今日もblogを「書かせていただきました」

 いつの頃からなのか「させていただきます」言葉が横行、氾濫し「そもそも、していいか聞かれていないし、聞かれたとしても、いいと云っていないし」と、何とも慇懃無礼な言葉を聞かされ何とも不愉快かつ釈然としない思いを抱いてきたのであったが、数日前の朝日新聞の「『させていただきます』 丁寧すぎ? 敬意と守りと」(大阪編集局記者 河合真美江)を読んで、納得してはいないけれど少しだけではあるけれどその言葉の背景を理解することができた。

 この言葉は、動詞に敬意を添える助動詞「させていただく」を付けもので、基本的には相手の許可を得ておこない、そのことで恩恵を受ける時に使われるものであり、そうでない時にはあまり適切とは云えないと、2007年の文化審議会答申で述べられていると書かれていた。

 この文化審議会答申に基づけば、「させていただく」と云われて「していいか聞かれていないし、聞かれたとしても、いいと云っていないし」と私が感じるのは正しい反応だと云うことができるだろうか。

 しかし今では、この「させていただく」が実に広く便利に使われており、三省堂国語辞典編集者のひとりで言語学者である飯間浩明氏は「敬語体系の不備を補う言葉である」と明快に云っているそうだ。つまり、偉そうに聞こえないように、失礼のないようにしたいと、これまで存在していなかった「させていただく」が新たな「敬語」として、どうやら二十一世紀になって登場したと云うことのようなのである。

 そんな新しい「敬語」である「させていただく」であるが、最初に記したように私はどうも馴染むことができない。まさに過ぎたるは及ばざるが如しであり「させていただく」を聞くと、どうしても慇懃が過ぎて無礼な、小馬鹿にされているような気がしてならないのだが、そう感じるのは私が狭量だからなのか昭和の人間だからなのか。いや、きっとそのいずれでもあるからなのだろうな。

 蛇足ながら、日本一の「させていただく」言葉の使い手は、衆議院議院の小渕優子氏(平成オジサンこと、元内閣総理大臣小渕敬三氏のご息女)であると私は固く信じている。もうだいぶ前のことではあるが、自身の後援会の慰安旅行?の会費に多大な補助金を支出したことが問題になった折りの会見で、全ての動詞の後にこの「させていただき」を付けて、どこにもピントの合っていない目で、しどろもどろ汗まみれになりながら言い訳をしていた姿があまりにも強烈な印象で忘れられない郷秋<Gauche>なのである。

 と云うわけで今日の一枚は、例によって記事本文とは何の関係もない「太陽の恵み」。我が家の猫の額のような畑で採れた、ミニトマトたち。

 横浜の住宅地の中に残された小さな里山の四季移ろいを毎週撮影しているblog「恩田の森Now」に、ただいまは7月29日に撮影した写真を5点掲載しております。猛暑の中でも涼やかな小径、真夏の花などを掲載いたしましたのでご覧いただけたら嬉しいです。
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