私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

人種差別(racism)(1)

2020-09-09 23:04:53 | 日記・エッセイ・コラム

 先月、朝日新聞で、米国ではロビン・ディアンジェロという白人の女性社会学者が2018年6月に出版した『白人の脆弱さ(White Fragility)』という本が、今年の夏になってベストセラー(ノンフィクション部門)のトップの座を長期間占めたことを知りました。本書の紹介者宮家あゆみさんは、

“表題の「白人の脆弱さ」とは、11年前に著者が作り出した専門用語。白人が「最小限の人種的ストレスを受けただけで耐えられなくなり、様々な自己防衛的な行動をとる状態」を表す。例えば、ベージュのクレヨンを「肌色」と呼ぶのは不適切ではないかといった簡単な質問にも、白人は動揺し、早口で弁明する、沈黙する、話題から逃げるなどの反応を示すという。”

と解説しています。人種差別の問題に強い関心を持っている私は、早速注文して取り寄せました。200ページ足らずの本ですが、読み辛い、私にとっては、なかなか難解の本です。アマゾン(米国)のこの本の購入者評価の数は12,676にも登っています(9月2日)から、余程の評判なのでしょう。識者による書評も沢山あります。一例として雑誌「アトランティック」のもの:

https://www.theatlantic.com/ideas/archive/2020/07/dehumanizing-condescension-white-fragility/614146/

を挙げておきます。この主題「白人の脆弱さ(White Fragility)」についての

ディアンジェロさん自身の講演動画もいくつか見聞できます:

https://www.youtube.com/watch?v=45ey4jgoxeU

 このWhite Fragilityという言葉に対する私の最初の(本を読む前の)直感的な反応は「変な言葉だなあ」というものでした。北米大陸の白人の持つ人種差別感情のどの面が脆く弱いのだろう!? 最近はWASP(White Anglo-Saxon Protestant) という言葉は耳にすることも目にすることも殆どなくなりましたが、私が北米白人社会に接し、その中での生活を経験するようになった1950年後半からの半世紀間、WASPという言葉で括られる北米白人たち一般に“脆弱さ”を感じた記憶はありません。

 人種差別の問題は私にとって大変難しい問題で、よく分からないままで死んでしまうことになると思います。その核心的な問題はユダヤ人問題です。ルイ=フェルディナン・セリーヌ(Louis-Ferdinand Céline)という特異な作家がいます。十数年前、私はこの人を通じてユダヤ人問題に近づこうと思い立ったのですが、もう時間切れです。あまりにも遠回りの道を選んでしまいました。

しかし、人種差別について、私にはっきり分かっていることもあります。ロビン・ディアンジェロさんが編み出して、今、評判になっているWhite Fragilityという胡散臭い学問的専門用語の議論などには深入りせず、北米の歴史ではっきりしている事実と、私自身の経験だけに限って、人種差別についての私の思いを述べてみようと思います。

 『White Fragility』と同じ頃にShawn Swankyという人の筆になる『THE GREAT DARKENING』(2013年出版)という本を入手しました。この本によると、1862年から1863年にかけての1年間に、当時英国の植民地であった(カナダ西岸の)ブリティッシュ・コロンビアで、入植民が意図的に伝染させた天然痘によって、10万人のオーダーの先住民が死にました。この地に住んでいたティルコティン族やハイダ族などの先住民のほぼ90%が病死し、の全員が死んでしまった場合もあったようです。先住民にはもともと土地の所有権の概念がなく、疫病で住民が消失あるいは激減した土地は、たちまち、白人の奪うところとなりました。この入植英国白人の暴虐に対して過激化した先住民(ティルコティン族)たちが武力反抗に立ち上がり、入植白人14人を殺害するに至りましたが、反乱は鎮圧され、捕らえられた5人のティルコティン族反乱指導者は、もっともらしい裁判の上、見せしめの為、公開の絞首刑に処せられました。その日1864年10月26日は、現在も、先住民の記憶の中に生きているとのことです。この史実に興味のある方は、次のサイト:

http://www.shawnswanky.com

をのぞいてみて下さい。

 英国白人(WASP)が北米先住民を天然痘菌で殺戮した例としては、米国北部のデトロイトの辺りで起こったいわゆるポンティアック戦争(1763年〜1766年)中の事例が有名です。ポンティアックは先住民側の軍事勢力を代表する“酋長(チーフ)”でしたが、強力な権力者の役柄を担っていたわけでも天才的な武将でもありませんでした。ただ不法残忍な侵入者に対する先住民たちの激しくも正当な憤怒のシンボルとして入植白人たちの目に焼き付いた存在でした。英国軍側の総司令官はジェフリー・アマースト将軍で、彼の着想に従って、部下が天然痘菌を付着させた毛布を先住民側に渡したことになっています。近年、その真偽についての疑問が持ち上がっていますが、ジェフリー・アマーストが天然痘を伝染させて先住民を殺戮するアイディアを抱いたことは歴とした史料によって確認できます。北米の英国軍に対する先住民軍の攻撃は熾烈を極め、その戦士たちの勇猛さは英国軍と入植白人たちに衝撃を与えるに十分、白人側が先住民を殲滅するのに手段を選ばない心理状態に落ちたのも当然でした。同時に、チーフ・ポンティアックの名は、北米先住民の勇猛さ、かっこよさのシンボルとして北米入植白人の心に刻み付けられたのだと思われます。

 1776年はアメリカ独立の年です。ポンティアック戦争が戦われたデトロイト地域は、やがて、世界を席巻する米国の自動車産業の大中心となり、ポンティアックの名はゼネラルモーターの製造車のブランド・ネームの一つとしてとして、世界中に知られることになりました。私の北米生活で最初に購入したのはポンティアックの中古車でした。

 『THE GREAT DARKENING(大いなる暮色)』(2013年出版)が告げる天然痘伝搬による民族浄化(ethnic cleansing)の事件(1862年〜1864年)を私はこの本で初めて知りました。この事件がブリティッシュ・コロンビアのローカルな先住民以外の人々に知られていないのは、英国白人(WASP)達による意図的な歴史の歪曲抹消の結果です。 この事件はポンティアック戦争(1763年〜1766年)から約100年後の出来事ですが、これからまた100年後に目を移してみると、私の眼前に一つの注目すべき著作がクローズ・アップします。カナダで1941年に初版が出版されたエミリー・カー著『クリー・ウィク』(Emily Carr : KLEE WYCK) です。エミリー・カー(1871年〜1945年、白人)はカナダの女性画家として、おそらく、世界中で最もよく知られた人でしょう。オクスフォード大学出版局から出版されたこの本は出版直後から大変な賞賛を浴び、時のベストセラーになって、亡くなる少し前の70歳でのこのデビュー作で彼女は一躍作家としての地位を確立したのでした。1951年、“カナダの古典”というシリーズを出しているクラーク・アーウィンという出版社がオクスフォードから版権を買い取って『クリー・ウィク』を継続して出版し、その後の50年間、北米や英国で永続的に版を重ねてきました。日本でもエミリー・カー著『カナダ先住民物語』というタイトル、上野真枝さんの立派な翻訳で、2002年に出版されました。

 ところが、2004年になって、別の出版社から『クリー・ウィク』の初版本を復元した新版が出版され、その解説的序文から、クラーク・アーウィン社から出版販売されていたものは、1941年の原著から2300語以上を削除したものであることが分かります。では、どの様な内容の文章が、どんな理由で削除されたのか?

 北米大陸に乗り込んできたWASP(White Anglo-Saxon Protestant) 達が本心で望んでいたことを直截に言ってしまえば、それは先住民の皆殺し(extermination)です。ジェノサイド(genocide)です。民族浄化(ethnic cleansing) というむごたらしく汚らわしい言葉もあります。皆殺しが地域的に成し遂げられる場合もあります。米国西岸のカリフォルニア州はその好例でしょう。しかし、エミリー・カーが生まれ、生活したカナダの西岸ブリティッシュ・コロンビア州ではかなりの数の先住民が生き残りました。WASP白人勢力が政治権力を握った州政府はハイダその他の先住民に強引な同化政策を適用し、彼らの伝統的な生活文化を破壊しようとしました。その先鋒の役を担ったのが、キリスト教の宣教師達でした。先住民の生活文化に強く心を惹かれ、政府の同化政策に反対であったエミリー・カーは『クリー・ウィク』の初版の中に、とりわけ宣教師達の振る舞いに対する批判を込めた文章を沢山書き込んでいました。そうした、同化政策を推進する勢力の神経を逆撫する様な文章が組織的に『クリー・ウィク』の原文から削除されてしまっていたのです。

 ポンティアック戦争(1763年〜1766年)での英国軍側の総司令官ジェフリー・アマースト将軍の天然痘菌使用の発想、1864年、ブリティッシュ・コロンビアでのティルコティン族反乱指導者達の公開絞首刑、1951年からの半世紀にわたる『クリー・ウィク』の内容削除の継続と、この三つの事件のつながりが浮き彫りにするものは、アングロサクソン白人(WASP)達の首尾一貫した強固な人種差別の姿勢です。その強靭な心理に脆弱さなど見当たりません。敢えて言えば、このWASPの危機的状況下に、一種学術書の様な装いで『白人の脆弱さ(White Fragility)』が出版され、それがベストセラーになる現象の裏に、アングロサクソン白人達の強かさが伏せられている様に、私には思われます。

 1950年代の終わりから、非白人として北米大陸での生活を50年間経験した私は、それなりに人種差別についての考えを蓄積してきました。次回には私自身の実体験を中心にお話をしてみます。

 

藤永茂(2020年9月9日)


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1 コメント

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Unknown (竹村正人)
2020-09-24 00:56:25
いつも有り難く読ませていただいています。わたくし自身はオーストラリアに住んで7年になります。高校生の頃はアメリカに憧れて英会話の勉強に熱中したこともありました。イラク戦争の前の時期です。藤永先生のブログから、自分の知らなかった憧れの裏の世界を垣間見てギョッとする日々です。移民としてオーストラリア先住民の歴史とどう向き合ってゆこうか、模索中です。ありがとうございます。
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