glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

プラハ散歩: LA TRIA

2005-05-19 09:11:37 | Weblog
 先日書いた文が消えていたのでまた書き直しです!!   
             

 王宮前の大通りに大きな鳥かごが置いてありました。『まるで人もはいれる見たいに大きいね。』と言うとイジナは『人を入れたのよ!』と答えました。
 昔、姦通をした女は数日間裸でこの檻に入れさらし者になったそうです。男性にはなんの咎めもありませんでした。どこの世界も女性には厳しかったのです!!

 小さな橋を渡り、カレル橋を上の方に見ながら川岸の公園を通って地下鉄の駅へ。公園で日向ぼっこしているのは地元の人ばかりです。風が菩提授の香りを運んできて楽しい散歩道でした。

 マクスが案内してくれたレストランは駅から数分のちょっと薄暗い店でした。天井近い壁にはどこかで見たような沢山のデッサンが飾ってありました。

 中学生の時だったでしょうか。≪兵士シェヴィクの冒険≫という本を読んだことがあります。覚えているのはシェヴィクがひとりで歩いていて、喉が渇きマルメロの実を取って食べる場面です。マルメロがみずみずしく美味しそうだったので食べたいなあと思い記憶していたのです。後にチェコ文学を研究している人からマルメロは日本のカリンと同じ種類だと教えられ、庭に実ったカリンを食べてみましたが美味しくありませんでした。

 この店はシェヴィクの話を書いたハシェックが通っていた店なのです。主人はエスペラントが話せないのに外国人がきたのを喜んで、料理を運んできてはハシェックの絵の話に余念がありませんでした。彼は凄い放蕩者でいつもお金が無く、また金が入ると仲間を集めてドンチャン騒ぎをしてすべて使い果たし食事代にこと欠くと代金変わりの絵を書いていたそうです。私たちが座った大きなテーブルは彼の書斎でもあったそうです。

 マクスが言ったように何クローネか忘れましたが値段も安かったですし美味しかったです。私は彼の勧めでサワーキャベツ付きのクネドゥリーキとビールでした。チェコ人はタマネギ付を食べる習慣があるそうですが、マリエが後で自分が作って食べさせると私のをメニューを変更させたのです。

 これで、プラハ散歩は終わりです。店を出て数十メートル歩くと古い街並みの上に長い橋が掛かっていてその橋はエスペラント会場まで続いていました。とても安く美味しかったので翌日もマリエ達とこのレストランへ古い街を下に見ながら歩いてきました。

午後も、またその後も、一日遠足を除く日々はまじめにエスペラントの会合に参加しました。
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4 コメント

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ブダペシュトの駅で。。。 (serena)
2005-05-19 21:41:24
このお話を読んでいたらフト昔のことが思い出されました。私がまだ若くて可愛かった頃のことです。

ブダペシュト(正しいハンガリー語ではこう発音します)での世界大会で知り合った若いエスペランチスト達、(ユーゴスラヴィア人、ハンガリー人など)何故か気が合ってよく一緒に行動しましたが、彼らとブダペシュトの駅(多分北駅だったと思う)にあるレストランに入ったら途端に「さくらさくら」の音楽が鳴り響きました。

生演奏の音楽家達が私を見て即座に演奏してくれたのです。ハンガリー人は親日家が多く、電車の中でも「よう親戚!」と良く声を掛けられました。

このレストランで食べたのは皆でつついて食べる色々なものが大皿に盛ってあるもので、美味しかったし楽しかったです。
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Unknown (glimi)
2005-05-20 09:28:47
プラハに行く前に行ったブタペストでは鯉のシチュウを食べました。店は暗く営業していないかと思ったのに店を抜けた涼しげな中庭で営業していました。

 ベトナムの女性がきた時、彼女の希望で呼び出されたのですが、東京人が案内してくれた原宿のスパゲティー屋さんがそっくりでした。市場でフォワグラの缶詰を買ったら店の人が驚いていました。ハンガリー人にとっても高価な食品だったようです。

 息子は美味しいと喜んでいましたが、味が濃厚すぎて私の口には合いませんでした。



・・・ エスペラントでもブタペシュトですが、日本語では即座に変換できません!!
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詳しく覚えていらっしゃいますね。 (案山子)
2005-05-20 12:35:07
サングリア、教えていただきありがとうございました。サイゼリアのような…との記憶で、確かめもせず横着しました。

よく、詳しく覚えていらっしゃいますね。

「クローネ」もすっかり忘れていたけれど、ハンガリー、チェコ、オーストリア、ドイツと国境を越えるごとに貨幣が違っていてその都度両替していたのを覚えています。

私も夕食時「さくらさくら」や「花」を聞きました。「ローレライ」などをリクエストすればいいのかなと、思っていたら、ドイツの歌は嫌ですと先を越されました。どの地域に行っても国民感情は微妙です。
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Unknown (glim)
2005-05-20 12:49:19
結構親日的な人に会います。

 ポーランド人の友人に日本人はエキゾチックだし魅力的と言われました。

 アルファンブラでも違うツアー客が声を掛けてきてフランス人のツアー仲間はあなたは私達の広告塔と言っていつも一緒でした。

 あたし達はアジア人であることを恥じる必要は無いですね。
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