教えてください 2007-11-21 00:24:11 | 歴史 只今、調べ物中です。早池峰山妙泉寺の宮本氏は、明治3年?に神仏分離となるまで、大出に住んで居られたのか、それとも、現遠野小学校にあった妙泉寺に居られたのか。また、同じ三ヶ寺の東善寺と善応寺縁の方々がその後どうなったのか、その三ヶ寺の建物は、どう処分されたのか。 いずれかについて、おわかりの方、コメントお願いします。 #岩手県 « 気まぐれな天気 | トップ | 附馬牛 »
10 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 お墓 (名梨) 2007-11-21 07:07:07 お墓は大出と三ケ寺に有りますが、それ以外は?調べてみます。 返信する 早速 (笛吹童子) 2007-11-22 07:58:19 名梨さんへ: 情報ありがとうございました。岩手のGO氏から、拝借している妙泉寺関連書物を読んでいると、三ヶ寺の住職は、遠野地域に限られたものではなく、盛岡・花巻など、本藩との関連がイメージされ、じっくりと頭に入れようと努めているところです。 返信する ご存知かとは思いますが・・ (とらねこ) 2007-11-22 15:30:17 僭越ながら、既にご承知のことかもしれませんが、例の城館の冊子を再度確認に図書館に行きましたが、ついでに気になっていたので宮本文書をつらつらと・・・・。妙泉寺の住職は成就寺住職から転入されたり善応寺から入ったりしているようですね。最後の住職宥応師は善応寺から入ったようでもあります。後に還俗した宮本姓になったようでもあります。ありきたりですみません・・・いずれ天台、真言の宗派は家中寺や権力者による保護があって、檀家をほとんど持っていなかったので、神仏分離、廃仏毀釈の法令後は大変だったと思われます。 返信する 行ったり来たり (笛吹童子) 2007-11-22 18:02:36 とらねこさんへ: 以前は、始閣氏と宮本氏はつながるものと勝手に思っていましたが、どうやら、そうではないことに最近になって気づきました。(汗) また、当時の僧と社人の仕事の違いについて考えはじめたら、なお、わからない。さらには、善応寺と東善寺と妙泉寺、そして、成就院。 頭の中が、吹雪いていて、この先が見えません。 返信する 直接 (一如) 2007-11-22 20:29:53 あんのぅ直接突入されたら、どないでっしゃろ…オイラはできないけどもぅ…笛吹さんなら とおもたです。妙泉寺文書は宮本家に通い詰めてまとめられたと聞いております。妙泉寺に関する文書だったので、宮本家そもそもについては、何か伝えられていることがあるかもと思った次第です。あー、何の役にもたたん(涙)しかし、それはワタクシも以前から気になっていたことなのです。 返信する 浅学 (笛吹童子) 2007-11-22 22:42:25 一如さんへ: 本職をないがしろにして没頭することもできず、夜な夜なページをめくりつつ、想像たくましくするも、結論得られず。これ常のことなり。漢字ばかりの書を見ると「存置候」なる「候文」の羅列で、結局、意味不明となり、振り出しに戻る。そろそろ、貸し出し期限故に、コピーをして返却。どんどはれ!とはいかず。遠野物語研究所の方々にでも、現代語訳本でも出してもらわなければ、読み違いしそうでヤンス!笑 返信する Unknown (岩手のGO) 2007-11-23 07:22:40 宮本さんには、早池峰の秘仏を見に行きましょうと誘ったでしょうが(^^;自分が水先案内人となるので、次回時間をが合わせて、ご一緒しましょうぞ。 返信する 山奥は・・・ (笛吹童子) 2007-11-24 15:56:53 岩手のGOさんへ: 秘仏とはどんなものでしょうか?熊や蛇がいるような山奥は、拙者苦手ゆえ、ご勘弁くだされ!笑 返信する Unknown (岩手のGO) 2007-11-24 17:51:05 「遠野物語拾遺126」で紹介している荒削りの大黒様があるようですだ。今日の宮本さんは、同級生の新築祝いに出席している為、そこに密偵を遣わし話を進めています。当然、秘仏と話は宮本邸の予定で、変な場所に行かない予定ですだ(^^; 返信する 大黒 (笛吹童子) 2007-11-25 21:39:12 岩手のGOさんへ: お借りしている本にある円仁作として伝わる大黒天のことでしょうか?明治になるまで、大出妙泉寺にあったと思われる寺宝のひとつ。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
調べてみます。
情報ありがとうございました。岩手のGO氏から、拝借している妙泉寺関連書物を読んでいると、三ヶ寺の住職は、遠野地域に限られたものではなく、盛岡・花巻など、本藩との関連がイメージされ、じっくりと頭に入れようと努めているところです。
妙泉寺の住職は成就寺住職から転入されたり善応寺から入ったりしているようですね。
最後の住職宥応師は善応寺から入ったようでもあります。後に還俗した宮本姓になったようでもあります。
ありきたりですみません・・・いずれ天台、真言の宗派は家中寺や権力者による保護があって、檀家をほとんど持っていなかったので、神仏分離、廃仏毀釈の法令後は大変だったと思われます。
以前は、始閣氏と宮本氏はつながるものと勝手に思っていましたが、どうやら、そうではないことに最近になって気づきました。(汗) また、当時の僧と社人の仕事の違いについて考えはじめたら、なお、わからない。さらには、善応寺と東善寺と妙泉寺、そして、成就院。
頭の中が、吹雪いていて、この先が見えません。
直接突入されたら、どないでっしゃろ…
オイラはできないけどもぅ…笛吹さんなら とおもたです。
妙泉寺文書は宮本家に通い詰めてまとめられたと聞いております。
妙泉寺に関する文書だったので、宮本家そもそもについては、何か伝えられていることがあるかも
と思った次第です。
あー、何の役にもたたん(涙)
しかし、それはワタクシも以前から気になっていたことなのです。
本職をないがしろにして没頭することもできず、夜な夜なページをめくりつつ、想像たくましくするも、結論得られず。これ常のことなり。漢字ばかりの書を見ると「存置候」なる「候文」の羅列で、結局、意味不明となり、振り出しに戻る。そろそろ、貸し出し期限故に、コピーをして返却。どんどはれ!とはいかず。遠野物語研究所の方々にでも、現代語訳本でも出してもらわなければ、読み違いしそうでヤンス!笑
と誘ったでしょうが(^^;
自分が水先案内人となるので、次回時間をが合わ
せて、ご一緒しましょうぞ。
秘仏とはどんなものでしょうか?熊や蛇がいるような山奥は、拙者苦手ゆえ、ご勘弁くだされ!笑
荒削りの大黒様があるようですだ。
今日の宮本さんは、同級生の新築祝いに
出席している為、そこに密偵を遣わし話
を進めています。
当然、秘仏と話は宮本邸の予定で、変な
場所に行かない予定ですだ(^^;
お借りしている本にある円仁作として伝わる大黒天のことでしょうか?明治になるまで、大出妙泉寺にあったと思われる寺宝のひとつ。