コンゴの今後(4) 2009-07-22 16:33:34 | 日記・エッセイ・コラム 尿道結石のため、今回は休みます。 藤永 茂 (2009年7月22日) « ホンジュラスの憲法(続) | トップ | オバマ大統領は頼りになりま... »
5 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 貴ブログを訪ねてから10ヶ月ほどになります。この... (木原 健一) 2009-07-22 22:34:01 貴ブログを訪ねてから10ヶ月ほどになります。このブログで知った《闇の奥》《闇の奥の奥》に触れて、アフリカの歴史の一端をはじめて知ったような次第です。以来、毎週水曜日のブログ更新を楽しみに訪れています。今日は更新がおそいな、と思って何度か開いてみました。理由は《尿道結石のため》だったのですね。くれぐれもお大事にしてください。そして、また早やかに再開してくださるようお願いします。 返信する お病気と伺いました。どうぞ、一日も早いご快癒を (hideichirou) 2009-07-25 23:29:20 お病気と伺いました。どうぞ、一日も早いご快癒をお祈り致します。休暇を利用して、貴ブログをはじめから全て読み上げております。アフリカ史には、文字どうり目から鱗が落ちる思いで接し、ヨーロッパ観は、膝を打つ思いで読んでおります。どちらにしろ、重い思いで、ここ中欧の暑さも忘れます。ゆっくりご養生なさいませ。そして、またお元気にブログを再開なさいます様に。 返信する いつも毎週水曜日楽しみに(と書いてよいかは迷い... (m_debugger) 2009-07-27 14:47:07 いつも毎週水曜日楽しみに(と書いてよいかは迷いますが。重く受け止めるべき内容ばかりですので)読ませていただいております。ご病気とのこと、くれぐれもご無理をなさらずにご静養ください。どうかお体ご自愛くださいますよう。 返信する いつも拝見させていただいております。 (m) 2009-08-03 00:01:45 いつも拝見させていただいております。ブログの内容は、私の不勉強ゆえ、はじめて知ることばかりで、更新なさって下さるのを、感謝しておりました。ありがとうございます。その後、お体の調子は如何でしょうか。一日も早いご回復を、心からお祈りしております。 返信する 藤永先生、 (田邊 ヨシハル) 2009-08-16 06:32:04 藤永先生、コンゴのこと、カタンガのことを書いてくださってありがとうございます。僕は今年夏、6月にルブンバシに二度目の訪問をしてから『日本カタンガ協会』という組織を作ることにしました。コンゴ人が可哀想などとは微塵もおもっていません。コンゴ人も日本人と同じくらい愚かである、フランス人もアメリカ人と同じくらい愚かであるという考えが根底にあります。コンゴ人と日本人の違いなんて思うほどないのです。取り上げられた英語論文を読みました。「コンゴは存在しない」とは僕も思います。幻想としての国家は確かにあります。しかし行政が全くといって機能していない。それでもそこには「人」が存在します。僕たちと変らぬ「人たち」が。しかも愛すべき人たちが。近代国家概念でいえば、国家ではない国家、それがコンゴです。しかし、国境を作ったのは西欧の近代です。コンゴの人たちが望んで引いた国境ではありません。national identityの欠如は否定的に考えることも出来ますが、アフリカ人というidentityが勝っても問題はないでしょう。Lumumba批判はいくらでも出来ますが、彼の云った「これからの歴史は自分たちが書くのだ、これまで西欧によって書かれた歴史ではなく、自分たちが書いていくのだ」とは当を得ているでしょう。identityは作っていけばいいのです。今はサッカーの試合のときしか「統一」コンゴを人々が意識しなくても。国家としては中央集権的国家、フランスや日本などがありますが、スイスのように地方の力が中央(ベルン)よりも圧倒的に強い国もあります。コンゴが選ぶ体制として、どのような体制を選ぶかは彼らにまかせればいい。全く新しい道を創造するかもしれません。コンゴにフランス語を広めたのはベルギーにちがいありません。支配者の言語でした。しかし、フランス語は諸刃の剣です。世界で初めて革命をした国の言葉です。ルソーやヴォルテールの言葉でした。多言語国家の道具として悪くない言葉だと思います。僕は今、アルジェリアにいます。アルジェリアは教育を間違ってしまいました。息苦しい国になりました。まもなくラマダンに入りますが、もはや宗教的意味合いはなく、お祭り騒ぎの日々です。宗教を利用しようとした国家が宗教に呑まれ盲(めしい)たというのが僕の2年半たっての今回の印象です。アルジェリアについては10月にこの国を離れてから書きます。また投稿します。ご自愛のほどを。david yoshiharu tanabe@Constanitne, Algerie 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
お祈り致します。
休暇を利用して、貴ブログをはじめから全て読み上げております。アフリカ史には、文字どうり目から鱗が落ちる思いで接し、ヨーロッパ観は、膝を打つ思いで読んでおります。どちらにしろ、重い思いで、ここ中欧の暑さも忘れます。
ゆっくりご養生なさいませ。
そして、またお元気にブログを再開なさいます様に。
ご病気とのこと、くれぐれもご無理をなさらずにご静養ください。どうかお体ご自愛くださいますよう。
ブログの内容は、私の不勉強ゆえ、はじめて知ることばかりで、更新なさって下さるのを、感謝しておりました。
ありがとうございます。
その後、お体の調子は如何でしょうか。
一日も早いご回復を、心からお祈りしております。
コンゴのこと、カタンガのことを書いてくださってありがとうございます。
僕は今年夏、6月にルブンバシに二度目の訪問をしてから『日本カタンガ協会』という組織を作ることにしました。
コンゴ人が可哀想などとは微塵もおもっていません。コンゴ人も日本人と同じくらい愚かである、フランス人もアメリカ人と同じくらい愚かであるという考えが根底にあります。コンゴ人と日本人の違いなんて思うほどないのです。
取り上げられた英語論文を読みました。
「コンゴは存在しない」とは僕も思います。
幻想としての国家は確かにあります。しかし行政が全くといって機能していない。
それでもそこには「人」が存在します。僕たちと変らぬ「人たち」が。しかも愛すべき人たちが。
近代国家概念でいえば、国家ではない国家、それがコンゴです。しかし、国境を作ったのは西欧の近代です。コンゴの人たちが望んで引いた国境ではありません。national identityの欠如は否定的に考えることも出来ますが、アフリカ人というidentityが勝っても問題はないでしょう。Lumumba批判はいくらでも出来ますが、彼の云った「これからの歴史は自分たちが書くのだ、これまで西欧によって書かれた歴史ではなく、自分たちが書いていくのだ」とは当を得ているでしょう。identityは作っていけばいいのです。今はサッカーの試合のときしか「統一」コンゴを人々が意識しなくても。
国家としては中央集権的国家、フランスや日本などがありますが、スイスのように地方の力が中央(ベルン)よりも圧倒的に強い国もあります。コンゴが選ぶ体制として、どのような体制を選ぶかは彼らにまかせればいい。全く新しい道を創造するかもしれません。
コンゴにフランス語を広めたのはベルギーにちがいありません。支配者の言語でした。しかし、フランス語は諸刃の剣です。世界で初めて革命をした国の言葉です。ルソーやヴォルテールの言葉でした。多言語国家の道具として悪くない言葉だと思います。
僕は今、アルジェリアにいます。アルジェリアは教育を間違ってしまいました。息苦しい国になりました。まもなくラマダンに入りますが、もはや宗教的意味合いはなく、お祭り騒ぎの日々です。宗教を利用しようとした国家が宗教に呑まれ盲(めしい)たというのが僕の2年半たっての今回の印象です。アルジェリアについては10月にこの国を離れてから書きます。
また投稿します。
ご自愛のほどを。
david yoshiharu tanabe@Constanitne, Algerie