唐松林の中に小屋を建て、晴れた日には畑を耕し雨の日にはセロを弾いて暮したい、そんな郷秋の気ままな独り言。
郷秋<Gauche>の独り言
近づくロンドンオリンピック
モータースポーツ以外のスポーツについて郷秋<Gauche>が言及するとはと、訝しく思われた方も多いことだろう。その通り、スポーツ好きには申し訳ないが、郷秋<Gauche>はロンドンオリンピックにはほとんど興味が無い。なのにロンドンオリンピックが近づいてきたことを話題にするのは、偶数回のオリンピックイヤーに、ニコンのフラッグシップ、F一桁のニューモデルが登場してきた歴史があるからである。
過去を振り返れば、第22回モスクワ大会が行われた1980年にF3が、第24回ソウル大会が行われた1988年にF4が、第26回アトランタ大会が行われた1996年にF5が(この大会までF3は現役だった)、第28回アテネ大会が行われた2004年には、危ぶまれながらもF6が登場した。何故F6の登場が危ぶまれたかと云えば、勿論DSLRの登場と加速度的な性能向上である。
アトランタ大会の前年、1995年にE2が発売され、速報性こそが命の新聞には、このE2で撮影された写真が登場した。シドニー大会の前年、1999年には、更に実用的なD1が登場しており、この大会以降はF5の出番は事実上なくなった。それ故に、F5が最後の「F」となるのではないかと囁かれる中で、F6は登場したのだった。
ロンドン大会までにはD4が登場することは間違いないが、果たしてF7は登場するのか。F6を開発していた当時(つまり2002-3年のことだ)、DSLRがこれほどまでにマーケットを席巻することを、あるいはニコン自身さえも予測していなかったかもしれない。フィルムを使うSLRのマーケットが小さくなることは確実だとしても、需要が無くなることはないと考えていたのかも知れないが、事実上、フィルムカメラのマーケトが消滅したのはご存じのとおりである。
マーケットは新しい商品によって開拓されもするけれど、既に消滅したマーケットのために、いくら素晴らしい製品を開発したところで売れる訳もなく、F6が最後の「F」となることは間違いない。むしろ、登場から7年目となっている今でも製造販売が続けられていることが奇跡とも云える訳だが、F6が最後の「F」であれば尚の事、販売が末長く続くことを願わずにはいられない。
今日の一枚は、ニコンF一桁のみならず、すべてのニコン製品の中でも最高傑作と云えるF3。一口にF3と云っても、オリジナルのF3、おそらく生産台数が一番多かったF3HPの他に、F3 AF、F3/T白、F3/T黒、F3P、F3H、F3Limitedなどいろいろ種類があるが、上の写真の2台はいずれも生産台数が少ないF3PとF3/T白。
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