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生きること:過去と未来とエスペラントと

2006年:トンガとニュージランド

2014-09-10 09:41:20 | 家族・友人・私
 昨日テレビでトンガと日本繋いだ人々の事を放送していたので、つい懐かしく見入ってしまった。51歳で亡くなった又平直子さんが出てきました。トンガの青年の未来を開きたいとラグビーや相撲の世界に若者たちを送りだすのに尽力した人でした。2010年、51歳の若さで肺がんで亡くなったとの事でした。

 写真はふくよかな女性でした。私はお世話になったかもしれないと思ったのですが私が知っているゲストハウスの女主人は痩せ形のほっそりした方でした。息子にメールすると同一人物との返事がきました。若いのに腰が痛い腰が痛いと言いていましたのでもしかしたらすでにこの頃病魔に侵されていたのかもしれません。

 2005年息子が海外青年協力隊の隊員としてトンガに赴任していました。安定した仕事を捨てて出かける息子に約j束させたことは唯一つ、もし機会があったら私の訪問を受け入れる事でした。翌年JIKAから子どもの赴任地を訪ねるツアーの誘いがありましたので早速申し込みました。トンガで働いている青年は多分10人以上いたと思うのですが申し込んだのは私一人だけだったそうで、もし行かれるなら個人で行ってください、旅行会社を紹介しますと言う事でしたので一人出かけることにしまいした。息子は何もないこんな所へ来るなんて、自分は遊んでいるわけではなく働いているのだし、本島だけでなく他の島へも出かけているで忙しいから来るなと言ってきました。が、私は強引に訪問することにしました。私は世界遺産を見るとか、ブランド品を買うとか、人にもてはやされるごちそうを食べるとか、そんな事にはほとんど興味がありません。私はそこで暮らしている人たちがどんな歴史を背負い、何を食べ、どんな暮らしをしているか知りたいのです。若い頃文化人類学に興味を持ち本も沢山読みましたが、残念ながらその道に私を導いてくれる人とはおりませんでした。ですからエスペラントで旅行しても私の興味は庶民の生活に向くのです。

 お湯が出ないからという理由をつけて息子は私を直子さんのゲストハウスに泊めました。本当に面倒見のいい方でトンガ人だけでなく協力隊の隊員などにも日本的な食事をさせていました。到着した翌日だったでしょうか、アメリカ兵と20歳くらいの日本女性のカップルがやってきました。彼女はニュージランドにワーキングホリデイの制度を利用してやって来ていてこの米兵と出会ったのだそうです。他のゲストハウスに泊っていたのですが、そこの主人がどうもおかしい、彼女の話を聞いてやって欲しいと送りこんできたのだそうです。若い女性は結婚しようと言われてトンガに来たそうです。直子さんはトンガでは入籍できないと説明し、彼女は騙されているのではと、持ち前の流暢な英語で米兵と話し合っていましたが、彼は結婚する気はなく彼女は遊ばれていると結論付け、女性を説得しましたが彼女は信ぜず、翌日他のゲストハウスに移ってゆきました。それは心から心配していました。その時彼女は自分の結婚に至る契機を話してくれました。
 協力隊員は車を使う事を禁じられています。島を案内してくれたのも彼女でした。私にとって忘れられない人です。『合掌』

 帰りにエスペラントの組織、パスポルタセルボをつかってニュージランドのオークランドでブライアン・ジャッキー夫妻の所に泊り、ジャッキーの趣味のハイキングに参加しました。他人の庭先を歩くなど面白いハイキングでした。ブライアンは火口のある山の高台から下を見、あそこもこっちもトンガの王さまの所有地だとトンガの王家が大富豪であると説明してくれました。

 数年後ブライアンからメールが届きました。視力が衰えてパソコンの画面が見えないのでもうメールは書かないでほしいとの事でした。その2年後ニュージランドのエスぺランティストに二人の安否を尋ねるとジャッキーが重い病気にかかっていると言われました。二人が今も元気でいて欲しいと私は願っています。
コメント
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