平安夢柔話

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平安王朝

2008-08-15 10:00:32 | 図書室1
 久しぶりの「図書室1」の更新は、平安時代の天皇たちの年代記とも言えるこの本です。

☆平安王朝
 著者=保立道久 発行=岩波書店・岩波新書

本の内容紹介
平安時代は従来、藤原氏が専横をきわめる時代として描かれ、天皇は後景に退いていた。
 だが、その理解は正しいだろうか?
 著者は、王権の運動と論理こそ時代を動かした力であると捉え、桓武から安徳にいたる32代の「王の年代記」に挑む。
鮮やかに浮かび上がる新しい平安時代像とは何か?歴史研究の醍醐味を伝える通史叙述。

目次
1 桓武天皇とその子どもたち
 桓武天皇のイメージ;桓武の子どもたち
2 都市王権の成立
 『源氏物語』の原像=仁明・清和・陽成・高子;王統が動く=光孝・宇多をめぐるドラマ;延喜聖帝=醍醐と道真の怨霊;「狂乱の君」=冷泉がもたらした暗雲
3 「摂関政治」と王統分裂
 円融・花山の角逐と兼家の台頭;一条と三条=道長の黄金時代;「後」のつく天皇たち=爛熟への傾斜
4 「院政」と内乱の時代
 院政の成立=後三条の登場;白河王統の確立と摂関家の屈服;内乱の時代へ;後白河天皇の歴史的位置

*現在では絶版のようです。ご興味を持たれた方、図書館か古書店を当たってみて下さい。


 紹介文や目次を見ておわかりのように、平安時代の天皇家の歴史を、主に藤原摂関家と関わらせながら描いた歴史評論です。桓武天皇から始まり、嵯峨系・淳和系の平和的並立、しかし、承和の変によってそれが打ち砕かれ、嵯峨天皇の皇子、仁明天皇の直系が帝位につくことになります。しかし、陽成天皇の退位によって光孝天皇が即位、新しい王統が始まることになります。やがてその王統も冷泉系と円融系の二つに分かれ、藤原道長の登場によって円融天皇の皇子、一条天皇の子供たちが帝位につき、更に後三条・白河天皇の登場で院政が始まり、ついには内覧の時代に突入するといった歴史の流れをコンパクトにまとめてあります。天皇家を中心にした平安時代の歴史の本は、ありそうでなかなかないので新鮮だと思います。

 それで、まず読んだ感想を書きますと、この本とても面白いです。実は今回は再読で、初めて読んだのは7年前、私がまだ平安時代に関する専門書をほとんど読んだことがない頃でしたが、すごく楽しめたのを覚えています。つまり、初心者にも楽しく、わかりやすく読める本だと思います。

 更に、新書なので内容がコンパクトなのですが、どうしてどうして、かなりマニアックな内容にも触れていて、読んでいてわくわくします。以下に、この本に書いてあるマニアックな事柄を覚え書き的に少し書いてみます。

○陽成天皇は高子と在原業平の子だという噂があり、それが「源氏物語」の構想のモデルの一つになったのではないか。

○藤原時平の妹、穏子の入内を阻止するため、宇多天皇と班子女王は醍醐天皇のもとに為子内親王(光孝天皇と班子女王との間に生まれた皇女)を入内させた。しかし為子内親王は皇女を産んで間もなく亡くなった。このことについて班子女王は、「穏子の母親による呪詛のためだ」と言ったということである。

○「大鏡」に出てくる雲林院の菩提構は、三条天皇皇后の藤原(女成)子の四十九日の法要だった。

○清和源氏(武門源氏)は、従来言われているような摂関家との関係だけでなく、天皇家とも関わりを持っていた。源満仲は花山天皇とも深い関わりを持っており、天皇の跡を追って出家した。さらに満仲の子供たちは、小一条院敦明親王と関わりを持っていた。
 そしてその子孫である義家は、白河上皇によって即位への道を閉ざされた輔仁親王と関わりを持っていた。一方、白河上皇と深い関わりを持っていたのが平正盛・忠盛親子である。こんなところにも、源平対立の要因があるのではないか。

 また、平安時代には皇太子空位の時期が多かったことにも驚かされました。このような皇太子空位の多さも、しばしば皇位継承争いや皇統の交替が起こった原因かもしれませんね。ともあれこの本、「平安時代の歴史は面白い」ということを強く感じさせてくれる1冊です。お薦めです。


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