日本の建物づくりを支えてきた技術-15・補足・・・・開山堂とその図面

2008-11-17 11:24:45 | 日本の建物づくりを支えてきた技術

先回の「開山堂」の継手・仕口分解図、数字などが見にくいので、大きくして再掲します。また、内部:外陣の写真と、仕口の解体時の写真も転載します。仕口の写真は解像度を上げてスキャンしましたが、それでも不鮮明です。
外陣の写真は「奈良六大寺大観 東大寺一」、仕口の写真と説明は「文化財建造物伝統技法集成」からの転載です。
なお、図面記載の寸法は、原本の図中の数字がかすれているので、私が判読して記入したものです。

先回の「繋虹梁」を「頭貫」への取付けが「全蟻」であることについての解説で、「これをみると、むしろ、現代の木造技術は、特に建築法令や住宅金融公庫などが《推奨してきた木造技術》は、数等退化している、と言わざるを得ません。
そして、これらを《推奨してきた方々》は、「頭貫」へ「虹梁」が「蟻」だけで架かっているのを見たら、恐れおののいて、羽子板ボルトで補強せよ、と言うに違いありません。架構全体を見る習慣がなく、部分だけしか見ないからです。」と書きました。
この場合の「全体」とは何のことなのか、説明不足でしたので、あらためて外陣の内部写真をもとに補足します。

上掲の写真の左側が開山堂正面の入口にあたります。そして右手が内陣の入口です。写真の正面は、外陣の側壁になります。
この写真から、入口以外の外壁各面には、「頭貫」の下に、入口の鴨居の高さ(「内法(うりのり)」または「内法高」と呼んでいます)と腰の高さに横材が設けられています。これは2本とも「貫」で、柱相互をつないでいます。内法の貫を「内法貫」、腰の貫を「腰貫」と言います。
入口脇にある「連子(れんじ)窓」(格子の入った窓)は、この二段の「貫」の間にあけられています。

   註 なお、図面では外陣は板張りの床になっていますが、
      写真では土間になっています。
      図面は、ある時期の姿で、
      元来は写真のように、土間であったようです。

それゆえ、建物の外側面の4面(=「外陣」の外側面)は、「貫」で縫われていて、架構全体は格子状の立体になっていると言えるでしょう(ただし、入口部分だけは「腰貫」がありません)。
「貫」は各柱に「楔」で締めつけられていますから、この立体はきわめて頑丈です。
今の(建築法令の)構造の考え方では、一般に立体の強さを「壁」に求めるのが《習慣》になっています。普通「耐力壁」と呼ばれている「壁」です。
しかし、この格子組の立体では、「壁」がなくても、つまり各面が「透け透け」であっても頑丈なのです。これは、竹ヒゴでつくった虫かごが丈夫であるのと同じです。

   註 外陣の外側を囲む柱の脚部にまわっている「土台」様の材は
      「地覆(ぢふく)」と呼び、内部の土間の見切りのために
      後入れする材で、構造にはさほど効いてはいません。
      内陣の脚部は、「大仏様」の方法で、「鐘楼」同様に
      「地貫(ぢぬき)」がまわっています。端部が写真で見えます。
      これは、柱脚を固める部材として構造的に効いています。

「全蟻」で架けた「虹梁」が危ない、と恐れおののくのは、何かの拍子で「蟻」が破損し外れてしまう、と思うからです。
たしかに、この「仕口の部分だけ」をつくって力をかければ、そういう事態は簡単に起こすことができます。
ところが、実際はこの仕口部分が独立してあるわけではなく、建物に組み込まれているわけですから、しかも、先のような頑丈な立体格子の中に組み込まれているわけですから、「蟻」が外れる(破損する)ような事態は起きようがないのです。

ところが、困ったことに、数字信仰の強い《科学者》たちは、全体が見えない(この場合では、立体格子上の一部である、という事実が見えない)上に、「こういう事態は起きようがない」ということを数字化して示さないと《納得できない》と言う人たちなのです。数字で示されない、示すことができないものだから、彼らは恐れおののき、補強、補強、ボルト、ボルト・・・と叫んでしまうことになるのです。
おそらく、医学の世界であるならば、800年間以上も無事であるならば、それは参考になる方法なのだ、と理解するでしょう。それが、どんな実験室での実験よりも優れた実験である、と認めるからです。これが「疫学的」研究の考え方の基本です。

そして、800年という時間をかけなくても、現場で実際に架構組立にかかわる人たちならば、そしてまた、その「現場」を想像することのできる人ならば、「大仏様」の工法、つまり「貫工法」が、いかに優れているか、数字がなくても理解・認識するはずなのです。

だから私は時折り思うのです。
現行法令の構造諸規定の「策定」にかかわる方々、確認申請の「審査」にかかわる方々、そして、構造「計算」にかかわる方々(木造に限りません)は、かかわるにあたって、ペーパーテストではなく、「木工」などの「工作の実習授業」を受けるべきだ、と。それを通じて、仮に「工作」を職としない場合であっても、「想像力」を養うことができるはずだからです。

そして、「工作実習をクリアできない方々」は、「策定」や「審査」や「計算」に、かかわってはならない、と。

次回

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