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事務的なお知らせ・・・・CDの発送について

2010-09-19 20:05:35 | その他
CDご所望の方へ

「伝統を語るまえに」の資料を納めたCDは、明日クロネコ宅急便で発送させていただきます。
恐縮ですが、着払いとさせていただきます。ご了承ください。

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下の写真は、アメリカ・オンタリオ州での納屋(多分家畜小屋)の建て方を移したフィルムからのもの。
1918年のことです。建物の長さは134フィートあった。40メートルです。
こういう建て方があたりまえであったアメリカで、2×4工法がどのような過程で主流になっていったのか、興味が湧きます。
写真は“The Barn”(New York Graphic Society Ltd)から。


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立秋

2010-08-07 19:44:15 | その他
[「昨日」⇒「今日」に訂正:8日に投稿のつもりで書いていて、7日中に入ってしまいました!ので、訂正します]


残暑お見舞い申し上げます。

今日は立秋。
ここ数日、朝晩は涼しいと感じるようになりました。夕暮れも日ごとに早くなっています。

午前中、補足の写真を撮りに、「椎名家」に行ってきました。
この前は1月。半年で、葺き替えた箇所の茅の色は、すっかり馴染んでいました。ほとんど分りません。
このあたりは一面が樹林と畑です。家は飛び飛びにある程度。空気は意外と乾いていて、椎名家の中に入ると涼しい。土間には水が打ってありました。



この前撮った写真に棟の部分がよく写っていなかったので、それを撮るのが主目的。
夏の陽射しの方が強いから、中も明るいかと思ったら、正月の時の方が明るかった。
陽射しの強さではなく、陽射しの角度が効いていることにあらためて気付きました。
1月には、中の方まで陽が入っていた・・・。そういえば、昔の人は、庇の出を、陽射しの角度と相談して決めたようです。

今回、どうにか撮れたのがこの写真。白くポツンと見えるのは火災の感知器です。



椎名家までの道は、霞ヶ浦の湖岸に一旦出ます。途中には、水田と蓮田が並んでいます。今年は、稲が早くも黄色味を帯びています。蓮の花も咲き出していました。
湖岸から丘陵に登ります。登るといっても標高差は25m程度。出島は、全体がこの程度の標高で、そこに小さな谷地田が数多く刻まれています(海進の時代は、小さな入江だったのでしょう。大体その周辺に縄文住居址があり、貝塚があります)。
このあたりは、関東平野のまんなかあたりとは違い、水田よりも畑地の方が多いのではないかと思います。

朝晩は涼しくなったとしても、まだ残暑は続きそうです。
くれぐれもご自愛のほど・・・。

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「壁は自由だ」、次回まで少し時間をいただきます

2010-06-30 16:38:50 | その他


7月の講習会用の資料編集と重なり(新規につくる分が多くなった!)、ブログの原稿の進行が遅れています。
1日にはと思っていたのですが・・・。ざっと見て、まだ半分ほど残っている。

というわけで、「壁は自由だ」、次回までもう少し時間をいただきます。

写真はムクゲ。去年は7月に入ってからでしたが、今年はすでに先週からポツポツと咲き始めました。
ここしばらくなかった梅雨らしい天候がムクゲ向きなのか?

今日もまた、朝から、霧のように雨が散っています。

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梅雨の晴れ間・・・・「あたりまえ」ということ

2010-06-24 16:35:39 | その他


沖縄の慰霊祭で読まれた高校生の詩の全文です。今朝の毎日新聞からの転載です。

「普通なら受け入れられないもの」「当たり前であってはならないもの」そして「違和感」も、毎日、「日常」として目の前、身のまわりにあり続けると、「当たり前」になってしまう、この怖さ。
彼女は、それを「変えてゆく」と言う。

私たちは、どうなのだろう。
「慣れ親しんで」しまってはいないか、あるいは「進んで擦り寄って」はいないだろうか。そうするのが当たり前だとして。

今日は、午後から、快晴になりました。まさに梅雨の晴れ間。栗の花が落ちています。
「栗花落」と書いて「つゆ」と読むそうです。


下の写真は“History of World Architecture;Romanesque Architecture”所載の、初期ロマネスクの教会堂(Torrello,Cathedral of Santa Maria Assunta)です。
気持ちのよいつくりです。
屋根は木造の合掌。
石の壁・アーチを木材で結ぶ。柱頭の部分で段差をつけて交差していますから、石壁を貫通している筈です。
タイ・バー( tie bar )と呼ぶのでしょうが、言うなれば「飛貫」です。
イスラム教の寺院:モスクの影響が感じられます。

      

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突然ですが、ご案内

2010-03-25 19:05:46 | その他
[チラシの部分、字が見にくいため更改しました 26日 18.36]



冷たい雨が降りしきる日が二日も続いています。寒い。
数日前から咲いているハナニラも寒そうです。これは、晴れた日に撮った写真です。


突然ですが、「伝統木構造の会」主催の講習会で、4月から6回(1回/月)話をさせていただくことになりました。
場所は、東京・上野、芸大の教室を借りるとのこと。

講習会の標題は「伝統を語るまえに」と、まるで「伝統木構造の会」に殴り込みをかけるみたいな題名ですが、別に他意はありません。
素直に、自然体で、日本の建物づくりを観ようではありませんか、という主旨にすぎません。
内容は、これまでブログで書いてきたことを越えるものではありません(あたりまえです)。

「会」から送られてきました案内チラシを、以下にそのまま転載します。



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水戸の講習会:「日本の建物づくりに学ぶ」最終回

2010-02-18 20:39:11 | その他
20日土曜日の表記のための資料づくり。これまでの資料の再編に過ぎないのですが、結構手間取っています。
今回の資料は、「日本の木造軸組工法の典型-3、-4、-5」
「3」は、いわゆる「書院造」の基になった建物「東福寺・龍吟庵(りょうぎんあん)方丈」「大徳寺・大仙院方丈」そして「園城寺(おんじょうじ)光浄院(こうじょういん)客殿」がらみ、「4」では、書院造を好んだ武士たちの住居として山口県岩国の「目加田(目加田)家」、長野市の「横田家」をとりあげ、「5」では、商人の住居として「今井町・豊田家、高木家」をあつめています。
どれも、ブログで紹介してますが、編集整理で結構時間を費やしています。おまけに連日の雪。寒い寒い・・・。
そんなわけで、本題は、明日以降になる予定です。

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お知らせ:水戸の講習会「日本の建物づくりに学ぶ」の件

2010-01-10 23:14:04 | その他
標記の茨城県建築士事務所協会主催「建築設計講座」

  次 回 1月16日(土)1.30~4.30PM
  場 所 茨城県開発公社ビル3階
  受講料 一般4,000円、会員3,000円
  会場にはまだ余裕があります。
  事務所協会 029-305-7771までお問合せください。

先回は、県外の方がかなりお見えになりました。
聴いてくださる方のご意向が何となく分りましたので、
今回は、浄土寺浄土堂、古井家、箱木家の架構を観ることを通じて、
日本の木造軸組工法について考えることにしています。
A4判両面で30頁ほどの資料(図面等)の準備はほぼ終了。
古井家の架構模型(1/30)も製作中ですが、間に合うかナ?という段階です。

    
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工事中のお知らせ

2010-01-04 23:17:14 | その他
ただいま工事中です。
新年早々、5年目のスキャナーが故障し、準備が遅れています。
明日いっぱいで編集工事が終りそうですので、
6日頃に復旧する予定です。

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予告・・・・もうすぐ復旧

2009-09-30 15:58:41 | その他
当面の締切り仕事は、何とか終りに近づきました。

今年は、何となく、秋の花々が早いような気がします。

近所の畑が一面のコスモスの叢になっています。
耕作をやめてからしばらく経って、道との地境にあったコスモスが、全面に進出したようです。

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雑感・・・・ヨク

2009-09-05 18:49:19 | その他
ただいま、図版の工作中です。少々、遅れ気味。

例の「読本」を送らせていただいた方から、次のようなメッセージがありました。
「・・・頂いたファイルが WORD 形式である点(つまり変更が可能になります)と、credit がない点(お名前が見当たりません)が少し気になりました。・・・」
私は、概略次のように答えました。
「・・・credit の件、私は気にしていないのです。むしろ、下山が言った事だから・・・とかいう具合に見られることの方を私は嫌います。要は、書かれている事自体の当否の問題。
私は別に、私の存在を示すためにこういうことをやっているのではありません。
古建築をご覧になって、これを誰が設計したか、気になさりますか?
『いいものはいい』、それでよいと私は思うのです。そして、それこそが関わった工人への賛辞にほかならないのだ、そう思います。昔の工人は、自分の存在を示すためにつくったのではないからです(もっとも、見えないところに、たとえば枘に名前を書いたりはしています)。
また、『読本』を悪用する人がいたらいたで、それも別に気にしません。・・・」

どういうわけか、日本では(「近代化」を目指してからですが)、ある頃から、「事の当否」ではなく、「誰が言ったか」とか、「発表論文があるか」などが「ことの判断の物指し」になってしまいました。若い頃から、そういう「処し方」は、私の性に合いませんでした。

数日前に、客人がありました。元学生さんです。その方にも、「読本」と収録したCDをお渡ししました。そのとき、彼女が言ったことばは、「タダで配っていいんですか、欲がないですね・・」でした。これも私にとっては意外なことばでした。
私にだって欲や色気はあります。ただ、欲や色気のために何かをする、という気にはなりません。欲や色気は、何か行動を起こすときの動機付けになることもあるとは思います。しかし、それが目的になってしまったら、変な話ではないですか?
以前にもいろいろな情報を「惜しげもなく出してしまうなんて・・・」と言われたことがあります(前に書いたように思います)。「情報」を、いろんな人が知って、何か悪いことがあるのでしょうか?それで、私が何か「損」でもするのでしょうか?

こんな風になってしまったのは、どうやら明治の「近代化」以来のようです。
昨日(9月4日)の毎日新聞のコラム「余録」には、次のようにありました。
「薩長の官軍に反感を抱く江戸の市民は慶応が明治になった時、こんな狂歌を詠んだという。《上からは明治だなどといふけれど、治明(おさまるめい)と下からは読む》。上からの近代化を成功させた明治維新だが、下々の庶民は反発することも多かった。・・・新政権は旧慣廃止のため庶民生活のすみずみに指導の目を光らせ、違反があれば・・摘発した。・・・官の民への教化、指導は日本の近代化の特質となる。・・・公益をたてに、官が民を指導する官治主義は、戦後民主化の後も自民党長期政権の支柱をなしてきたように見えるからだ。・・・攻守所を変えて新政権が『官』への圧倒的な指導力を示さなければならない。でないとほどなく《上からは民主だなどというけれど、主民(あるじ見えん)と下からは読む》の歌が聞かれそうだ。」

自らの欲と色気の実現を第一と考える人が多くなったのは、言い換えれば、「情報を独り占めにしたい」と思う人が増えたのは、自らを「官が民を指導する官治主義」になぞらえたい、あわよくば「指導する側」にわが身を置きたい、と思う人が多くなったからなのではないか、と私は思います。
現に、「官」は、「情報」を独り占めにし、ときには「事実」を隠すではないですか。
そして、「指導する側」に立つ人たちもまた、「情報」を独り占めにし、ときには「事実」を黙殺しているではないですか。


写真は、そろそろお終いのキバナコスモス。
このあたりでは、自分の敷地と舗装道路との間の僅かな隙間に、それぞれがいろいろな草花を植えています。これもその一つ、毎年増えてきて、今年あたりは、道路の上にまではみ出して咲いています。
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