本来であれば、岩戸開きをやってから、余興的な大蛇を行なうのであろうが、限られた時間内でのことなので仕方なし。
気持ちを切り替えて「松迎」。先ほどお爺さんを演じていた胴元が笛を吹く。ベテレンの味とも感じられる音色。「松迎」はその名のとおり、新しい年を祝う舞で、千秋・万歳の兄弟による二人舞。
前半はお面を付けて踊る。
かなりテンポが速く、若い人でないと大変なのがよくわかる。
そしていよいよ、「山の神」。荒舞、海に面する黒森にありながら、山の神を演じる。山の神は、私達には色々な意味で親しみを感じるが、女性の神様で一年に二人の子供を産むんだとか。安産の神さまでもある。個人的には、「森は海の恋人」と云われるように海の民の本当の意味での神なのではないか。
赤いお面。永遠と40分近く踊りつつける。
所によっては、山の神舞は女性には見せなかったのだとか。
ここで「言上」ひとつ金は、「○○○円なり~」遠野のしし踊りの際にも行なわれるが、この言上がまた、すばらしい。金額の前後につく言葉の長いこと。口の重い遠野人には、ちょっと無理かも?
最後に「恵比寿舞」。基本構成はどこも同じであるが、黒森は、これまた、ちょいと違う。
お客さんの男の子に鯛を泳がせる役をお願いしたり、なかなか釣れないように演じさせたりと手が込んでいる。
一人では釣りきれない大物ゆえにこんどは女の子に一緒に竿を持って引いてもらう。観客参加型の見せる神楽。各地を回りながら演じる神楽の性格上、ただ見せるだけでは長続きしないのだろう。
室町時代文明17年(1485)銘の権現様が残っている黒森神楽が現在まで、継続できている理由のひとつには、修験者の霞場を越えた地域で興行できる許しを得ていたことがあげられる。遠野の神楽の中にも駒木神楽や柏崎神楽は大槌まで舞いに行っていたというが、現在は、その神楽も途絶えている。廻る先が無くなったこととしし踊りとの関係から、その存在価値が薄れたためでもある。大迫の早池峰神楽二組のように、神楽組の長男にのみ伝授され、地域で最も大切な継承活動としての位置づけがなされたものは、稀なのだろう。
終わり。垂れていた幕を上げて綱に引っ掛ける。残念ながら、感動の拍手で、その画像を取り損なってしまった。
神楽の鉦や太鼓の音が耳に残っている中、神社を後にした。しばらく前に、早池峰神社の宵宮神楽を観たが、その時の感動と同じような余韻が残る晩となった。
気持ちを切り替えて「松迎」。先ほどお爺さんを演じていた胴元が笛を吹く。ベテレンの味とも感じられる音色。「松迎」はその名のとおり、新しい年を祝う舞で、千秋・万歳の兄弟による二人舞。
前半はお面を付けて踊る。
かなりテンポが速く、若い人でないと大変なのがよくわかる。
そしていよいよ、「山の神」。荒舞、海に面する黒森にありながら、山の神を演じる。山の神は、私達には色々な意味で親しみを感じるが、女性の神様で一年に二人の子供を産むんだとか。安産の神さまでもある。個人的には、「森は海の恋人」と云われるように海の民の本当の意味での神なのではないか。
赤いお面。永遠と40分近く踊りつつける。
所によっては、山の神舞は女性には見せなかったのだとか。
ここで「言上」ひとつ金は、「○○○円なり~」遠野のしし踊りの際にも行なわれるが、この言上がまた、すばらしい。金額の前後につく言葉の長いこと。口の重い遠野人には、ちょっと無理かも?
最後に「恵比寿舞」。基本構成はどこも同じであるが、黒森は、これまた、ちょいと違う。
お客さんの男の子に鯛を泳がせる役をお願いしたり、なかなか釣れないように演じさせたりと手が込んでいる。
一人では釣りきれない大物ゆえにこんどは女の子に一緒に竿を持って引いてもらう。観客参加型の見せる神楽。各地を回りながら演じる神楽の性格上、ただ見せるだけでは長続きしないのだろう。
室町時代文明17年(1485)銘の権現様が残っている黒森神楽が現在まで、継続できている理由のひとつには、修験者の霞場を越えた地域で興行できる許しを得ていたことがあげられる。遠野の神楽の中にも駒木神楽や柏崎神楽は大槌まで舞いに行っていたというが、現在は、その神楽も途絶えている。廻る先が無くなったこととしし踊りとの関係から、その存在価値が薄れたためでもある。大迫の早池峰神楽二組のように、神楽組の長男にのみ伝授され、地域で最も大切な継承活動としての位置づけがなされたものは、稀なのだろう。
終わり。垂れていた幕を上げて綱に引っ掛ける。残念ながら、感動の拍手で、その画像を取り損なってしまった。
神楽の鉦や太鼓の音が耳に残っている中、神社を後にした。しばらく前に、早池峰神社の宵宮神楽を観たが、その時の感動と同じような余韻が残る晩となった。
ありがとぅ~御座います。
ホンモノに勝るモノなし・・・・言葉にすることはできないので、やはりその場にいて五感で感じるしかないようです。
拍子を聞くと飯豊神楽が遠野では黒森神楽に一番似ている感じがしました。
見たかったっす。
思えばどっぷり神楽に浸かったのは去年の早池峯神社宵宮からないですから・・・
確かに、鉦笛太鼓は耳に残るのです。
ええ~、綾織あたりの釜石線は山の神のリズムで走っています(w
黒森神楽、観たいという貴殿の熱意にほだされて、特集番組と致しました。でなければ、きっと、一如さんが担当したものと思います。笑
先日、花巻祭?の様子がケーブルテレビ?に映っていましたが、その中の神楽の特集部分では、はじめに法螺貝を吹いていました。その印象が残っている中でのお話で、またまた、八幡神楽の沿岸地域巡業のイメージを膨らませることができました。
云われてみると確かに釜石線の「きしゃ」の走るリズムは神楽を想像させるものがありますね。それも、初心者が舞いの練習の為にゆっくりと鉦を鳴らす音に似ているような・・・・想像のし過ぎかな?なんてったって夢見るおじさんですから。笑 大出早池峰神楽の宵神楽は、寒さを感じなければもっといいのにね!それともう少し周りが静かであれば・・・。まあ~祭ですから!と独り言を云うようになってしまった笛吹おじさんであった。
現場はもっと凄かったものと思いますし、あらためましてある程度の解説も入って、分りやすく勉強になります。
神社仏閣、郷土芸能では遠野でもトップクラスの知識の持ち主と私は思いますぜ・・・・すばらしい・・・。
これは、オイラは益々出せません(笑)
ゆんべは、娘のをロードしましたが時間がかかっていらいら、途中でやめてしまいました(コンジョナシ)
そのうち、ぺっこばがりUPすます(笑)
私が知り得る情報は、そこらここにあるものばかりです。遠野市立博物館や図書館の専門職の方々が既に承知のことばかり。
でも、でも、と思うのは、本や調査資料は飾っているだけではいけないということです。広く公開してより確かなものにしていくことが必要かと。
著作権の問題もあるでしょうが、期限切れのものは活字としてインターネット上に広く公開してほしいものだと思います。よ、ね!
私のデジカメは、余り性能がよくないので、ブレブレになることが多々あり、撮ったその場で確認してもそのブレ加減がよくわかりません。故に、家に戻って確認するとガッカリすることがあまりにも多すぎです。まして、戻ってもう1回撮り直しができない対象だったりすると・・・。皆さんのきれいな写真を見てはため息をついています。(このため息、吐息が持ち歌に活かされているものと自己分析?しています。笑)