glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

エスペラントとイタリア語

2006-09-14 09:47:48 | エスペラント
 26日朝、2泊分の宿泊料を支払う。80ユーロ。
 買い物、パドバへの送り迎え4回、夕食2回は計算外なのでその分も支払いたいと申し出たがアルホンソ氏は80ユーロ示して譲らない。レカントのお父さんにと持ってきた日本酒があったのでそれ差し出すことのいました。レカントとはこれからも付き合いがありお礼の機会はあるけれど、アルホンソ氏とはもう会うことはないでしょうから・・・。

 彼の喜びは大変なものでした。すぐにノルマに連絡したようで、彼女が電話で直ぐにその喜びを伝えてくれました。

 イタリア人は自分の感情を直ぐに素直に伝えるのが上手です。日本人はその点は下手ですね。

もっと素直に自己表現をする努力をしますしょうよ、みなさん!!

   ただし私は正直すぎると言われます。

 彼は駅への途中でパン屋さんによりお昼に食べなさいとパンを買ってくれました。

 イタリア語の文法その他勉強したわけではないので分りませんが、言おうとすることはよく分かるようになっていました。

 中国語と英語を教えていたらしいアルホンソ夫人は、:イタリア語は形容詞が後に来るけれどエスペラントは前に付くのねと分析していました。

 例えばイタリア語で青い色はコローロ・ブルーア、エスペラントではブルーア・コローロと言うように。

 語尾の微妙な発音を捉えることはできませんが、語根だけで多くは理解できるのです。

 アレッツォへの列車の中でも、イタリア人同士の世間話も結構面白かったですし、列車が30分近く遅れているという車内放送も自然に受けとめていました。同乗者たちは私が分っていないのではと気が気ではなくて、荷物を通路に出した方が良いとかヤキモキしていましたが。



      

 この記事を書いている途中で義姉が亡くなりました。78歳の誕生日を迎えたばかりでした。姉妹弟たちは早すぎると嘆いていました。一口に78年。彼女の人生にはいろいろなことがありました。とても穏かな顔をしていました。双子の妹たちが、とても穏かに逝ったと・・・姉の事を誇らしく語ってくれました。
コメント (5)
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