私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

フランツ・ファノン

2017-05-31 22:01:56 | 日記・エッセイ・コラム
 ある英語の論考を読んでいたら、米国についてのフランツ・ファノンの発言に出会いました。『地に呪われたる者』の中の言葉ですから、読んだはずですが、訳書(鈴木道彦、浦野衣子訳)が手元にありませんので目についた英語訳を引用します:
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Two centuries ago, a former European colony decided to catch up with Europe. It succeeded so well that the United States of America became a monster, in which the taints, the sickness and the inhumanity of Europe have grown to appalling dimensions.
— Frantz Fanon, The Wretched of the Earth, pg. 253-4, 1963
「2世紀前、以前のヨーロッパの植民地の一つがヨーロッパに追いつくことに決めた。それがあまりにもうまく成功したのでアメリカ合州國は一つのモンスターになった。そこでは、ヨーロッパの病菌と疾病と非人間性が凄まじい次元にまで膨れ上がってしまった。」
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フランツ・ファノンはこの文章を1960年の時点で書きしるしたに違いありません。彼には、今私が見ているアメリカがもう見えていたのです。フランツ・ファノンは1925年7月20日生まれ、1961年12月6日、米国の病院で白血病のため死亡(満36歳余)。私の生まれは1926年5月23日、1961年にはシカゴ大学にいました。アメリカ生活の豊かさと自由を礼賛しながら。ファノンと私、何という違いでしょう! What a fool I was!

藤永茂(2017年5月31日)

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2 コメント

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メ・セゼールと異なる道を歩んだ人 (海坊主)
2017-06-02 14:45:23
フランツ・ファノンの師、エメ・セゼールは優越主義・人種差別主義にその基盤に置く欧米型植民地主義を批判し、黒人を本来の地位に据え戻すべくネグリチュード(黒人性)運動を展開しました。ネグリチュードは「黒人は、元来素晴らしい存在である」という自己肯定を元にしていると私は解釈していますが、このネグリュード運動は欧米型植民地主義の意趣返しに陥りかねない危ういものでもある、とも考えています。ネーションオブイスラム時代のマルコムXの分離主義にも通底する部分も透かし見えます(晩年のマルコムXは人種差別主義から解放され、階級闘争・社会的不平等是正運動にシフトしていきます)。

宗主国(フランス)の大学に進学すると、フランツ・ファノンは自分が白人社会の黒人エリートとしての道を歩みつつあることに悩むようになりました。宗主国においては開花された立派な黒人紳士として、本国では特権階級の一員として約束されたかのようです。彼が『黒い皮膚・白い仮面』を書いたのはそんな時期だったのでしょう。やがて、彼は分岐点に立って進む道を選ぶことになります。成功を夢見る黒人エリートへの道、エメ・セゼールが歩んだネグリチュードへの道、あるいはそのいずれでもない道。「黒い皮膚・白い仮面」で自らと向き合ったフランツ・ファノンは黒人エリートでもネグリチュードでもない第三の道を歩み始めます。

精神医学を学んだことは彼にとって職業の選択以上に大きな事柄だったに違いありません。のちに『地に呪われたる者』の「植民地戦争と精神障害」に書き記したように、加害者と被害者の双方の精神が同じように虐げられ蝕まれて病んでいくことを知るのです。敷衍して言うなら、植民地主義を押し通そうとするヨーロッパ、それに従属させられる第三世界、いずれの両者も病んでいる、いずれも正常な存在ではなく正常な関係にない、と彼は悟ったと私は思うのです。

そうして考えてみますと、フランツ・ファノンが痛烈に批判したヨーロッパとは、優越主義・人種差別主義にその基盤に置く欧米型植民地主義を是とする者たち、それらに無知で平気な者たち、自分たちでそれらを変えようしない者たち、あるいはそれらを変える事は不可能と決め付けている者たちの集合体を指していると思います。そして、ヨーロッパに広がる古き信仰や慣習、制度、思考などに囚われているこの虜囚達に隷従し続けている者達に対しても彼は批判の手を緩めませんでした。その隷従関係を甘受することはヨーロッパを承認することでもあるのだ、とでも言うように。

藤永先生、人間に遅いというものは無いと私は思います。気付かずに一生を終える者、知りつつも避けてやり過ごす者は数知れません。そんな彼らに比べれば、何かに気づくことが出来た、何かを知ることが出来ただけでも私たちは幸運です。フランツ・ファノンは人種的偏見、植民地主義的社会に若くして触れていたがゆえに早く気づいたのであって、私たちがもしその場に居たのなら、彼ほど鋭敏にではないでしょうが、きっと気づいたことでしょう。
海坊主さん、すてきな文章をありがとうございます。 (桜井元)
2017-06-02 21:16:14
海坊主さん、とても勉強になる、またお心のこもった文章をありがとうございます。

藤永先生は、お書きになる文章からわかりますが、とても謙虚なお方ですから、今回のブログ記事の末尾のようなことを、時折お書きになられます。そういうところが先生らしい美点ですが、一方で、そういう一節に触れますと、あまりに痛々しく感じてしまい、「そこまでご自身に厳しくならないでください」と思ってしまいます。

海坊主さんのコメントは、そんな先生に対する、お心のこもった温かいメッセージになったものと思います。

それにしましても、海坊主さんはいろいろなことを深く勉強されて、万民にわかりやすい文章をお書きになりますね。私は、自分自身が恥ずかしくなります。先生のブログに触発されて、時折、長いコメントを投稿いたしておりましたところ、先生からのご厚意で「寄稿してみませんか」とお声をかけていただきました。自分の能力もわきまえず、寄稿していたのが恥ずかしいです。海坊主さんのような方こそ、先生のブログに寄稿されるのにふさわしいと思います。私は、海坊主さんの文章をじっくりと読んでみたいです。

気の利いたハンドルネームも思いつかず、また、「実名の方が責任あるコメントができるのでは」などと青臭いつっぱった意識がはたらき、実名をさらしてコメントや寄稿をしてきたのですが、そういう態度すら恥ずかしいかぎりです。

いま購読している新聞に「共謀罪で日本は監視社会になる」というスノーデン氏の警鐘が掲載されていましたが、そうなれば実名も匿名も意味はなく、すべてが監視され、追跡されるのでしょう。今でさえ、反戦ビラの投函が住居侵入罪で検挙されたり、重病をわずらう沖縄の反基地闘争のリーダーが恣意的逮捕で長期拘留されるという日本です。共謀罪が通ればどうなっていくことか。

藤永先生のデジタル小説『オペ・おかめ』や、ブログ記事「クリントン夫妻もキル・リストに」などが、殺人共謀の嫌疑や言いがかりをつけられて、権力によって言論活動への妨害や圧力をかけられていく―。本当に「笑い話」ではすまない、そんな恐ろしい日本になりつつあると思います。

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