glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

父の子守唄

2005-10-13 08:58:05 | Weblog
 今月になってからですが、テレビのニュースで竹下夢二の新しい絵が見つかったと画面に映りました。西洋人形が描かれており、その横に私にとって懐かしい子守唄の一部が書かれていました。

 父が歌ってくれた子守唄です。と言っても私の記憶にはありません。父は孫達を抱き歌っていましたし、母も歌っていましたが、なぜか父の子守唄として覚えています。
 私もこども達にこの唄を歌ってやりました。きっと意識のそこに自分の唄として残っていたと思います。
 それは決して終わることの無い節回しの子守唄なのです。

ねんねんしなさいな、もう日は暮れたよ
暮れりゃお寺の鐘が鳴るよ
寝たか寝なんだか枕に問えばよ
枕答えて寝たというたよ

ねんねんする子には、赤いおべべよ
起きて泣く子には縞のおべべよ
ねんねんしなさいな、もう日は暮れたよ
暮れりゃ寺の鐘が鳴るよ

そこまで歌うとつい<寝たか寝なんだか枕に問えばよ・・・>と続いてゆくのです。

誰の作か、どなたかご存知ですか。

     
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11 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
 (りこ)
2005-10-13 13:30:02
とにかく几帳面な人だったという思い出しかないですね~。明治の人間ですから寡黙っていうかそんなに家族ともべらべら喋らない人でした。



glimiさんはお父さんの子守歌があって良いですね。それもありふれていない特別な子守歌で。
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子守唄 (あまもり)
2005-10-14 20:29:29
私は、

ね~んねん ころ~りよ おこ~ろ~りよう♪



ねんねこしゃっしゃりま~せ~ ねた~こ~の か~わいさ♪



の二つしかしりません。

それに母が子守唄を唄ってくれた記憶はありますが、

父が子守唄を唄って寝かしつけてくれた記憶は

ま~ったく ありませんです、はい。

glimiさんはいいお父様の思い出があるんですね。

いえ、本当に優しいお父様だったのですね。

子守唄と昔話。いい思い出を持っていらっしゃるglimiさんはほんとに幸せだと思います。
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母の一部は反面教師! (Unknown)
2005-10-15 08:14:48
あまもりさん



 子どもの頃は私ほど不幸な星の元に生まれた人間はいないと思っていました。

 強情で姉の言うことを聞かないと時にはシカとされ、(姉自身は現在、私を可愛いがったと思っています。)兄達には直ぐに反応する動く人形と思われ、こんな不幸な人生はないと思っていたのです。



 母の思いでも山ほど有りますが、同じ女として書きたくないことばかりなのです。



  
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父は呑ンベイ (glimi)
2005-10-15 08:26:03
 私の父はお酒が好きで呑むと歌を歌うのです。子どもの頃無声映画の語りをやるのが夢だったとかで、民謡、詩吟、琵琶法師の真似まで・・・。





 最後は浜辺の歌とか庭の千草とかで終わりです。子ども達が試験直前であろうとなんであろうとお構いなしでした。時にはこれが2時間以上も続くのです! 



 田舎の1軒家で良かったです。 
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大豆のコーヒー (あまもり)
2005-10-15 13:06:45
glimiさんのお母様の思い出に大豆のコーヒーがありました。

随分モダンなお母様だと思った記憶があります。

今改めて6月の東京大空襲の記事とコーヒーを読んできました。

戦災孤児を引き取るまで考えられたご両親はやはり優しい方です。

glimiさんにもその優しさが受け継がれています。
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古いブログを! (glimi)
2005-10-15 20:33:02
 あまもりさん

ありがとうございます。古い記事を呼んで下さったのですね!感激です。ありがとうございます。

 結構きついですよ。時には鬼に例えられます。でも、時説を曲げないのは欠点か長所か分りませんが・・・。
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こんにちは、時には私のところにもお出かけください (案山子)
2005-10-18 15:47:19
ウチの母のこと

息子が結婚する相手がいると伝えた時、夫が「君のお母さんみたいな人だったらいいのにね」と。

「いつも縁の下の力持ち」「物事をよいように、良いように」と考えてやってきた人。

私みたいと言われないのは百も承知のことだから、「母のような」と言われただけで、心が「ポット」暖かくなりました。

いくつになってもデンと構えられなくて、母親を超えるのはなかなかです。

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まるまる4歳下に妹がいて (Yuu)
2005-10-22 18:53:31
父は良く私を連れ歩いていました。野球をしていたのでそこへ連れて行ったり、デパートへ行ったり。パチンコ屋にも行きました。

それより前の話ですが、赤ちゃんの私は夜と昼を取り違えて夜は夜泣きということがあったそうです。夫婦で交互に外へおんで出て何を歌っていたかは知りません。



子守唄でなくて自分の好きな歌を歌っていたかもしれません。



かーねがなりますきんこんかーん、とか

つきがとってもあおいから、とおまわりしてかえる、とか
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父の歌 (serena)
2005-10-24 01:09:59
私が思い出す父の歌の一つは



夢のみ国の有るならば

我は訪わまし若き日を

我が若き日はひねもすを

我が若き日はひねもすを

泣けども幸のありしなり



というものです。

思春期にもなっていなかった私には

「泣けども幸のある」という意味が理解できませんでした。

が、そのメロディには物悲しさがあって何となく涙ぐんで聞いたものです。

老境に入って初めて理解できる心境のようです。父は青春を懐かしんでいたのでしょう。

青春時代より今の方が私には悲しいのですけど。。。

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Unknown (glimi)
2005-10-30 14:39:01
みなさま

留守中も訪問ありがとうございました。



もう半月も留守にしていたとは驚きです。

まだ忙しいのですがそろそろ復帰します。
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