glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

俳句は世界中の人のもの!! parto 2

2005-06-24 09:55:07 | Weblog
季語は俳句に『いつである』と言う時を与えます。俳句は抽象的でなく具体的です。人々は自分だけの時間と場所で実際に起こる事を経験します。この日本の詩において季語は季節名だけではなく、その時期の祭日、植物、動物など季節を暗示するものが入ります。この暗示がとても大切です。
 俳句は思想(意見)ではなく経験を表している事を覚えて起きましょう。日本の俳人は良く良い俳句を表す表現として『香り』(aromo)という言葉を使います。読んでいること(病棟、春の花々、母の焼くパンの匂い)とかと結びついている香りと同じく季語は俳句の本質を感じるのを助けます。
二つ目は日本的な間投詞です。日本の間投詞は俳句を2つに分けます。エスペラントではいつもというわけではありませんが句読点( . , : ; ‐ “ ”* )などを使います。この二つの部分が共鳴し合い、読者の心に俳句的経験を呼び覚ますのです。

 形式として偉大な巨匠,松尾芭蕉(1644~1694)の俳句を読んでみましょう。宮本正雄の訳です。

Cikado trilas 
nun rokon penetrante- 
natur’ trankvilas. 
ツィカード トゥリーラス、 ヌン ローコン ペネトゥランテ、 ナトゥール’ トゥランクヴィーラス.

Cikado(蝉)は暑い夏を思い起こさせます。Roko(岩)と作者と蝉だけのいる孤独な場所に作者が立っています。読者は多分蝉の泣き声と共に作者のうなじに注ぐ輝く太陽を感じることができるでしょう。ここで宮本は日本的休止符としてハイフンを使っています。私達は,蝉の鳴き声と静かな自然の二つの部分を見ています。この二つにどんな共鳴があるのでしょうか。読者には蝉の鳴き声以外何も聞えません。ですか,夏の経験の描写も多分感じています。夏です、そしてすべてが健全でなければならないかのように健全です。この自然自体が夏の休暇を享受しています。読者はこの17音節を読んだだけでこのすべてを経験します。芭蕉と経験を共にしています。

 このいくつかの注釈を読んであなたが俳句を楽しんでくれることを願っています。最後に一言 - 俳句は作者と読者を親密に結び付けているので、その役割を取り替えるのも非常に簡単です。俳句を創ってみましょう。自然界の経験を取り上げそれを季節の中に起き、あなたが経験した事を再構築するために二つの部分を使いましょう。間もなくあなた達はあなた達の経験を共に所有することでしょう。

 日本語としてこなれていませんが内容はこんな感じです。私の知らなかった事を沢山知りました。エスペランティストには詩を作るのが好きな人が大勢います。また、世界に俳人が増えるかも知れません。

 さて、この次はエスペラントの俳句を紹介いたしましょう。
         

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7 コメント

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季語 (serena)
2005-06-24 10:16:20
稚作ながら俳句を読んでいます。

少しも上達しないようですが、自分では巧く言えたと思うことも有ります。

で、季語は日本が舞台なので、国が違うと季節の状況も違い批判を受けることもあります。ちょっと見本を思い出しませんが。。。

Parto 1 を読んで、ためしに自作をエス訳してみましたが、韻を踏むどころか5ー7ー5

も儘なりませんでした。

ボチボチ心掛けてみようとは思っています。
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Unknown (glimi)
2005-06-24 10:36:24
 日本でも字余りと言うのもありますね! 

 次はこのアメリカ人とフランス人の読んだ句を紹介します。 たぶん5-7-5には訳せないでしょうけれど。



 私の知らない日本の事を外国人が知っているというのは少しショックでした!! 
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俳句も詠めない私ですが (あまもり)
2005-06-24 13:15:03
>俳句の可能性は作者が自分の経験を読者に提示するだけでなく、

>自分の経験の中に読者を招き入れて』感動を共にすることにあるのです。



Parto 1 の最後のこの言葉で初めて俳句とはそういうものだったのかと目から鱗状態です。

俳句は日本独特のもので外国語、あるいはエスペラント語で表すことは難しいと思っていました。

でも日本人以上に俳句の心を知っている海外の方々がいることを知り二度目の鱗です。

感動を共有するという観点に立てば、単純明快に表されている芭蕉の句はまさに名句ですね。
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俳句 (esperakira)
2005-06-24 21:56:36
俳句だけでなく詩というものが苦手ですし知識もありませんが、俳句については次のような疑問を持っています。

1.季語は日本だけで通用すると思うので、日本の俳句の翻訳が外国人にどこまでわかるのだろう? 逆に、外国で詠む俳句にも季語が必要なのだろうか? 例えば、コロンビアの首都ボゴタは、1年中ほとんど同じ気候だという。

2.例えばエスペラントの音節で5・7・5の文は、日本語の5・7・5よりも情報量が多くなる。中国語ではもっと多い。それでもあくまで5・7・5なのか?

実は、エスペラントでも中国語でも5・7・5の形式を守っている俳句が主流だろうと思いますが、エスペラントではそれにこだわらない俳句もあると聞いたことがあります。
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Unknown (glimi)
2005-06-26 01:20:10
 あまもりさん



私が紹介したいと持った所に同感していただきありがとうございます。

 私もからウロコでした。これからしたり顔でもしましょうか。





 esperakiraさん

 私も詩に詳しくありません。

『エスペラントではそれにこだわらない俳句もあると聞いたことがあります。』とのことですが、詳しい情報をお願いします。調べるのはやぶさかではありません。
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5・7・5 (esperakira)
2005-06-26 21:35:58
すいません、どこで聞いたか(読んだか)わかりません。お詫びでもないけど、俳句の掲示板を見つけました。広高さんのHPです。

http://hpcgi1.nifty.com/esperlando/hajko.cgi
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Unknown (glimi)
2005-06-27 11:49:00
K.Kalocsay の詩集にjapaneskoj と言う詩があるので調べましたが、それは短歌5・7・5・7・7でした!
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