私が子供の頃は、桜やつつじの季節になると花見を兼ねて鍋倉山や福泉寺で飲食しました。
いつの頃にか、それも行われなくなったのも、花の時期が一定でなくなり、
娯楽が多様化してきたことにもよるのでしょう。
それよりなにより、人口減少が一番の原因だったりして・・・汗
さて、今日から社会復帰、気力だけで頑張ります!
でも、連休話題は続きます。笑
旧遠野南部家臣たちの尽力で創建された南部神社
芸能奉納も後半。
三番目は上宮守神楽さん
八幡舞です。
4月14日の拙ブログに駒木神楽を取り上げました。
その動画には、この上宮守神楽さんも所持する勤王五世鍋倉神社と記された幟が写っており、
南部神社と改名する前の明治15年から少なくとも昭和18年までの間、
この神社で二つの神楽が奉納されていたはずです。
もしかすると殿様から向い鶴紋の使用を許可されたという伝承がある団体以外で
その紋を使用しているしし踊りには、これらの神楽と同じ理由の団体があるかもしれません。
新コロで、さっぱり練習もしていないとお聞きしました。
下舞では、この舞に新人が挑戦しているとのことで、新旧?二人での舞
権現舞に移ると新人さんの顔つきがキリッとしました。
地元のお酒「国華の薫」をありがたく頂戴し、
お客さんの頭をカミカミして終了。
今年は上宮守のお祭り、やるんでしょうね~?
最後に小友町の鷹鳥屋獅子踊りさん
前日の神輿渡御には、同じ小友町の長野獅子踊りさんが供奉したはずです。
長野獅子踊りさんに、遠野郷八幡宮とこの南部神社で神輿渡御に供奉するのはなぜ?
と、聞いたことがあります。
返答は、小友町は遠野町から遠いので、前日だか夜中に地元を出てくるので、
一番乗りだったからということでした。真実はわかりませんが・・・笑
子供の参加を最小限にして
この日のお客さんは市外・県外が多かったのか、見ている時に、初めて見るという
会話があちらこちらから。
私が一番興味を惹いたのは、種ふくべさん
酔っ払いもせず、動きもばっちり!
写真はありませんが、太夫の唄もまた大きな声でばっちりでした!
小友町らしく、最後は拝殿前で投げ草で感謝の意を表し、終わり。
市内の神社例祭の中でも早くに開催される南部神社、
この後に続く例祭でも、多くの芸能が例年通りに奉納されることを願っています。
やっとお渡しでき、ほっとしています。
お陰様で、ビデオに写っていたシーンの一部を取り上げることができました。感謝
駒木神楽で最後の胴を勤めていた、ブログ仲間のお父様の生前の姿、そして、声が確認でき、本人共々、喜んでいます。
この場を借りてのお礼、甚だ失礼とは思いますが阿部様には大変感謝しております。
懐かしい映像の数々、重ねて感謝しております。
ありがとうございました。
何かの機会にまたお礼を申し上げたいと思います。
GW、お疲れさまでした!
上宮守神楽の事を取り上げる時には、もう一度、駒木神楽のことも取り上げようとこの日を待っておりました。笑
駒木神楽は中断後に復活というイメージだったので、鶏舞がなんとかできる程度なのかなあと思っていたので、父とらねこさんの胴ぶりには、びっくりしました。相当、お好きだったんでしょうね~。
神楽の伝承も年々厳しさを増していますね。高齢化によってできなくなっている団体も各地にあります。こればっかりは好きなだけでも出来ないし仲間や地域の力が無いとね。
私も懐かしい。母に連れられて平倉のスズラン狩りや、小学校の遠足は鍋倉山でした。毎回、SLでのタコトンネル通過後に、鼻の穴が真っ黒になったことを思い出しました。釜石では聞いたことがなかった、神楽芸能を見に遠野に行くべきでした(今更残念)。腰痛のところ社会復帰頑張ってください。
特に若い頃の歌声は高温で伸びがあったので、遠野まつり等では評判だったと聞きます。(;^ω^)
しし踊りを勇退して同年代の方々と神楽を復活させましたが、酒と郷土芸能という生活でした。(^^;
阿部さまには重ねて感謝です。
ありがとうございました。
この度のビデオの件では、持主さん以上に阿部さんととらねこさんには、ご尽力頂きまして感謝申し上げます。
宮守町の鹿込しし踊りも演じられなくなってしばらくになります。太夫の方が亡くなり、出来なくなったと聞いた時に、もうちょっと写真も撮っておくんだったと後悔しました。
そのこともあって、今回は、お話があった時に、どうしてもこの目で見ておきたい衝動にかられました。笑
そうだったんですか!遠野にも思い出があるんですね~!
その遠野、連休が終わり、周りの風景も、きれいな時期になってきました。
腰痛、明日辺りには良くなりそうです。笑