とり急ぎ・・・・「産業の《近代化》」が「近代化産業遺産」を生んだ!

2008-11-27 17:38:34 | 煉瓦造建築
喜多方の登り窯は、「近代化産業遺産」の指定を受けている。
実は、この「近代化産業遺産指定」のニュースを初めて知ったとき、私の中に「奇妙な違和感」が生まれたのをはっきりと覚えている。

喜多方の登り窯が、今から四半世紀前に操業を中止せざるを得なくなったのは、実は、「産業:ものづくり:の《近代化》」の結果である。「産業の《近代化》」が、この登り窯を《近代化産業遺産》化してしまったのだ。
はたして、「近代化産業遺産」指定制度にかかわった人たちの中のどれだけが、この「事実」を認識しているのだろうか。

私は、今回の「指定」により、「喜多方・登り窯」が単なる「観光資源」となり、ライトアップなどで人寄せパンダ化することを危惧していた(今でも)。観光客が増えることは、決して「地域の活性化」ではない、と私は思うからだ(註参照)。「登り窯の再稼動」という言い方をしてきたのもそのためであった。

   註 「風景・環境との対し方-2・・・・『観光』」

ところが、先ほど、その危惧を拭き払ってくれるような内容の「現場報告」が、現場の統括者からメーリングリストを通じてあったので、紹介させていただく。後半を一部割愛します。


皆様こんにちは、金親です。

週末の窯焚き、お疲れ様でした。

前日の大雪に始まり、神事の時の奇跡的な快晴、
夜中の雷雨と、天候もドラマチックな演出をしてくれた、
今回の窯焚きでした。

十数年振りに命を吹き返した窯が、何事も無く、すんなりと行くはずが無く、
案の定、深夜に大いなる試練を、我々に与えてくれたわけですが、
何とかそれを乗り越えた後は、とても順調に運んだ為、
最後の窯などは、かなりの余裕を持って、焼成することが出来ました。

事前の予測よりも、順調に事が運んだために、23日深夜からの焼成作業を
御願いしていた方達には、折角の機会を減らすことになってしまい、
大変申し訳ありませんでした。

参加された方々は、中学生から米寿を迎えた方まで、各年代にわたり、
そして近隣の方から、遥か遠方より来られた方々まで、多彩な顔ぶれでした。

今回のプロジェクトは、実行してみて初めて分る、といいますか、
「腑に落ちる」ことが沢山有るのですが、
今回の窯焚きは真に、その連続でした。

抽象的な言い方になりますが、
「焼き物とは何ぞや」、「登り窯とは何ぞや」、そして「ものづくりとは何ぞや」
という問いへの解答が、おぼろげながら見えて来た気がします。
参加された一人一人の体の内にも、湧き上がって来る「何か」が有ったのでは
無いでしょうか。

窯焚きという炎との対峙は、勝負というよりも対話に近い感覚を覚えました。
「もの」にも心があるのか、はたまた関わる人の意識が乗り移るのかは、
解りませんが、明らかに、こちらの心構えや所作に、反応している様に思えました。

思えば焼き物とは、とてもシンプルで根源的な要素に満ちています。
日(天日)、月(気侯)、火、水、木(薪)、金(粘土や釉薬の元)、土(粘土)
たったこれだけのものがあれば、出来るのです。
そして、これらは自然そのものです。

人は自然の中で生きています。(人そのものも自然です。)
そして、人は何かを創らずにはいられない、
時には生きるための道具を、時には自然と同調するための何かを、
その作業が大変であればあるほど、自然との調和が深まっていき、
自然の一部となり、心の平安を保つ事が出来るのではないでしょうか。

今回の窯焚きで、中学生、高校生が、徹夜をしてしかも真っ黒になりながらも
一心不乱に薪をくべている姿を見て、また遠方より来て、始めて出会った人
同士が、何の違和感も無く共同で作業に取り組んでいる姿を見ていて、
ふと、上のような思いがよぎったのです。

これだけ多くの人を惹きつけるのは、焼き物というものづくりが
人にとって根源的な、本能を呼び覚ますような行為だからなのかも知れません。

煉瓦の製造ということにおいて、近代化産業遺産に指定されたこの窯ですが、
始まりは、瓦の製造であり、登り窯という焼成技術なども、江戸時代から
連綿と続けられてきた、庶民に定着していたものづくりの一形態です。

近代化というものが、ものづくりの工業化、産業化によって成し遂げられ、
殊に日本において、短期間に成就することが出来た背景には、
この窯で見られるような、ものづくりにおける、当時の庶民の底力といったものが
有ったのではないでしょうか。

そういった意味で、この窯は近代化以前の姿を宿している、貴重な遺産であり、
しかも未だ生きていて、近代化への道筋を追体験できるという、稀有な存在です。

近代化以来進めて来た、ものの大量生産、大量消費の文明が、
今まさに崩壊しようとしている、最近の世界情勢ですが、

この三津谷の登り窯で、ものづくりの原点を追体験することで、
近代化に至る過程で、落とし、忘れてきた「何か」を再発見できそうな気がします。

ただ単に煉瓦を製造して販売するだけでは、この窯の存続は適わないでしょう。
しかし、体験ということに目を向けた時、この窯の存続へのヒントがありそうです。

理屈めいたことを言わなくても、既に多くの参加している方々の口からは、
そのような事が、語られ始めています。
来年に向けての提案も、多数寄せられています。

・・・・(後略)・・・


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