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生きること:過去と未来とエスペラントと

心揺れ、心ざわめく詩

2014-09-09 09:32:38 | エスペラント
 最近眠れない夜を過ごしています。原因はJulio Baghyの詩です。
 ブエノスアイレスの大会でマジャリ・ブルタン(Marjrie Boultan)著 『PORTO FAJRAKORA』を記念に買いました。理由は簡単、大きさはA5判、ページ数130あまりであまりお荷物にならなかったからです。内容はバギーの著作に関する書評です。第1章は詩についてでした。
 
 エスペラント詩はもちろんヨーロッパ形式です。日本の詩とは違います。この違いを理解したいと思い幾度か詩に関する解説書を読みましたが、身につかず本の内容さえすぐに忘れてしまいます。多分詩と言うものは幼児期から親しんだ言葉と密接に絡み合っていて理性では理解できないものと諦めましたが、やはり読むと心打たれます。

 ブルタンはバギーとカロチャイ(Kalocsay)をエスペラント詩発展の先駆者として高く評価していますが、二人の不和にも触れています。カロチャイは高学歴、数言語を話し、上流社会に属していた。そしてバギーは旅役者の子で学校教育の期間も短く貧乏人の子であったと。このことについて以前耳にしたことがあります。カロチャイはバギーの才能は認めていた。だが、カロチャイを尊敬し、常に彼の近くに居たかったトーチェ(Totsche)がバギーの事をカロチャイに色々告げ口するので生活環境の違う二人の仲がおかしくなったと。まあ、このような下世話な話題はどうでもよい事でしょうが。

 ブルタンは人の教養と言うものは学歴では決められない。バギーはハンガリー語とエスペラントしかできなかったが翻訳もので世界の文学に接し、ハンガリーの詩とエスペラント詩をしっかりと研修していたと言っています。せっかくのブルタンの解説ですから彼女が引用する詩を手持ちのバギーの詩集から探して読むことにしました。バギーの詩集は3冊しか持っていないので引用された全ての詩を読んだわけではないのですが、バギーの詩はお世辞にも楽しいとは言えません。社会の底辺で苦しむ人たちの心を代弁するような詩が多いですし、ときには哀しくなるほど自嘲的です。

 1900年代と現在とでは人々の生活は変化しました。よくなったと言えるでしょう。ですが世界の中で平和であると言われる日本社会でも貧富の格差は広がっていると言えます。特に東日本大震災は被災者に大きな格差をもたらしたと最近の報道が伝えています。就職できた者とできなかった者の経済的格差。しかし就職できたなかった人が能力的に低いと言う事ではなく、運やツキがあったかなかったかと言う事もあるのです。そして親の立ち位置が子ども社会でも格差として広がっていると。個人的に私は充分に働き、生きたと感じています。これからはのんびりと暮そうと考えています。バギーの詩はそんな私に本当にそれで良いのかと働きかけてきます。私の心はざわめき揺れます。

 『 AL HOMFRATO 』と言う詩を読んで突然ザメンホフの詩『 La vojo 』を思い出し久しぶりに読みました。

 第1章は20ページほどですがなかなか読み切れません。
コメント
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