SURROUNDINGSについて・・・・11: 自然を、不自然に 扱わない

2012-03-22 12:39:14 | surroundingsについて
ここ10日あまり、図面の喰いちがいの整理などのため、留守にしました。なんとか終り、やっと復活できるようになりました。
それにしても寒い。春は名のみ・・・を実感します。

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[追記 15.05][図版一部更改 23日 14.30][末尾に関連した内容の新聞記事を転載 23日 17.44]


大分前(2008年3月6日7日)にアアルトの設計した小さな町 SAYNATSALO の役場(書物によると、civic centre と記しています)の建物を紹介しました。
   なお、aの字には上にウムラウト:¨が付きます。

そのときの図版のなかから配置計画図を再掲します。
等高線を強調しましたので、今回の図は色合いが悪くなっています。


下は、この全体の模型写真(俯瞰)です。写真の下半分あたりが上掲の図の範囲です。


   なお、今回の図版は下記によっています。
   カラー版
   “ ALVAR AALTO Between Humanism and Materialism ”( The Museum of Modern Art, New York 1998年刊)
   モノクロ版
   “ Finnish Buildings:Atelier Alvar Aalto 1950-1951”( Verlag fur Architektur・Erlenbach-Zurich 1954年刊)

SAYNATSALO は、フィンランドの中の島の一つ。第二次大戦後、その開発が行われました。この civic centre の建物は、その一環の建設です。
  
アアルトは、この計画でも、既存の土地の「形」を損なうことを避けていることがよく分ります。
図の右上、写真の中央に見える運動グラウンド状の場所は、運動施設( stadium )など公共的施設が集まる場所。
下は、そのあたりが分るスケッチ。

少し濃く描かれているのは公会堂( theatre と記してあります)のようです。
グラウンドの左側にいわば放射状に並んでいる建物の用途が何なのかは、いろいろ調べましたが分りません。
それらの建物が、等高線を斜めに横切るように建っています。
   《建物は平地・平場でなければ》信仰の浸透した現在の日本ではまず見られない建て方です。
   かつての日本の人びとには、そんな《信仰》などなく、土地の形状に対して融通無碍に対応しています。

ここで採られているのは、すでに紹介した例と同じように、土地を雛壇に加工するのではなく、建物の方を土地の形に合わせて段状にする建て方であろう、と思われます。

とにかく、この計画では、先ず一帯を平坦にしてから、などという考えは毛頭もない。

ここで為されているのは、あくまでも、大地の生み出している SURROUNDINGS に素直に応じることである、と考えてよいと思います。
端的に言えば、自然を不自然に扱わない、ということです。
原始以来、人は、いつでも、そのようにして大地の上で生きていたのです。
それを、近・現代は忘れてしまった。いわゆる「合理主義、科学主義」は、その忘却をさらに推進するだけであった、それは、決して scientific ではなかった
、私にはそう思えるのです。   

たとえば、図上で、山裾を右上がりの斜めに一直線の道があります。途中でもう1本の道を合わせ、civic centre に至り、さらに進めば、丘陵を巻いて丘上のグランドに至るのです(その道の一部が図に少し見えています)。

この直線の道は、コルビュジェや現在の建築家・都市計画家がつくる直線の道とは、まったく違います。
ここで見える直線は、その場所に人が立ったときに自ずと足が向く方向に一致しているのです。
つまり、紙の上の単なる「視覚的にカッコイイ線」ではない。
きわめて自然に足が向き、そのまま進むと civic centre に至り、そして丘の上に到達する。
   この役場の建物は、当初は一部に商店が入っていたようです。そこがいわば町の中心だった。

単なる「視覚的にカッコイイ線ではない」ことが分るのは、次のスケッチです。

このスケッチでは、この道を歩いてゆくとき、 civic centre はどのように見えてくるのがよいか、それをいろいろと考えているのです(その様子は、先の2008年3月6日の記事で紹介しています)。
そのスケッチで描かれているのは、「見えてくる建物の姿」です。これは、普通「立面」「立面図」と呼ばれています。
しかし、ここでも、アアルトと現在の建築家では、「立面(図)」に対する考え方、その意味が異なる、と言ってよいでしょう。


かなり前、ある有名建築家と一緒の設計作業にかかわったことがあります。
そのとき驚いたのは、「立面(図)に対するわだかまり、こだわり」の強さでした。そのこだわり方は、私の建物の立面というものへの理解とは、まったくかけ離れていました。
彼は、立面図の上で、例えば開口の位置を、「いいように(勝手し放題に)決めてゆく」のです。
「いいように」とは、「紙の上に描かれた立面図上のカッコヨイ位置」と言えばよいでしょう。

その建物は図書館。窓際に設ける閲覧席の窓を、上下2段に分け、エアコンの必要のない時季には、その日の様子で、上を開けるか下を開けるか随意にできるようにしよう、というのが当方の提案。
したがって、上下を分ける框は、当然座ったときの頭の位置より少し上のあたりが適当。
そうして立面に表れる横一線が、彼は気にくわなかったらしく、その位置を下げたいという。
   これは、昔の建物では、たとえば学校建築などで、ごくあたりまえに為されていた方法です。
   私の通った小学校の建物は、昭和初期の標準的仕様の校舎でしたが、その開口部は三段に分かれていました。
   机の高さ~座った時の頭高まで、そこから立ったときの頭高まで(6尺程度、いわゆる一般的内法高)、
   そしてそこから天井まで。いわゆる「欄間」です。
   「欄間」はきわめてすぐれたアイディア。
   かつての日本の住宅では、夜間、掃き出しの部分は雨戸を閉めますが、
   「欄間」は開閉できました。夏の夜、「欄間」を開けておけば、屋内は自然通気で涼しくなったのです。
   ところが、昨今の流行はシャッター。もちろん「欄間」はない。仮に「欄間」を設けても、シャッターでは無意味。
   
一時が万事、この調子で作業が進められました・・・。
これではついてゆけない、私は途中で作業チームを離れました。

そして、建物は彼の「思い」の通りできあがりました。
結果はどうだったか。
窓際の閲覧席に座ると、ちょうど目の高さに、視線を塞ぐように太い框が連なっていたのです。鬱陶しくて、そこには座りたくない・・・。


アアルトがスケッチで考えていることは、この日本の現代の建築家とはまったく違います。
アアルトは、その道を歩いている人に、建物がどのように現れてくるのが好ましいか、それを考えているのです。
その形のカッコヨサではない。立面図のカッコヨサではないのです。
そこを歩き続けることを遮ることにならないように、
あるいは、
そこへ向うことをこころよく受け留めてくれる・・・、あるいは、そこへ向う期待感が高まるように・・・、
そうなるにはどうしたらよいか、それを考える過程を示している、と言ってよいでしょう。
そこでは、決して、どうだ、カッコイイだろう、この姿は・・・、などという考えはないのです。

端的に言えば、アアルトのスケッチは、既存の SURROUNDINGS を傷めることなく、むしろそれを補完するように、あるいは、新たな SURROUNDINGS となるようにするにはどうしたらよいか、についての思考の過程を示しているのです。

そして、まとまったのが、下の図です。この図も再掲です。


civic centre の模型を俯瞰したのが次の写真です。


これらの図や写真は、たとえそれが上方から見た図や写真であっても、「目に入ってくる図柄」で判断するのは間違いです。
その「図柄」を通して、大地の上の実際の人の目線に転換する「操作」が必要なのです。
これは、たしかに面倒な作業です。
しかし、絶対に必要です。建築に係わる人のいわば「素養」です。
このことを、教育の現場で、教えてこなかったのです!


今、この図の左下側から右斜めに道を歩いてゆくとしましょう。
そのとき、 civic centre の「どこ」が見えてくるか。
見えてくるのは、当初図書館が設けられていた部分の外壁と、その向う側の一段高く、特徴のある議場の屋根のはずです。
しかも、図書館の外壁は、視線に対して斜めに対している。これが極めて重要だと私には思えます。そう見えるように配置したのです。
なぜなら、視線を「そこ」で止めないためです。視線が「道の続き」へと導かれるのです。
   視線に対して直交するように外壁が見えたら、そこで終点、先がない。
さらに、手前の図書館と、後の議会の在るブロックとの間に、「何かが在る」ことも予測できます。
その「何か」は、 civic centre への主な入口になる階段。

おそらく、この計画では、いわゆるサイン:案内標識はまったく必要ないはずです。
あるべきものがあるべき姿でそこにあるからです。
人が SURROUNDINGS にどのように対するものなのか、その対し方の「常識」を「ないがしろ」にするような作為をアアルトは採っていないからなのです。

   補注[追記 15.05]
    civic centre の手前でV字型に合う2本の道(多分車も通れる道)の間に、
   細い道が何本も描かれています。歩道でしょう。
   試みに、この道を、等高線との関係を見ながら、紙の上でたどってみると、
   そのどれもがごく自然な、多分そういう風に歩くだろうな、と思える経路になっていることが分ります。
   山に入って新たな道を切り開くとき、こういう形になります。人のつくる「けものみち」です。
   つまり、単にカッコヨク線を描いているのではないのです。
   こういう道は、アアルトのどの設計にも見られます。
   そしてそれはすなわち、日本の建物づくりの露地のつくり方に他ならないのです。
   人は、道をどのようにつくるものか、分っているのです。
   
私がアアルト(の設計法)にのめりこんだのは、この「姿勢」が、私に共感できたからです。納得がいったからです。
そして、日本の近世までの建物づくりの考えかた、 SURROUNDINGS への対し方と通じることがある、と思えたからです。

そのあたりについて私が考えてきたことを簡単にまとめたのが、「建物をつくるとはどういうことか」のシリーズです(特にその2をお読みいただければ幸いです)。
そこで、建物の「立面」、あるいは「壁面」とは何か、おおよそのことを書いたつもりです。
   註 「建物をつくるとはどういうことか」のシリーズ全編は、下記の末尾にまとめてあります。
     そこから各回へアクセスできます。
     「建物をつくるとはどういうことか-16

つまるところ、私にとって「立面(図)」は、「結果」に過ぎない、ということになるでしょう。
立面図を初めに描くことはないのです。
つまり、建物の立面(図)とは、「そこ」につくろうとした新たな SURROUNDINGS の「境」を成す「もの」の「結果としての形」である、ということです。
したがって、私の場合、設計図としての「立面図」は、最後に手がける「図」になります。
描かれた「立面図」を見て、私が「そこ」につくろうとした SURROUNDINGS の一環になっているとき、自身も納得がゆくし、
納得できないときには、どこかに「間違い」があるときだ、
それがこれまでの経験で得た「事実」です。
そして、「納得のゆく結果」になるようにする、これが未だに難しい・・・。
   註 私が最初に描く図は「断面」です。先ず、それを頭に入れることから、たいていの場合始めます。


余談
昨今の報道によれば、今度の震災を機に、高台へ移転しようとしたところ、高台の山林には、多数の縄文期の住居址が在り、簡単に移り住めない(先ず発掘調査が必要)ことが分ったそうです。
縄文人は、自然を不自然に扱ってはならないこと、そして、人が SURROUNDINGS にどのように対するものなのか、それについて熟知していたのでしょう。
だから高台に暮しの基点を設けたのです。住まいの「必要条件」「十分条件」を会得していたのです。
現代人と縄文人、どちらが scientific であるか、と思わずにはいられない逸話です。


関連した内容の新聞記事を転載します。


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