
あえて言えば「何だこれは!」。
建築設計を生業としてきた人間として、この病院の「計画」が信じられなかったからです。
当然ながら私はスロープを使いました。もちろん、スロープの勾配は、法令を遵守しているのでしょう。しかしながら、登りきるまでの時間は、先ほど登ってきた御茶ノ水駅の階段よりも長く感じました。山頭火には失礼ですが、山頭火風に言えば、「登っても登っても尽きぬ坂」。
黄土色のタイルが敷き詰められ、踊り場も、多分法令通りの位置に設けられているようですが、一面のタイル敷きゆえ、見分けがつかず、ひたすらスロープが続いているように感じられ、踊り場で一休み、という感覚はまったく持てないのです。
登り切ったときの疲労感は、御茶ノ水駅の階段よりもひどかったのを覚えています。
私は、健常な時でも、多分同じ感想を抱いただろうと思います。誰も、違和感を感じないのだろうか?
しかも、ここは病院へのアプローチ。病気の方がたが多く通るところです。
第一の疑問は、何故、メインエントランスが地上階にないのだろう?ということでした。人は、2階レベルではなく地上を歩いてくるのです。皆が皆車やタクシーで来るわけでもないのです。
したがって、地上階をアクセス階にするのが、設計上の「いろは」の「い」:基本である、と私は思います。もしかしたら、どうしても、という事情があったのかもしれませんが、その場合でも、この設計上の基本を如何にして維持するか、真摯に考えて当然である、と私なら考えます。
しかし、そこで私が見たのは、一階分の段差をスロープにする、という策だけでした。そのスロープも、法令を遵守すれば文句ないだろう、とのようにしか見えなかったのです。
側壁に取付けてあるステンレスの手摺も、付けてあればよいだろう、というだけのように見えました。使う気にならないのです。
先ほど触れた散歩コースにある急坂をはじめ、近在の道には、このような素っ気ない道はありません。
どれもみな、いわゆる「けものみち」の如くに、近在に暮す人びとが、その暮しのなかでつくりだした道です。
そういう道は、目的地に、「気分よく」歩いてゆけるように造られます。もちろん、なるべく早く着くことは大事ですが、だからと言って、自らに「無理がかかるようなことにはしない」のです。それゆえ、「気分よく」歩けるのです。自らの「感覚」「感じ方」を大事にしているのです。
だから、そういう坂道を登っても、体がつかれても、気分の上で、「イヤな気持ち」は残らないのです。つまり、ストレスがかからないのです。
参考:「道:どのように生まれるのか」[追記 20.00]
階段やスロープの設計というのは、もともと人に重力に逆らう「無理な動作」をお願いすることです。それは設計時点で最初から分っていること。
それゆえ、階段やスロープを設計する際には、その「無理な動作」が、人にとって過剰なストレスにならないように考える、これが当たり前ではないか、と私は思っています。
登山道というのは、ほとんどが、その山に登る人びとが歩くことによって自ずと生まれたものです。九十九折りの登山道は、頃合いのよい所で折り返し、歩いていて気分のよいものです。
ところが、この病院前のスロープは、心底、気が滅入りました。もしも機会がありましたら、このスロープを実際に歩いてみてください。
人の行動の多くは、外界からの「刺激」に対応するものですから、必ず何らかのストレスは生じます。
「ストレス」とは、辞書的に言えば、「外界から与えられて刺激が積もり積もった時に防衛反応として示す、生体の肉体上・精神上の不具合」のこと。
したがって、私たちは、自らの感覚で、自らの体の状態・様態に応じて、「不要な外界からの刺激」が生じないように心しているものです。
簡単に言えば、「わざわざ」疲れるような行動・行為はしない、ということです。
だから、自ずと出来あがった「けものみち」のような道は、歩いていて「気分がよい」のです。
そして思いました。現在の建築の世界は、特に都会では、これが当たり前になっているのだ、と。
病院の中も、だいぶ前に書いた案内板がなければ歩けない「迷子になる病院」同様でした。
知人を見舞い、来たルートを逆にたどり、何とか無事に家に帰りつきました。
土浦駅から自宅までは、車を運転するのですが、帰り着いて、運転席から降りるとき、左脚を外に出そうとしても、自由に動かせず、まるで荷物を下ろすかのように、手で左脚の脛を持ち上げ、外に出しました。
くたびれて脚が棒になる、という表現がありますが、まさにその通り、左脚が「棒になった」ような感じでした。
普段の散歩では、どんなに歩いても、そうはなりません。多分、肉体疲労のうえに不要なストレスがかかったからだろう、と思っています。
幸い、一晩寝たら、元に戻りました。
私にとって、都会は今や、以前よりも更に鬼門になりました。
毎日のように、不要なストレスに曝されながら暮しておられる方がたに、畏敬の念を抱かざるを得ません。
発症以来初めて東京へ行ってきました(家内の見守り付です)。一昨年の暮に山梨へ行ったのが最後でしたから、一年九ヶ月ぶりです。
行き先は入院している知人のお見舞いに、御茶ノ水の東京医科歯科大学病院。
電車の乗り降りは別段問題はありませんでしたが、難儀をしたのが駅の構内。エスカレーターやエレベーターを探すのに結構手間取りました。多くの場合、辿りつくまで、かなりの距離を歩かなければなりません。
大きな駅には、ホーム間をつなぐ連絡通路が数本ある場合があります。
しかし、そのそれぞれに、エスカレーターやエレベーターがあるとは限らないのです。下図は上野駅の構内図です。
図の上が上野公園側になります。上野駅は、図の手前側が開業当初の駅になります。東北・上越・常磐各方面への長距離列車の発着ホームになっています。その後山手線が敷設され、そのホームは上野公園のある山側に設けられました。したがって、上野駅は二段になっています(現在は、低い方のホームの上にもホームが高架でつくられています)。したがって、これらのホーム間の連絡は複雑です。図のように、現在、3本の連絡通路が設けられています。当初の連絡通路は、一番左側の「中央乗換通路」と呼ばれ、山側では地下になっている通路。中ほどにあるのが「公園口通路」、この2本だけでは不便だということで造られたのが、右手の「大連絡橋通路」です。
今回、御茶ノ水へは、土浦~(常磐線)~上野~(山手線)~神田~(中央線)~御茶ノ水のルートにしました(通常は秋葉原で総武線に乗り換えるのですが、秋葉原は混雑するし連絡路も複雑で私の脚には負担だと考え、神田乗り換えにしたのです)。
念のため、各駅の構内案内図は事前に調べたうえのルート選択です。
土浦~上野は特急を使いましたので、上図の一番手前の⑰番ホームに着きます。そこから「大連絡橋」までエスカレーター。
しかし、そのエスカレーターは、図で分るように、直接「大連絡橋」には着かず、その1本右手の小連絡橋に着きます。改札口は、エスカレーター到着地点から10数段ほど階段を上がったところ。この段差にはエスカレーターはない。ここが最初の「難関」。しかし、問題なく通過。
今回の外出では、普段はまったく使わない「杖:T字杖」を用心のために持ってゆきました。これは正解でした。
乗り換えの山手線は③④番ホーム。
ところが、そのホームへのエレベーター、エスカレーターは「大連絡橋」にはない。ゆえに「公園口通路」を使うしかない。そこまでの歩行コースを、図上で辿ってみてください。健常な場合でも結構な距離です。しかも、流行りの「エキナカ」の中を歩くのです。「お上りさん」の私は、健常な時でも、よく人にぶつかりそうになる場所です。幸い、そういうこともなく、何とか目指すホームのエレベーターに到着。思わずホーッと息をつきました。
「大連絡橋」にエレベーター、エスカレーターがあれば、健常な人にとっても、負担・ストレスは大幅に減るはずです。
もっともそうすると「エキナカ」に人が来なくなる?!それを避けるためにエレベーター、エスカレーターを設けないのだ、とは思いたくはありませんが・・・。
神田の乗り換えは楽でした。空いていたし、降りてすぐにエレベーターが見付かったからです。
御茶ノ水に着きました。この駅が難物でした。
もともと狭隘な場所にある駅ですからホームの幅が狭い。エレベーター、エスカレーターなど設ける余地がないのです(現在、水道橋寄りに移設し改良する計画が進行中のようです)。
やむを得ず、階段を使うしかありません。人通りの少なくなった頃を見計らい、左手でときおり手摺を掴み、右手で杖を突き、何とか登り切りました。かなりくたびれました。
普段の散歩コースに、水平距離50メートルほど、高低差10mほど一気に登る山中の道のような急坂があるのですが、そこよりもくたびれました!
東京医科歯科大学病院は、病院の案内では御茶ノ水駅から歩いて1分とありました。病院のHPから周辺図・配置図を転載します。
御茶ノ水橋を渡り、バス通りを越えれば病院の「お茶の水門」。病院のエントランスは、そこから一段高い位置、バス通りから見れば二階に相当する高さにあるらしい。それゆえ、バス通りからは階段かスロープでその段差を登ることになるのです。これが「歩いて1分」の正体。
配置図の「お茶の水門」の文字のところが階段の始まり。階段の左側にスロープが並んでいます。図では分りにくいので、そのあたりの航空写真が次図。
この写真は工事中の撮影らしく、病院の建物のあたりは現在と異なるようです。写真の中に、丸印を付けましたが、左下がエントランスまでの歩行の基点(バス通りの歩道の端部)、右上が終点(出入口のある建物端部壁面)の位置です。その間、水平距離で約40メートルあります。基点からその中ほどまでがスロープになっています。その右手が階段です。目の前に、スロープ・階段越しに、10何階かの病院・病棟(配置図の「医科A棟」)が聳えていました。
地上階には、自動車向けの入口があるらしかった。
配置図の立体駐車場の右手にバス通りからの車の進入路があります。上掲の航空写真は、このあたりの様子も現在とは異なります。
横断歩道を渡って、この階段とスロープ越しに建物を見上げた時の私の気持ちは、あまりの「感激」でうまく言い表せません。
あえて言えば「何だこれは!」。
建築設計を生業としてきた人間として、この病院の「計画」が信じられなかったからです。
当然ながら私はスロープを使いました。もちろん、スロープの勾配は、法令を遵守しているのでしょう。しかしながら、登りきるまでの時間は、先ほど登ってきた御茶ノ水駅の階段よりも長く感じました。山頭火には失礼ですが、山頭火風に言えば、「登っても登っても尽きぬ坂」。
黄土色のタイルが敷き詰められ、踊り場も、多分法令通りの位置に設けられているようですが、一面のタイル敷きゆえ、見分けがつかず、ひたすらスロープが続いているように感じられ、踊り場で一休み、という感覚はまったく持てないのです。
登り切ったときの疲労感は、御茶ノ水駅の階段よりもひどかったのを覚えています。
私は、健常な時でも、多分同じ感想を抱いただろうと思います。誰も、違和感を感じないのだろうか?
しかも、ここは病院へのアプローチ。病気の方がたが多く通るところです。
第一の疑問は、何故、メインエントランスが地上階にないのだろう?ということでした。人は、2階レベルではなく地上を歩いてくるのです。皆が皆車やタクシーで来るわけでもないのです。
したがって、地上階をアクセス階にするのが、設計上の「いろは」の「い」:基本である、と私は思います。もしかしたら、どうしても、という事情があったのかもしれませんが、その場合でも、この設計上の基本を如何にして維持するか、真摯に考えて当然である、と私なら考えます。
しかし、そこで私が見たのは、一階分の段差をスロープにする、という策だけでした。そのスロープも、法令を遵守すれば文句ないだろう、とのようにしか見えなかったのです。
側壁に取付けてあるステンレスの手摺も、付けてあればよいだろう、というだけのように見えました。使う気にならないのです。
先ほど触れた散歩コースにある急坂をはじめ、近在の道には、このような素っ気ない道はありません。
どれもみな、いわゆる「けものみち」の如くに、近在に暮す人びとが、その暮しのなかでつくりだした道です。
そういう道は、目的地に、「気分よく」歩いてゆけるように造られます。もちろん、なるべく早く着くことは大事ですが、だからと言って、自らに「無理がかかるようなことにはしない」のです。それゆえ、「気分よく」歩けるのです。自らの「感覚」「感じ方」を大事にしているのです。
だから、そういう坂道を登っても、体がつかれても、気分の上で、「イヤな気持ち」は残らないのです。つまり、ストレスがかからないのです。
参考:「道:どのように生まれるのか」[追記 20.00]
階段やスロープの設計というのは、もともと人に重力に逆らう「無理な動作」をお願いすることです。それは設計時点で最初から分っていること。
それゆえ、階段やスロープを設計する際には、その「無理な動作」が、人にとって過剰なストレスにならないように考える、これが当たり前ではないか、と私は思っています。
登山道というのは、ほとんどが、その山に登る人びとが歩くことによって自ずと生まれたものです。九十九折りの登山道は、頃合いのよい所で折り返し、歩いていて気分のよいものです。
ところが、この病院前のスロープは、心底、気が滅入りました。もしも機会がありましたら、このスロープを実際に歩いてみてください。
人の行動の多くは、外界からの「刺激」に対応するものですから、必ず何らかのストレスは生じます。
「ストレス」とは、辞書的に言えば、「外界から与えられて刺激が積もり積もった時に防衛反応として示す、生体の肉体上・精神上の不具合」のこと。
したがって、私たちは、自らの感覚で、自らの体の状態・様態に応じて、「不要な外界からの刺激」が生じないように心しているものです。
簡単に言えば、「わざわざ」疲れるような行動・行為はしない、ということです。
だから、自ずと出来あがった「けものみち」のような道は、歩いていて「気分がよい」のです。
そして思いました。現在の建築の世界は、特に都会では、これが当たり前になっているのだ、と。
病院の中も、だいぶ前に書いた案内板がなければ歩けない「迷子になる病院」同様でした。
知人を見舞い、来たルートを逆にたどり、何とか無事に家に帰りつきました。
土浦駅から自宅までは、車を運転するのですが、帰り着いて、運転席から降りるとき、左脚を外に出そうとしても、自由に動かせず、まるで荷物を下ろすかのように、手で左脚の脛を持ち上げ、外に出しました。
くたびれて脚が棒になる、という表現がありますが、まさにその通り、左脚が「棒になった」ような感じでした。
普段の散歩では、どんなに歩いても、そうはなりません。多分、肉体疲労のうえに不要なストレスがかかったからだろう、と思っています。
幸い、一晩寝たら、元に戻りました。
私にとって、都会は今や、以前よりも更に鬼門になりました。
毎日のように、不要なストレスに曝されながら暮しておられる方がたに、畏敬の念を抱かざるを得ません。