土曜日、横浜ホテルビレッジのミニパーティがあると言うので参加させてもらいました。場所は横浜市中区寿町。パーティ会場はある簡易ホテルの屋上でした。この街は横浜港が荷揚げ港として栄えていた頃日雇い人夫達がたむろする場所で一般の人が立ち入ることを拒否しているような区画でした。
最近は住民達も年老いて生活保護の人が多くなっています。また昔の簡易宿泊所に空きが目立ってきているのです。そこに若い人達のグループが入り込み、旅行者用の簡易ホテルを作ろうと住民と協力してホテル事業を始めたのです。
来年エスペラントの世界大会を開く横浜には安いホテルがありません。そこでこのホテルを利用させてもらう事にしているのです。
私が7年前この町を訪れた時はまるでゴミに埋まったような街でした。昨年頃から花が見られるようになりました。花のボックスが増えるごとにゴミの山が減少してゆきます。人の心とは不思議なもです。
この計画を作り実行している一人、建築科の大学院生と話す機会が得ました。元労働者達が年老いてこの世を去ってゆく。それを見逃していれば、ここには世間の目を避ける人土地が入り込み、街はスラム化してゆくだろう。それを防ぎたいと熱っぽく語っていました。
パーティにはその行動を支えようと色々な人が集まっていました。社会は確実によい方に変わっています。
もう半世紀近く前になります。学生の私はあるセツルメント運動に参加していました。大人達は自分が生きる事に忙しく、社会から落ちこぼれた人々に手を差し伸べる余裕などありませんでした。学生の生半可な運動など現実の中に飲み込まれてしまいました。残ったのは挫折感でした。この挫折感を克服したいと言うのがこれまでの私の生き方だったように思えます。
若者達の思いが大きくみを結ぶことを願っています。
最近は住民達も年老いて生活保護の人が多くなっています。また昔の簡易宿泊所に空きが目立ってきているのです。そこに若い人達のグループが入り込み、旅行者用の簡易ホテルを作ろうと住民と協力してホテル事業を始めたのです。
来年エスペラントの世界大会を開く横浜には安いホテルがありません。そこでこのホテルを利用させてもらう事にしているのです。
私が7年前この町を訪れた時はまるでゴミに埋まったような街でした。昨年頃から花が見られるようになりました。花のボックスが増えるごとにゴミの山が減少してゆきます。人の心とは不思議なもです。
この計画を作り実行している一人、建築科の大学院生と話す機会が得ました。元労働者達が年老いてこの世を去ってゆく。それを見逃していれば、ここには世間の目を避ける人土地が入り込み、街はスラム化してゆくだろう。それを防ぎたいと熱っぽく語っていました。
パーティにはその行動を支えようと色々な人が集まっていました。社会は確実によい方に変わっています。
もう半世紀近く前になります。学生の私はあるセツルメント運動に参加していました。大人達は自分が生きる事に忙しく、社会から落ちこぼれた人々に手を差し伸べる余裕などありませんでした。学生の生半可な運動など現実の中に飲み込まれてしまいました。残ったのは挫折感でした。この挫折感を克服したいと言うのがこれまでの私の生き方だったように思えます。
若者達の思いが大きくみを結ぶことを願っています。
ニートやフリーターも彼らに言われると納得する理由があります。正規に働きたくても雇ってもらえないのです。決して怠けていっているわけではありません。
今いる政治家が年を取って死んでも彼らは生きていかねばならないのだから、かわいそうとか何とかより何とかしないと、と思います。
寿町は、何度か行ったことがありますが、独特な雰囲気がある地区ですね。
日本というよりも東南アジアのような感じを受けました。
ある意味日本の影の部分かもしれませんね。
彼らのような若者達がいる限り日本は大丈夫です。このような行動をする若者達をニュースが扱わないから、悪いことをする者だけを話題にするから、人々は悲観的になるのです。
来年の大会に参加できるならそこへも行って見たい。
いつもいろんなことに関わっておられるのには感心しております。少しづつ、少しづつ色んなことから遠ざかって行く自分が恥ずかしいです。一つのことをやろうとしてもこのごろは平行して何かをすることが難しくなってきました
カレンダーを作るのにも今までの何倍もの時間や労力が‥‥
それでもこれだけはと思いながら続けています。
若い力が活きる世代になればいいですね。
寿が活気を帯びていた頃は酒による喧嘩が絶えないので一般の人達は恐くて入れなかったようです。
76%の人が生活保護を受けていると言われています。またそれを食い物にしている人達もいるのです。税金を渡しているのに貰った人から搾取するシステムが出来上がっています。行政は手が打てないのです!
本当の改善が進むにはまだまだ長い年月がかかるでしょうね。
そうです。あるがままという感じでしょうか。トンガもそのような国でした。
日本は繁栄ばかり追っているかと思ったのですが、脈脈とそう気概は生きているのですね。
日本も捨てたものではないと思いました。
案山子さんがセツルメントの本を読んでいるとは驚きました。私が学生時代東大セツルメントと東京教育大の氷川下セツルメントは特に有名でした。全国大会が教育大の講堂で開かれたとき、会場は全国から集った学生で埋まっていました。
私の先生達はつまり教授たちですが殆どが帝大、あるいは東大セツルメントの活動者達でした。彼らのつながりは民主的な関係なもので多分他の大学では見られないものだったでしょう。
先日ボランテイァ先の職員の中に寿で活動するグループに参加している女性を見つけました。セツルメントと言う言葉は知りませんでした。隔世の感があります。
コツコツと頑張っておられるのですね。私もこれができるの今年かぎりかもしれないと思うことがあります。ク歌詞は未来と言うか行き先が見えなかったのに年と共に見えるようになってきました。もう慌てることも気張ることも私は止めました。
先日、hanafumiさんの展覧会を見せていた学校の名を、11月の見学予定の学校名の中に見つけました。この日は私を必ずサポートに入れてと自己主張してきました。
低学年ですが楽しみにしています。