平安夢柔話

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風俗博物館 ~京都1泊旅行2006年春2

2006-04-13 11:56:23 | 旅の記録
 今回の風俗博物館の展示は、
女三の宮六條院降嫁『若菜上』より
女三の宮と紫の上の対面『若菜上』より
女楽『若菜下』より
入道の宮『幻』より
というように、まさに女三の宮の生涯をたどる展示となっていました。そして今回の展示は「紫の上の好きな人にとっては見るのが辛いかも…」ということをうかがっていましたので、紫の上が好きな私もちょっと覚悟をして見に来たというわけです。

 では、展示の内容をお話しする前に、女三の宮の人生を簡単にまとめてみますね。

 今回の展示の主人公、女三の宮は、光源氏の兄、朱雀院を父に、式部卿の宮や藤壺の宮の異母妹の藤壺女御を母に産まれました。女三の宮は早く母を失ったことなどから、朱雀院から一番可愛がられて成長することとなります。

 女三の宮が14歳くらいになった頃、父朱雀院は健康上の理由などから出家を決意します。しかし気がかりだったのはこの女三の宮の行く末でした。
 その頃、女三の宮には、光源氏のかつての親友、頭中将の息子の柏木など、求婚者が何人がいました。しかし朱雀院は、「どれも若すぎて頼りにならぬ。」と、結婚を許そうとしませんでした。
 そして朱雀院は色々考えた末、光源氏に女三の宮を託そうと決心します。光源氏の地位と経済力に賭けたわけです。光源氏は最初は断ったのですが、女三の宮が初恋の人藤壺の宮の姪であることを理由に、女三の宮との結婚を承諾します。「藤壺と似ているかもしれない。」とでも思ったのでしょうね。こんな所にも、藤壺の与えた影響の大きさを感じてしまいます。

 その翌年の2月、女三の宮はまるで入内するような華やかさで六條院に降嫁してきます。光源氏の最愛の女性だった紫の上は、心中穏やかならぬものがあるのを隠し、女三の宮降嫁の準備に協力したのでした。
 さて、こうして六條院に降嫁してきた女三の宮ですが、年よりもずっと幼く、他愛ない感じでしたので、源氏との仲はどうもしっくり行きません。その噂を聞いた柏木は、「源氏に何かあったら私が女三の宮をもらい受けよう。」というとんでもないことを考えていたのでした。

 女三の宮が六條院に降嫁をして1年ほど経った春のある日、六條院の庭では蹴鞠の催し物が行われていました。女三の宮も御簾ごしに蹴鞠を見物していたのですが、猫のいたずらによってすだれが上がってしまい、立ち姿があらわになってしまいます。そしてその姿を柏木が見てしまったのでした。かねてから女三の宮を恋い慕っていた柏木は、その可憐な姿にすっかり心を奪われ、ぼーっとなってしまったのでした。

 それから5年の年月が流れました。光源氏は朱雀院を招いて女楽を催します。そしてその翌日、紫の上が病で倒れてしまいます。紫の上は少女時代を過ごしたなつかしい二条院に移ることとなり、源氏も看病のために紫の上につきっきりとなり、六條院を留守にすることが多くなったのでした。

 そして光源氏の留守中、柏木は女三の宮の女房、小侍従の手引きで彼女の許にしのんでしまいます。その結果女三の宮は、柏木の子供を身ごもってしまいます。
 そのうえ女三の宮は、柏木からもらった手紙を光源氏に見つけられてしまいます。源氏に責められた女三の宮は悩み苦しみ、その中で男児(薫)を出産、やがて出家をすることになります。そして柏木も、罪の意識にさいなまれながら病死してしまいます。
 他人の子を自分の子として抱かなければならなくなった光源氏も、自分が若い頃、父の妻であった藤壺の宮と密通して子供を産ませたことを思い出し、「これも因果応報なのだ。」と感じるのでした。
 女三の宮は、我が子薫の成長だけを楽しみに念仏三昧の日を送ることになります。しかし、相変わらず幼くて他愛なく、いつまでも若々しかったようです。何もわからないまま源氏の妻になり、その源氏からはあまり愛されず、自分の意志に反して柏木と密通して子供を産み、悩んで出家をする……。考えてみると気の毒な人生です。

 今回の展示は、そんな女三の宮の哀れ深い生涯を人形と調度品の模型で展示してありました。

 まず博物館に入って真っ先に目に飛び込んで来たのは、女三の宮降嫁の華やかな風景でした。豪華な調度品と食事、牛車などは見ただけでため息が出そうです。そして壮観なのは正装をした女三の宮の女房たちの華やかな行列です。これだけ豪華な婚姻風景を見せられた紫の上の心情を思うと、切なくなってきます。

 それとは対照的なのは、奥の方で展示されていた「入道の宮」の場面です。
 紫の上亡きあとの春の日、光源氏は出家をした女三の宮を訪ねます。源氏は、「春が好きな人がいなくなってしまって寂しい。」とか、「花を植えた人がもうこの世にいないことも知らず、今年も美しい花が咲いた。」ということを切々と女三の宮に向かって語りかけます。
 しかし女三の宮の返事は「谷には春も」というそっけないものでした。これは古歌から引用した文句ですが、「花が咲こうと春が来ようと、私には関係ないわ。」という意味です。案外この「谷には春も」が、晩年の女三の宮の心情を表しているのかもしれません。あれだけ辛く悲しい思いをして出家した女三の宮です。このようなそっけない言葉しか返せないのは仕方がないかもしれませんよね。

 入道の宮」の場面の展示は哀愁が漂っていました。世の中への執着を捨てた女三の宮と、紫の上を失った寂しい源氏の姿がよく表現されていました。そして、その寂しさの中に小さな子供が2人、そう、女三の宮の息子の薫と、光源氏の孫の三の宮(後の匂宮)、「宇治十帖」の主人公となる2人の幼い日の無邪気な姿がありました。


 でも、今回の展示で私が最も心を引かれたのは、女三の宮と紫の上の対面の場面です。この場面の写真を上に載せてみました。

 女三の宮が降嫁して数ヶ月経った夏のある日、紫の上は女三の宮の許を訪ねていきます。ちょうどこの頃、懐妊の兆候があった明石の女御が宮中を退出して六條院に里帰りをしてきます。明石の女御は紫の上の養女であり、幼いときから世話をしてきた大切な姫でした。そのため紫の上は一日も早く明石の女御に会いたかったのですが、すぐ隣にいる女三の宮にも挨拶に行かなくては、六條院の秩序が保てないと感じ、二人の対面は実現したのでした。
 こうして女三の宮と対面した紫の上ですが、女三の宮が年よりも幼くて子供子供しているのを見て、かえって気安く思えたのでした。そして、「私たちはいとこ同士ですものね。」など、優しく話しかけたのでした。女三の宮も紫の上のことを「若々しくて優しい方」と思い、心を開いていきます。こうして、六條院の秩序も保たれることとなります。

 二人の対面の場面の展示で注目すべきなのが装束です。
 この時代は普通、身分の高い人の所を身分の低い人が訪ねていくというのが習わしでした。この場面も、正室であり内親王である女三の宮の方が身分が上ですから、女三の宮の許を紫の上が訪ねていくというのは当然のことです。
 そして装束も普通、身分の高い人は普段着、身分の低い人が正装というのが習わしでした。つまり、女三の宮は普段着の裳袿、紫の上は裳唐衣ということになります。
 しかし写真を見ておわかりだと思いますが、二人とも裳唐衣です。確かにもし、女三の宮が裳袿だったら、紫の上があまりにも可哀想ですよね。
 なのでこの場面の展示を見て、何かほっとしました。このように感じてしまう私は、やっぱり紫の上びいきなのですね。

 風俗博物館を訪れるのは約1年半ぶりでしたが、今回も楽しませていただきました。「源氏物語」の世界を忠実に、立体的に再現してくれる風俗博物館の展示にはいつも感動させられます。今回も素晴らしい展示をありがとうございました。

 風俗博物館をあとにし、次の目的地、下鴨神社の研修道場に向かいます。
 関連リンク
「源氏の部屋」「風俗博物館を10倍楽しむ!」
 今回の展示の詳しいレポートがあります。ぜひ御覧になってみて下さい。