大河ドラマ「義経」第12回の感想です。
今週は平家のみなさまの登場が多かったので、ある程度満足でした。
そして、ついに重盛が亡くなってしまいましたね…。残念です。
重盛は平家の人物の中では、清盛の次に個性的にしっかり描かれているような気がしていましたので。
でも、重盛の替わりに個性的に描かれそうな人物が出てきましたよね。「小松の兄上が亡くなったので、我らの時代が到来した。」と言っていた宗盛です。小心者ですが、かなりの野心家として描かれそうな予感がします。これからは、維盛・資盛兄弟と宗盛の対立が大きなウエイトを占めることになるのでしょうか。そのあたり、ちょっと楽しみだったりします。
でも、重盛と宗盛を比べたとき、やはり人間の大きさが違いますね…。
重盛の死は平家の滅亡を早めてしまったのかもしれません。
それはともかくとして、重盛の死からいきなり治承のクーデターに突っ走るとは思いませんでした。何か、展開がすごく早すぎるような気がします。
また、唐突に盛子の死がナレーションされたのもびっくりでした。しかも、「関白基実さまに嫁いでいた盛子さま」と言っていましたよね。でもこれは、「故関白基実さまに嫁いでいた盛子さま」と言うべきではないでしょうか。その頃の関白は基実の弟の基房なのですから。この時代のことに詳しくない人は、このあたりを混乱して「関白って同じ時期に二人いたの?」と誤解してしまうと思います。
治承のクーデターに関しても、清盛の行動や心の内をもっとしっかり描いて欲しかったです。また、幽閉された後白河院や、関白を辞めさせられた基房にも、もっとたくさんしゃべらせて欲しかったです。
どうも今回の「義経」は、京都と貴族を無視しすぎているように思えてなりません。
さて、平泉の義経ですが…。忠衡って、義経に敵意丸出しだったのに、いつから義経の館を訪問するような間柄になったのでしょう?
国衡も、すっかり義経と親しくなっている様子ですし。このあたりがあまりにも唐突すぎます。義経が泰衡を助けたことで、彼の評価が上がり、国衡も忠衡も義経と親しくなったということなのでしょうか。二人が義経と親しくなっていく経過も、見てみたかったように思うのですが…。
さて、いよいよ登場してきましたね、源(基礎)義仲と巴御前が…。
巴に追いかけられている義仲、格好悪かったです。でも、義経や家来たちとしゃべっているところを見ていると、「源氏の殿」という風格があるような気がしました。義仲というと、『田舎者なので都の人から馬鹿にされて疎まれた』というイメージがあるのですが、今回の義仲はちょっとキャラクターが違うかもしれませんね。
期待が持てそうです。
義仲が登場してきたということで、今回は彼の生い立ちや身の上について調べてみました。
源義仲は、「仁平四年」=「久寿元年(1154)」源義賢の子として武蔵国で産まれました。義賢は源為義の子ですので、同じく為義の子である義朝の子供達、つまり頼朝・義経兄弟と義仲はいとこ同士ということになりますよね。
久寿二年、父の義賢は甥に当たる源義平(義朝の子で頼朝の異母兄)に館を奇襲され、あえなく討ち死にしてしまいます。
なぜこのようなことになったかといいますと、義賢と義朝は関東の派遣をめぐって対立していたということが考えられるようです。そのため、関東で成長し、すでにこの地に基盤を持っていた義平は義朝の命令を受けて、義賢を襲ったとも考えられます。
また、摂関家内部の対立が絡んでいたとも言われています。
つまり、藤原忠実・頼長親子と結んでいた源為義・義賢と、藤原忠通(頼長の異母兄)と結んでいた源義朝・義平の対立が激化したとも考えられるようです。この忠実・頼長親子と忠通の対立が、翌年に起こる保元の乱の一因ともなるわけで、この義平による義賢奇襲は保元の乱の前哨戦とも言えるようです。
さて、当時2歳だった義仲は危うく難を逃れ、斉藤実盛に託されて信濃に落ち延びました。そして、乳母の夫であった中原兼遠にかくまわれ、養育されることとなります。
兼遠は信濃を本拠地とする豪族でしたが、義仲を大切に養育しました。
彼にはたくさんの子がいましたが、義仲はそれらの子供達と兄弟のように交わって成長していったと考えられます。というのも、後年義仲と最後まで行動を共にする今井四郎兼平や、樋口次郎兼光といった義仲の側近中の側近は、中原兼遠の息子達だからです。そして何を隠そう、巴御前も兼遠の娘なのです。
こうしてみると私には、義仲と中原一族は深い縁で結ばれていたように思えます。
幼くして父を失った義仲ですが、義朝の子息たちに比べると、はるかに恵まれた幼少期を送ったのではないでしょうか。また、このような献身的な側近に恵まれたことが、義朝の子息たちより早く上洛できた原因と言えるのかもしれませんね。
さて来週は、源頼政が平家討伐の兵を挙げる場面が描かれるようですね。
この話には後白河院の皇子、以仁王の存在が欠かせないと思うのですが……。
どうかどうかお願いですからNHKさん、以仁王はしっかり出演させて下さいね。
来週もどんな描き方をしてくれるのか、楽しみに観ます。
今週は平家のみなさまの登場が多かったので、ある程度満足でした。
そして、ついに重盛が亡くなってしまいましたね…。残念です。
重盛は平家の人物の中では、清盛の次に個性的にしっかり描かれているような気がしていましたので。
でも、重盛の替わりに個性的に描かれそうな人物が出てきましたよね。「小松の兄上が亡くなったので、我らの時代が到来した。」と言っていた宗盛です。小心者ですが、かなりの野心家として描かれそうな予感がします。これからは、維盛・資盛兄弟と宗盛の対立が大きなウエイトを占めることになるのでしょうか。そのあたり、ちょっと楽しみだったりします。
でも、重盛と宗盛を比べたとき、やはり人間の大きさが違いますね…。
重盛の死は平家の滅亡を早めてしまったのかもしれません。
それはともかくとして、重盛の死からいきなり治承のクーデターに突っ走るとは思いませんでした。何か、展開がすごく早すぎるような気がします。
また、唐突に盛子の死がナレーションされたのもびっくりでした。しかも、「関白基実さまに嫁いでいた盛子さま」と言っていましたよね。でもこれは、「故関白基実さまに嫁いでいた盛子さま」と言うべきではないでしょうか。その頃の関白は基実の弟の基房なのですから。この時代のことに詳しくない人は、このあたりを混乱して「関白って同じ時期に二人いたの?」と誤解してしまうと思います。
治承のクーデターに関しても、清盛の行動や心の内をもっとしっかり描いて欲しかったです。また、幽閉された後白河院や、関白を辞めさせられた基房にも、もっとたくさんしゃべらせて欲しかったです。
どうも今回の「義経」は、京都と貴族を無視しすぎているように思えてなりません。
さて、平泉の義経ですが…。忠衡って、義経に敵意丸出しだったのに、いつから義経の館を訪問するような間柄になったのでしょう?
国衡も、すっかり義経と親しくなっている様子ですし。このあたりがあまりにも唐突すぎます。義経が泰衡を助けたことで、彼の評価が上がり、国衡も忠衡も義経と親しくなったということなのでしょうか。二人が義経と親しくなっていく経過も、見てみたかったように思うのですが…。
さて、いよいよ登場してきましたね、源(基礎)義仲と巴御前が…。
巴に追いかけられている義仲、格好悪かったです。でも、義経や家来たちとしゃべっているところを見ていると、「源氏の殿」という風格があるような気がしました。義仲というと、『田舎者なので都の人から馬鹿にされて疎まれた』というイメージがあるのですが、今回の義仲はちょっとキャラクターが違うかもしれませんね。
期待が持てそうです。
義仲が登場してきたということで、今回は彼の生い立ちや身の上について調べてみました。
源義仲は、「仁平四年」=「久寿元年(1154)」源義賢の子として武蔵国で産まれました。義賢は源為義の子ですので、同じく為義の子である義朝の子供達、つまり頼朝・義経兄弟と義仲はいとこ同士ということになりますよね。
久寿二年、父の義賢は甥に当たる源義平(義朝の子で頼朝の異母兄)に館を奇襲され、あえなく討ち死にしてしまいます。
なぜこのようなことになったかといいますと、義賢と義朝は関東の派遣をめぐって対立していたということが考えられるようです。そのため、関東で成長し、すでにこの地に基盤を持っていた義平は義朝の命令を受けて、義賢を襲ったとも考えられます。
また、摂関家内部の対立が絡んでいたとも言われています。
つまり、藤原忠実・頼長親子と結んでいた源為義・義賢と、藤原忠通(頼長の異母兄)と結んでいた源義朝・義平の対立が激化したとも考えられるようです。この忠実・頼長親子と忠通の対立が、翌年に起こる保元の乱の一因ともなるわけで、この義平による義賢奇襲は保元の乱の前哨戦とも言えるようです。
さて、当時2歳だった義仲は危うく難を逃れ、斉藤実盛に託されて信濃に落ち延びました。そして、乳母の夫であった中原兼遠にかくまわれ、養育されることとなります。
兼遠は信濃を本拠地とする豪族でしたが、義仲を大切に養育しました。
彼にはたくさんの子がいましたが、義仲はそれらの子供達と兄弟のように交わって成長していったと考えられます。というのも、後年義仲と最後まで行動を共にする今井四郎兼平や、樋口次郎兼光といった義仲の側近中の側近は、中原兼遠の息子達だからです。そして何を隠そう、巴御前も兼遠の娘なのです。
こうしてみると私には、義仲と中原一族は深い縁で結ばれていたように思えます。
幼くして父を失った義仲ですが、義朝の子息たちに比べると、はるかに恵まれた幼少期を送ったのではないでしょうか。また、このような献身的な側近に恵まれたことが、義朝の子息たちより早く上洛できた原因と言えるのかもしれませんね。
さて来週は、源頼政が平家討伐の兵を挙げる場面が描かれるようですね。
この話には後白河院の皇子、以仁王の存在が欠かせないと思うのですが……。
どうかどうかお願いですからNHKさん、以仁王はしっかり出演させて下さいね。
来週もどんな描き方をしてくれるのか、楽しみに観ます。