江戸糸あやつり人形

江戸時代から伝わる日本独自の糸あやつり人形。その魅力を広めるためブログを通して活動などを報告します。

年の初め

2017-01-01 22:50:42 | 人形について
皆様明けましておめでとうございます。

年の初めのめでたさは

めでたい踊りはいろいろあるようですが、
もっとも有名なのは「三番叟(さんばそう)」ではないでしょうか。
能の演目に「翁」と言うのがあり、
そこには”翁””千歳(せんざい)””三番叟”と出て舞うのですが
その三番叟の舞だけを取り上げて、五穀豊穣を願ってよく舞われます。
歌舞伎の幕開け前に、
幕内で”大入叶う”と願って座頭が舞うこともあります。

実は私どもの糸あやつり人形で、
江戸時代から伝わる演目は、この「三番叟」と「獅子舞」だけです。
それ以外は、明治維新頃に取り入れられた義太夫ものになります。

そこで私も「三番叟」の”踊り”を作ろうと思いました。
ただ、寡聞ながら能、歌舞伎、人形などを見ましたが、
ピンと来るものは、残念ながらありませんでした。
「翁」の研究本も読みましたが、参考になりません。

江戸時代の糸あやつり人形の絵を探しましたら、
そのほとんどが、子供のおもちゃの糸あやつり人形「三番叟」です。
それだけ糸あやつり人形の「三番叟」は流行ったのでしょう。
長唄舞踊の「操り三番叟」になっているほどです。
ではどんな踊りをして、人気を博したのでしょうか。
それがわかりません。
踊っている瞬間の絵を、まだ見る機会がありません。

それを探すためいろんな研究書を見ていましたら、
私も何度かお会いした宇野小四郎さんの論文に出会いました。

九州の土産品に、
三番叟の烏帽子をかぶって真っ赤な顔をしたからくり人形があって、
私もそれがなんだろうと思っていたのですが、
実はそれが三番叟の原型を現わしていると、小四郎さんは言います。

昨年の3月、宇佐八幡さんにお参りしましたが、
宇佐八幡神は荒ぶる神で、住吉神社の神に導かれて隼人を征伐し、
良い神になったとあり、
あの赤い顔は荒ぶる神を現わしていて、
良い神になって白い顔になったのではないか、と推論しています。

ただ八幡神は、隼人を征伐するのに人形芝居を持っていき、
面白がって隼人が集まった時にだまし討ちしたと言うのですから、
今の感覚では余り良いイメージはありません。
その時の首塚が、宇佐八幡宮から10分ほど歩いたところに
今も残っています。

さて自分はどう作るかと考えた時、
実は既にあるじゃないかと気付きました。
それは赤い顔から白い顔に変わるし、
師匠から教わった、師匠の「三番叟」の振りを織り込んでいたもの、
赤い面の時にもっと荒々しさが出れば、現代版「三番叟」なんだ。

不思議といつの間にか作っていました。
「三番叟」は、意外にも日本人の精神の芯にあるのかもしれません。

その踊りは「酔いどれ」
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