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葬送 なるほど 家族葬 八千代市の葬儀

一日/一生   「道順庵」のつれづれ草 水琴窟に癒されて

風情

2008-09-22 09:45:00 | 道順庵の徒然草
前に長野の海野宿によったときの写真です

桶の中にお花が浮かべてあります

木の桶がポイントでしょうか

古い町並みを意識した情緒や風情は

旅するものを和ませてくれます

いろんなところでいただくヒントは

ほんのちょっとした心遣いなのです

これも桶(OK)ですね・・・

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泊まらない家族葬

2008-09-22 09:35:07 | 道順庵の徒然草
昨日の家族葬のお客様は、無宗教でなさいました

人数が少なかったので、祭壇のある前にテーブルを

用意しまして、食事をしながら故人様を偲んでいただきました

やがて夜も更けて皆さんがお帰りになられました。

昨今では珍しくはありませんが、

通夜には故人様のそばに一晩「起きて」居る・・・

もうそんな「かたち」だけの一晩より

供養は供養として、ちゃんと行い、休むときは

ちゃんと休む・・・メリハリのついた考え方なのでしょう

また、そういうことができる(しきたりとかのしばりがない)

時代に入っているのでしょう・・・

しきたり、風習、習俗、風土、そんなことを意識する

や集合体、家長の大家族はもはや

昔々の物語の話になりつつあるのです


今は、「自由」と言う名の

故人様に対する、個人の考え方なのです・・

そして、人はそれぞれの価値観を持ちながら

葬儀という最後の場面に立ちすくんでおります

「それぞれの思い」で・・・

実際には、「それぞれの思い」の後の行動は、自分がどうすればいいのか

葬儀の場面ではわからないものです、

葬儀社さんの仕事の中に、個人の想いを故人様に伝える「お手伝い」・・

いわばこころのヘルパー的な役割も重要なのです

例えば、お別れのメッセージのカードとかをそれとなく提示したり、

故人様の好きだったことなどを聞いてあげることとか、

ほんの少しだけこころの解放を

試みたりも出来るのです、

人はもうあえない人に、接すると「懺悔」のきもち・・・

「あのときああすればよかった、このときもこうすればよかった・・」

こんな気持ちにもなるものなのです

そんな気持ちになれるのも、愛すればこその、素直な自分なのです

「すべては、わかってくれていますよ」

「(辛さや、痛みのない世界へ行くために)、こんなに微笑んでいますね」

言い方は難しいのですが、言わなくても

柩の前で立ちすくむ家族の後ろで、小さくうなづくことでも

「許されたい」と思う気持ちが・・

「許され、救われた」と思えるように感じていくのではないでしょうか

葬儀社さんは人の心には入って行けませんが、

少しだけこころを動かすお手伝いは出来そうです・・






















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