尽くしたる年寄、勤めなん幼子

「村のために 国のために つくしたる我らの年寄の歩みやすかれと・・・」
「村のために 国のために つとめなん我らの幼児(おさなご)の歩みやすかれと・・・」
 「村の道ぶしん」(葛原しげる作詞、簗田貞作曲、岡本敏明編曲)の歌詞です。
 注:簗田貞(やなだ ただし。「城ケ島の雨」「どんぐりころころ」の作曲者。

 唐突に何故この歌詞をご覧いただいたかと云うと・・・

 電車内で泣き止まない乳幼児とその親が「うるさい、静かにさせろ」と怒鳴られた、スーパーマーケットのレジで財布からお金を出すのに手間取っていた高齢者に「もたもたするな、早くしろ!」との罵声が浴びせらたとの報道を、短い間に複数回目にしたからです。


 葛原しげるの詩にある通り、年寄は「村のために、国のために尽くしてきてくれた方」、そして幼子は「これから村のために、国のために尽くしてくれる宝物」。どちらも大切にしなければならない人たちです。その人たちに罵声を浴びせるって、どう云うことなのでしょうね。

 あなたは幼子であったことはないのですか? あなたは年寄になることはないのですか? と問いたいのです。誰しも通って来た道、そして通る道にいるのが幼子とお年寄り。繰り返します。誰しも通ってきた、そしてこれから通る道ではありませんか?

 そう云いながらも、満員電車の中で隣の幼子が泣きだしたら、あるいは急いでいるスーパーのレジでもたついているお年寄りがいたら、それでも泰然と構えていられるのか。いや、難しいかも知れないと思う自分への、今日の漫文なのでありました。

 なお、画像は玉川学園の愛吟集(改訂1刷 1997年4月)より。郷秋<Gauche>は、玉川学園で出来た歌かと思っておりましたが http://bunbun.boo.jp/okera/w_shouka/t_sinsaku/t8sh_mura_michi.htm によれば、この歌ができたのは玉川学園創立の1929(昭和4)年の2年前。しかも玉川学園に伝わるのは2節までですがオリジナルは3節まであり、詩も多少異なっております。これ以下は郷秋<Gauche>の勝手な想像ですが、玉川学園の教育(生活音楽)に取り入れる段になって玉川学園に合うように改変したのではないかと思うのです。教育のためには、良いものであれば何でも取り入れるのが小原國芳の流儀ですので(著作権に対する認識も低い時代でもありました)。

 横浜の住宅地の中に残された小さな里山の四季の移ろいを毎週撮影しているblog「恩田の森Now」に、ただいまは5月12日に撮影した写真を7点掲載しております。田植え間近となった森の様子をご覧いただけたら嬉しいです。
https://blog.goo.ne.jp/ondanomori/e/a0b4071594bee6230bcbed1cc9c2f3ad

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#乳幼児と高齢者を大切に #玉川学園愛吟集 #村の道ぶしん #葛原しげる作詞 #簗田貞作曲 #岡本敏明編

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