まほろば日記

fujioの日常の出来事、記録等を思いつくままに書いた日記です

認知症患者に人格はないのか

2018-04-03 22:12:29 | 日常

平成30年4月3日

私の祖母も98歳の高令者、70歳半ばの姉が老々介護ですが親身のもてなしにより自分で食事もとれるし、自立した生活をしています。でも万一認知症になったらもう手に負えないので施設に入れなければと考えていました。あちこちのの施設を研究してみました、知人に介護を勉強している人があり、その人が実習の現場で見たことを教えてくれました。特養施設は従来型とユニット型があります。従来型は大部屋に何人もの患者がおかれている。自立出来ず、症状が進んで自宅に帰る見込みがない人が入る。ユニット型は10人程度個室で出入り自由で中央に食事や談話する場所もある。従来型は悲惨である。転落してはいけないのベットに拘束される。必要最小限のはずが常態化されている。それが毎日となれば筋肉が硬直して動かなくなる。床ずれができる。進行すると骨まで現れる、排便はオシメで1日3回の取り換え。入浴中に排便した患者は床に寝かされホースで洗われていた。食事には2本のスプーンで、2本は何に使うのか?大勢の患者が待機しており早く食べてもらうためです。1本は口をこじ明け、開けたままにするため。もう1本は食料を入れるため、口に一杯あっても詰め込む、ムセイでもお構いなし、時には食後に飲ます薬も一緒に食べさすそうです。合理的かもしれないが薬の味付けでは美味しくないでしょう。自分の身内にもこのようなことをされますか。誤嚥性の肺炎になるわけです。身体機能が低下して口から食べれなくなると胃の中に直接管を入れる胃ろう処置がとられます。人工水分栄養補充法というわけです。動けない、意識がない、口で食べれない、これでも生きてゆかなけならないのでしょうか。多くの人はこのような状態で生きることを望んでいません。亡き妻ともこのような状況になったら延命治療はしないことを申し合わせていました。患者の扱いもここに書いたようなこのようなひどい職員ばかりではありません、丁寧に患者の立場に立ってお世話する人もおられます。要は人間性、職業倫理、使命感、ゆとりのある環境、正しい知識があるか次第です。給料も安く長時間勤務。多くの汚い作業が毎日続きストレスが蓄積しそれが弱い立場の患者に向けられる。医療現場は疲弊しています。「衣食足って礼節を知る」余裕のある生活があり、易しい態度で患者おの世話することができるれば認知症も快方に向かいます。手間がかかるが拘束を減らせば状況はよくなるといいます。無理に食べらすことに疑問の声もあります。食べれなくなることは人間の終末期との向き合い方の問題ともつながります。昔は栄養失調で枯れるがごとく死ぬというのが普通でいたが今は随分と様変わりしています。どうあるべきかご自分の迎え方を考える機会としたいものです。姉も最後まで自分の命のある限り母の面倒を見ると言ってくれています。自宅で娘に世話してもらい、家族に看取られながら旅立つなんて、母はなんと幸せな一生でありましょうか。思うに人間ボケたらおしまいですね。どのような扱いになるかわかりませんから。認知症は突然起きるのではなく生活習慣病とも関連しているように思います。日頃の生活態度、習慣が大切です。暴飲暴食を慎みよく寝る。よく働き、よく食べる。健康な生活をまじめに続けることではないでしょうか。当面はよく眠ること。22時以降はテレビは見なくて寝ること。目覚まし時計に起こされるのではなく自然に目覚めたいと思います。

 

 

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