平安夢柔話

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日帰り京都旅行2005年夏11 ~法住寺

2005-10-02 12:48:25 | 旅の記録
 後白河院が住んでいた法住寺殿は、永暦元年(1160)に藤原為光(道長の叔父)の法住寺の敷地を利用して造影が始まったそうです。
 その法住寺殿ですが、北は七条坊門小路(正面通)から南は観音堂大路(泉涌寺道)、東は東山の山麓から西は法性寺大路(大和大路)までという広大なものでした。その広大な敷地に邸宅や三十三間堂が建っていたようです。
 後白河院は途中、治承のクーデターによって鳥羽殿に幽閉されたり、福原遷都によって福原に移住したりと困難にあったものの、応保元年(1161)から義仲との法住寺合戦が起こった寿永二年(1183)までは、この豪華絢爛な法住寺殿を御所としていました。

 今回私たちが訪れた法住寺は、その一角にこぢんまりとたたずんでいるお寺です。
今回は時間の都合でお寺の東側にある後白河天皇法住寺陵には行けませんでしたが、今度京都に行く時は出来るだけ行ってみたいと思います。

 法住寺の境内には誰一人も人がいませんでした。「入ってもいいのかな?」と思いながら奥に進んでいくと本堂にたどり着きました。しかし本堂は改修工事中でした。改修工事が終わるのは平成十八年とのこと。残念!!こういう事って、よくあるのですよね。紫式部の邸宅跡に建っている廬山寺を最初に訪れた時も、改修工事中で中に入ることができなかったことを思い出してしまいました。
 ただ、仮の御堂らしい小さな御堂はありました。中には誰かいるらしく、人の話し声が聞こえます。中に入るのははばかられたのですが通路を左側に沿って歩いていくと中央の隣の部屋に、小さな像と灯のともったろうそくの小さな部屋がありました。そこで一本60円のろうそくを買ってお参りしてきました。

 再び境内の庭に戻ると、濡れない程度の小雨が降り始めていました。木々の緑が目に心地よかったです。後白河院もかつて、今私が歩いているところと同じ地面を踏みしめて歩いたことがあったかもしれないなと思うと、何か不思議なものを感じました。

 写真は、そんな法住寺の山門です。

 では、次は三十三間堂に向かいます。