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建築にかかわる人は、ほんとに《理科系》なのか-1・・・・耐震スリット

2006-10-23 20:30:31 | 専門家のありよう
 構造計算偽装問題[はなやか]なりし頃、私の世代では聞きなれない「耐震スリット」なる言葉がTVで語られていた(あるいは私の勉強不足?)。いわく「耐震スリットを設けていないから設計ミスだ・・・」云々。
 どうやら鉄筋コンクリート造(以下RCと書く)の建物で、「構造耐力を持たせるRCの部分」と「耐力を持たないRCの部分」とが接する場合、両者の間にスリットを設ける、ということで、多くの建築関係者が、[律儀に]これを守っているらしい。

 建築の仕事は、昔から(少なくとも第二次大戦後このかた)、「理科系」と言われ、そのためには、数学と理科ができることが必要、とされてきた。そして、ある頃からは、度が過ぎて、理数系だけを必死に勉強し、他の分野について学ぶことをおろそかにする傾向が生じている。特に、今30代から40代の方々に、その傾向が顕著のように私には思える。

 さて、理科系が得意なはずの人たちが、なぜ先の《耐震スリットの必要性の理屈》を[律儀に]守ってしまうのか。
 ほんとに理科系が得意なら、《耐震スリットの理屈》に疑問を呈して当然ではないだろうか。

 《耐震スリットの理屈》には、大きく二つの疑問がある。
 その一。構造物を、「外力に応じる部分」と「外力に応じない部分(言い方を変えれば《お荷物》になる部分)」とに分けるのは、ご都合主義も度が過ぎる。それとも、外力は、人が[勝手に決めた]通りに働いてくれるのか?
 これは、木造建物の《耐力壁》:筋かいなど:を設けるという[考え方]に共通する。

 その二。構造物をつくるときに、なぜ、わざわざ《お荷物》にしかならない箇所:dead lordにしかならない部分:をつくるのか。
 構造物をつくるとき、特にRCのような重い材料を使うとき、つくられるすべての部分:形が、できるだけ外力に対して有効に働くように考えるのが『常識』ではないか。
 昨日「マイヤールの仕事」を紹介したのは、彼が、本当の意味で「理科系」の人物であったこと、ものごとを理詰めで考える人だったこと、を知って欲しかったからでもある。彼のRC造には、無駄がない。すべての部分が意味がある。しかも美しい。

 『理』とは「すじみち」のこと、「ものごとをすじみちを通して考えること」が「理科」であり「科学」のはずだ。それは決して、数学や物理の問題が解ける、計算がうまくできる、ということではない。単に計算ができても、それは「理科」「科学」を習得できていることではない。
 残念ながら、最近のいわゆる「理科系の人」は、計算はできても「理詰めで考える」のが不得手のようだ。
 「木造住宅耐震診断士」という「資格」がある。先日、その資格を得た幾人かと話をする機会があった。当然「木造」を理解しているものと思った。しかし違った。理解しているのは、木造建築にかかわる法律だった。「木造に関する法律の理解≠木造の理解」なのは自明ではないか。《法律の規定を充たせば耐震建物になる》と、ほんとに思っているのだろうか。恐ろしい話だ。
 私には、「理科系の人」ほど、理科系ではないように見える。

 なぜこんな事態になってしまったのか?
 それは、次の機会に。 
 
コメント (13)
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