江戸糸あやつり人形

江戸時代から伝わる日本独自の糸あやつり人形。その魅力を広めるためブログを通して活動などを報告します。

輪島

2010-03-18 23:15:31 | 日記
朝、時間があったので、千枚田に行く。
田植えが終わったばかりの風景はよく写真で見るが、今の時期はない。
もっと広がっているのかと思っていたが意外と狭く、千枚あるのかなと疑ってしまう。
解説板には1002枚あるとのこと。
良くぞここまで細かく棚田を作ったものだと、感心してしまう。

輪島市内とこことの間は、なんとふきのとうの宝庫。
今が旬といった感じで、辺り一面と言ってもよいくらい顔を出している。
車を止めて取ろうかと提案したのだが、皆に一蹴されてしまった。
輪島の朝市で売っているのを見たからだ。
やはりよそ者が乱してはいけない、強く反省した。

漆器会館に寄る。
ふと何故この地でこれだけ発達したのだろうと、疑問が湧く。
昨日の飲み屋では、この地はそうめんが名産で、それを売り歩くのにお碗も売ったのだろう
と言われた。
ここがそうめんの名産地だとは知らなかった。
食べてみたいと思ったが、夏しかやっていないとのこと。
遣り残した事があると必ず戻ってこられると信じている。何年か後の夏にきっと再訪できる
だろう。

公演会場は和室。
畳を揚げ、ビールケースを土台に舞台を組む。
揚げた畳で客席を組む。
ちょっと時間が掛ったけれども、和室は向島百花園で慣れている、
なかなか良い空間ができた。

輪島は小ぶりな町だけれど、常に話題になるだけあって見所も多かった。
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2 コメント

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Unknown (sima)
2010-03-21 07:33:28
雪解けを待たずに顔を出す春の使者・・・ふきのとう・・・
ふっと思いだしました。夢のように過ぎ去ったあのひとときのことを。

それは、先月だったでしょうか、益田という辺鄙な町に糸あやつりの為だけに突如来られたすばらしい先生方のことです。

その日は、雨でした。片岡先生、河向先生、松本先生がたまたま、私の車に乗られた時、車のラジオから流れてきたふきのとうの話題に、みなさんがすぐに反応され、「いいねぇ」「ふきのとうはてんぷらにしたらおいしいですよね」「うちの近くにはたくさんあるよ」「そうでしたね」「じゃあその時季になったら、先生のお宅へ訪問してごちそうになりましょう」「それもいいね」「ふきのとうって・・・」(話はつづく・・・ちょっと記憶が定かではありませんがこんな感じ)というような会話になりました。
そのなんともいえない、上品さ漂う会話に車内は穏やか~な空気が流れました。
外は、震えるような寒さなのに、その瞬間、春がパッとやってきたかのようでした。

まあ、それじゃあただのごちそうの会話に感激した田舎者の私、って感じですが、それがとても印象的だったのは確かですが、言いたいのはもうちょっとレベルの高いことでして・・・(ちょっと長くなってきた)

私はその時、実は驚いたのです。私も一緒にラジオを聞いていたのですが、私には「ふきのとう」は右の耳から入って、左の耳へサッと流れていった言葉だったのですが、その「ふきのとう」に先生方が一斉に反応され、会話がどんどん膨らんでいったことです。
私は、なんて感性が豊かなんだろうとその時、思いました。すごいなぁと感心して聞き入っていました。
それくらい感性が豊かだから、素晴らしいものを創りだすことができるんだろうなとしばらく考えていました。

ちょっとしたことにも、「すばらしいね」とか、「素敵だね」などの感動する言葉を言われる、心が実に純粋で穏やかな印象を強く受けました。また、それ以上に驚いたのは、その謙虚さでした。自分の仕事に取り組まれる姿には、驕りが全く感じとられませんでした。おそらく素晴らしい先生方というのは、そういう感じなのでしょうね。
ほんのわずかしか教えていただける時間はなかったので、これは、ほとんど私の第一印象のようなものです。

ということで、「ふきのとう」?
いったい何が書きたかったのか分からなくなってきましたが・・・
その先生方にお逢いできて、しあわせだったなぁという思い出話です。

それと、その出逢いを通して、

純粋な心をもち、感性豊かでありたい。そして、些細なことで腹を立てたりせず、心、常に穏やかでありたい。泣き虫な私、感動した時、悲しい時には、涙枯れるまで泣き尽くせばいいじゃないか。他人と比べることもなし、ありのままの自分で生きたらいいじゃないか。
何をそんなに悩んでいるのか、何をそんなに焦っているのか、そんなちっぽけな心の自分自身を見つめているのであります。
「ふきのとう」
私にも、春を知らせる、ふきのとうのように芽が出る日がやってくることを信じて・・・。

おわり
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Unknown (上條 充)
2010-03-21 19:28:43
東京から来たからといって地方出身者は多いです。
田舎ものと言って卑下される事はありませんよ。
私は北海道、連れは宮崎の出身で、それぞれの体験が元になっていますから、同じ風に対しても反応が違います。
shimaさんにはきっと益田の空気が染み込んでいるでしょうから、私はもちろん先生方にも分からないものをもっていらっしゃると思います。
芽はもう出ているはずですよ。
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