葬送 なるほど 家族葬 八千代市の葬儀

一日/一生   「道順庵」のつれづれ草 水琴窟に癒されて

愛車遍歴

2020-03-14 11:31:39 | 作務衣はじめ 昔話


3万キロを超えたNBOXは故障もなく

日々の足に、荷車にと活躍をいたしております

古い話ですが私めの車の履歴で

最初に買ったのが

「トヨペット コロナ」でございます

今この名前で出て居たら販売に影響があるでしょうね

当時私の初任給が1万7千円でした、もちろん中古車で買ったのですが

買ったのは昭和43年ごろで7千円でしたね
(廃車手前ぐらいの代物で1962年車、走行距離は覚えてない)

しかも毎朝が「バッテリー上がり」でブースターケーブルが

無いと一日が始まらない状態・・・

当時はそんなことは「普通」にあることで

今日もエンジンが掛かんない・・・とつぶやきながら

走れるだけで「興奮」してしまうくらいに

車の価値があった時代です

ちなみにトヨペットとは、今のトヨタの当時の

乗用車に付けた冠名です、コロナは太陽の周りにできる

環のことです

当時のトヨペットは変速機が「3段」でもちろん手動でコラムチェンジ!!

ウィンカーがホーンリング(クラクションを鳴らすもの)を動かすという

当時のトヨペットクラウンと同じ構造でした

クラウンさえも3段でした

しかも変速機が「二重噛み合い」という癖を持ち合わせては

シフトリンケージが動かなくなりレバーが中立付近でロックされ

都度、ボンネットを開け、シフターを動かしてはロック解除をすることしばし・・・
(交差点の中で変速レバーを動かすと、よくロックしました)

当時はこの車の「癖」だからと納得?、もちろんクレームやリコールなんて

無かった?時代

当時日産車は同じコラムシフトでも「4段ギア」で二重噛み合いもなく

日産セドリックとクラウンと比較すれば「日産」の方が良かったかも・・・

この車は1年も乗らないうちにサヨナラしましたが

今のコロナも早いとこサヨナラしたいですね・・・

古い車はやっとこさ走るという状況でも

走るだけで、羨望の目でみられた時代です

「へ~・・車持ってんだ・・・!!」てな感じで

優越感が故障の難儀を乗り越えていた時代です・・・

            





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アイスキャンディ

2018-07-24 10:27:05 | 作務衣はじめ 昔話


ちりんちりん♪~

あっ

アイスキャンディ売りのおじさんだ・・

おじさんは

自転車の後ろに四角い冷蔵庫?みたいなものをのせ

「氷」とかの小旗をつけ

村の各地を回ります

皿と小銭を握り締め

おじさんを走って追いかけて

「ひとつちょうだい」

そして

家で食べようと

皿に載せたアイスを抱えて

走って帰り・・・

ほぼ、キャンディーの「棒しか残っていない」

暑さで解けてしまった

汁皿を舐めては

額の汗をぬぐいながら

アイスキャンディーは美味しいなぁ・・

月に一度位の

子供のころの贅沢でしたね



コンビ二で好きなだけ食べれるアイスも

糖尿のおかげで節銭?しておりますが

あのころの「愛す」キャンディーの

味とやらは

遠い昔にしかないのでありましょうか

それにしても・・

自転車と氷箱の冷蔵庫と小旗に

ちりんちりんの鐘は思い出すのに

なぜか、おじさんの「顔」だけは

思い出せない・・


冷蔵庫が我が家に入ったのは

それから10年近くも経ってからでしょうか・・・

         
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お葬儀セット

2017-10-25 15:43:29 | 作務衣はじめ 昔話


昔の「お葬儀セット」には

必ずこんな用紙がセットされておりました

押し入れの奥に閉まって置いたものです

へ~・・

「指差し」ですか・・

懐かしいですね

昔は自宅で葬儀でしたから

道案内のために

自宅まで右の指差し、左の指差しを

家名を入れて貼ったのです

昔ですから

糊でばっちり貼り付けると

剥がれなくなったり、長いこと貼りっぱなしに

なっていたり・・

そんな作業はお手伝いの働き手がしていたんです

それから「忌中紙」ですか・・

簾に貼っていましたね

これは玄関のところに掛けます

「お葬儀中」ということでしょう

懐かしいのは

「号車札」ですか

火葬場までの車列に張ります

そう・・「4号車」は抜かしましたね・・

マイクロバスも使わず車が10台も車列を作るなんぞは

普通だったので

何号車には「誰が乗るか」を書いた

乗車札までありました

と・・

いろんなことをお葬儀の時には

必要でしたから、働き手の方も必要だったのでしょう

簡素化の波は

そんな「働き手」が居なくなってきたせいも

あるのでしょう

このセットは

押し入れに閉まって」、10年も先に出してみれば

「誰も知らない謎の葬儀パック」になるやも

知れません・・

          



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仏様を扱う・・

2017-05-28 11:43:48 | 作務衣はじめ 昔話


葬儀社さんの仕事って?・・

昔は(また、昔の話で・・)仏様の仕事をすることは

多少尊敬された部分もあったと思いますね

もっと昔の時代は蔑まれていたようですが・・

仏様(死体)を扱うから

普通の人は「やらない」という立ち居地からでしょうか

そんな一目置かれた時代からは

今は

死体を扱うことは変わりませんが

直接の納棺等は更なるプロ(湯灌やさんとか)に委ねる

機会も増えてきました

これは、スタッフの人材不足の影響が大でしょうし

湯灌やメイクが認知されてきて要望も増えてきた証でしょう

何でもかんでも葬儀社さん一人が「全て」を行うには

時間的にも効率的にも「肉体的」にも負担が

多くなり時代と共に改善されてきたのです

そんなお陰で、いくらかでもお休みが取れたり、他の作業が

出来るようになったりしてきました

まぁ~これは

スタッフが居る場合でありますが

個人の経営者の方は

自分で動かないと誰も居ないわけですから

大変かも知れません


さて・・

葬儀社さんが変わってくれば

お客様も変わってきます・・・

という一面もありますけど

逆に

お客様が変わってきたから

葬儀社さんも変わらないといけなくなった

のも事実ですね

どちらがリードしてきたのかは別として



さて・・

これからの

葬儀社さんの仕事とは・・・

いったい何でありましょうか・・・ねぇ・・

       

     



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おかんの話

2017-05-10 15:29:15 | 作務衣はじめ 昔話


この業界に入った頃の話です

当時は(40年以上も前・・)

今のような布張り製の棺ではなく

合板の素材むき出しの棺とか

無垢材の松で出来た「板」材を

釘を打って組み立てる窓なしの棺も

ありました

一日の日課はそんな棺(おかんとも読んでました)

の組み立てで始まります

これがまた難しい・・

松材は節が多く、釘で脇や底板を固定すときに

釘が節のせいでまっすぐ刺さらず板からはみ出して

しまうのです

そして、「お棺」の中に防水紙を引き、その上に

ござを引いておわりという

極めてシンプルな「おかん」の完成であります

そんな時代ですから

自宅の綿の敷布団ごと納棺して火葬場でヒンシュクを買ったり

おかんなのに「あかん」なことありました

以外かも知れませんが

火葬炉の高温でも燃えにくいのは

綿布団や厚い辞書などだったのです


今の時代は燃えないものはお棺に入れることが

出来ませんが、当時は土葬の感覚が

残っていたのかも知れませんん・・・

     





















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旧い思いでは鼻から

2017-03-07 10:47:10 | 作務衣はじめ 昔話
CG(カーグラ)の話を昨日はしましたが

当時の

旧い思い出の1ページとして思い出しますのは

「船橋サーキット」があった時代

よく見に行っては

伝説の浮谷東次郎とか生沢徹とかのバトル(古~い・・笑)

を見ては興奮したのを覚えています

この船橋サーキットは船橋ヘルスセンターにあり

当時の若者の娯楽のメッカだったのであります

海の直ぐ傍で磯の香りと

「カストロール」のエンジンオイルの焼ける臭いが

サーキットに近づくにつれぷ~んと香り

アドレナリンがドクドクと涌いてくるのでした

サーキットの最高速は200キロ弱で今では

たいしたことありませんが当時は

もう、矢の如し・・の速さで

何ていったって、ホンダのS600やらトヨタのS800がバトル

という、絵に描いたような面白さでした


もう

「カストロール」のオイルを使う車も見ませんが

何年か前に

市販の旧いバイクが強烈なあの、焼けた臭いを撒き散らし

ながらの通過後に

ふと、50年以上も前の船橋サーキットが瞼に

浮かんだことは言うまでもありません


そうかぁ・・・香りも

写真と同じくらい旧い思い出のエッセンスになるのだ

ということでありました。

      

            



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復刻版にみる物語の始まり

2017-03-06 10:45:49 | 作務衣はじめ 昔話
復刻版の名前は

「CARグラフイック」であります

創刊55年を記念しての創刊号の復刻版は

「CG]4月号の別冊付録として書店に並んでおります

創刊号はメルセデスベンツの特集でしたね

創刊号時代から車に憧れ

殆ど毎月読みふけったものです

一車種を掘り下げて特集を組み

車に「物語」をふんだんに盛り込み

すばらしい写真を眺めては夢を見たものです

小林編集長の車に掛ける情熱と知見に感心しながら

巻末の「ミツワ自動車のポルシェ」の広告は

何より好きでしたね

この広告でポルシェを買った人も多いのでは

ないでしょうか

車を作る人たちも含めて

物語を作る・・・

う~むぅ・・あまりの懐かしさで本を買ってしまいました。


物語といえば

テレビで見る自宅までついていって人生の物語を聞く

番組がありますが

これを見ていると

どんな人でも「物語」が存在するということ

みんな苦労をしてきたことなどが

感じることができますし

一人にクローズアップされれば

その人は主人公であるということですね


いつも思うのは

お葬儀も亡くなった方が主人公なのに

もっとクローズアップしてあげて

物語を生きた証として壇上に上げてもいいのでは

ないのかな・・・ということです

亡くなった永六輔さんの書に

人は二度死ぬとありまして

一度目が死亡診断書を書かれたときで

二度目が死者を覚えている人が居なくなったとき

というのを読んで、まさしくその通りで

残された人が語り部として

物語を読めば、いつでも話の中に復刻するわけですね

法事は

言わば、復刻版の会でもありましょうか

物語の無い人生は無いはずですから・・・



復刻版を紐解いて、紅茶の香りでも嗜みながら

自分たちもその世界に入って行くことで

若いときを「無料で」旅することが

できるのです・・・








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字の難しさ

2017-01-15 10:12:51 | 作務衣はじめ 昔話
電話でのやりとりで難しいのは

漢字の説明です

これが難しいのは

伝える側と受け手の方双方にある程度の

漢字理解力が無いと説明に時間が掛かります

例えば昔は外によく出した「花環」の呼称ですら

花環と花輪の違いがあるように

間違いやすい思い込みとか

人名では特に「読み方」がいろいろですから

一文字ごとに例を出しながら確認するわけです

例えば「渡辺」さんと言う字

同じ「ワタナベ」さんでも渡邊さんやら渡邉さんとか難しいのもあり

この字はさらに何種類もありますから

口頭で説明するのは大変ですね

もっと大変なのは

「変体かな」の説明・・

これは、元の漢字を知らないと

その字の「変体かな」であることが説明つかないでしょうし

電話のやり取りではもう・・わかりません・・

そんな時代の中でも

花環を扱っていた業者さんはすごかったですね

難しい字があっても

こちらから読み方だけ伝えると

こちらのレベルに合わせた「文字のつくり」を解説しながら

復唱してくれます

「あっ、そうそうその字です」と

なるのですから

たいした能力のある人だと感心したものです

みなさんも同僚同士で難しい漢字の電話の伝え方なんぞ

やってみれば

漢字の伝え方って難しいことや

漢字の成立ちについて理解が深まるのではないでしょうか・・

そして、それは

弔電を読むときに役に立つかも知れません

                











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昔の話

2017-01-14 10:30:07 | 作務衣はじめ 昔話


昔のお話です

昔はメールとかFAXとか自宅に無いのが

普通でしたから

葬儀の依頼とか、生花の注文は全てが

電話での受け答えになります


そんなときに間違えやすいのが

「葬儀用語」の使い方でしょうか

例えば「出棺」は何時にしますか?

お葬儀を知らない方には「出棺」の時間を聞いても

理解がしにくいでしょうし

生花の注文も

「いっつい」でよろしいでしょうか・・?

「一対」とは、平たく言えば「2基」ということですが

初めての人には「いっつい」ってなに?・・となります

文字で書けばわかりやすい事も電話では

意味がわからなくなりがちです

「納棺は何時に・・」

聞き方で「NO棺は・・・」てなもんで

葬儀を日常とする葬儀社さんの何気ない一言も

非日常のお家の方にとっては、「ん?」となります

当時の葬儀社さんは

「如何に分かりやすく」説明するかが

トラブルを防ぐ要素でもありました

例えば

葬儀の時間を尋ねられて「午後の2時です」は

誤りで

正解は「2時から3時迄で、ご出棺が3時になります」と

言わなければ、間違ってしまう場合もあり

電話での受け答えは、慎重さが求められておりました

なにしろ

電話はなにも残りませんから、後で「言った、言わない」のトラブルの元にも

なりかねませんでしたから・・・

もっと難しいのは生花等の名義の受注でしょうか・・・

この辺のことは続きは次回に・・

        





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10Aの世界

2015-10-02 17:33:55 | 作務衣はじめ 昔話


私が経験した中で

一番電力の使用が少ないお家が

「10アンペア」のブレーカーの方が

おられました

しかも・・ガイシ製で糸ヒューズと言う年代もの

でした・・

当然ながら自宅でのお葬儀には容量が足りません

祭壇の灯りから、提灯の灯りに受付のテントの照明・・

もちろんこんなときは「発電機」のお出ましです


今、考えてみますと、たぶん「10A]の容量で暮らす

家庭はとても少ないのではないでしょうか

いくら、省電力タイプの家電類でも

その使用数が圧倒的に違うでしょうし

エアコンの無いお家はほとんど無いでしょうから


そんな昔(30数年前)の事を思い出したら

いつの間にか、なんて人は電気を使う生活に

慣れ親しんできたかがわかります

便利なことになれて、不便さや、有難さが

忘れがちになります

原発云々などと自分でも言ってはみても

我が家のブレーカーに書いてある数字は・・・

でも・・

一段下のものに変更なんて

出来そうで・・出来ない・・・

便利な恩恵とやらは

戻れない矢印がついているのでしょう・・

           

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へ~イ・・、家紋・・

2015-04-19 17:21:22 | 作務衣はじめ 昔話


葬儀の場面でこれまたとんと見なくなったものの一つに

「家紋」があります

お家の家紋は何でしょうか?・・・

「あれ・・何だっけ?」という会話は

至極当然な話であります

それだけ「現実的に必要としていない」だけの家紋を

葬儀に使っていたのですね

家紋をつけますと

やはり「かっこよく、豪華に」見えますし・・

その昔、戦で使っていたような家紋を

使うようになったのは「家」を象徴する

紋所ということでしょうか

葬儀の場合

「喪服」や「葬儀の看板の頭」、「会葬礼状の中」に

「水引幕」に「提灯」・・・

ん?・・

そうか・・

考えてみたら「提灯」が使わなくなっていますね

自宅葬では「ここがお葬儀の場所です」とばかりに

家の門柱あたりに家紋付の提灯が通夜の道標と

なっていたのです

それが式場葬になり

だんだんと必要性が失われてきたのでしょう・・

さらにはコストの問題ですね

提灯は専門の提灯屋さんが作っておりました

家紋などはなんと手書きの時代もあったのです



しかし時代のながれは

低価格化と家族葬主体ですから

「家紋」が無くてもちっとも困らない・・

もともと自分のお家の家紋も分からない

そんなこんなで

提灯の明かりを消していったのです

さて、困ったのは

提灯屋さん(看板屋さん)と葬儀社さん

高額施行の錦の旗印の象徴のような

「立派な家紋付き提灯」がなくなれば・・

う~むぅ・・

どうりで・・

業界の

見通しが暗くなったは提灯のせい?・・

                

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達成感の達成は

2014-12-27 16:50:22 | 作務衣はじめ 昔話


大きな葬儀とか、気難しい家族の方の葬儀

リクエストの多い葬儀

こんな葬儀の終わった後の「達成感」はひとしおで

あります

大きな葬儀の場合、スタッフ皆さんの協力がなければ

うまくいきません

無事、終えたときの達成感はなおさら強いのです

それは

社員さんの共通の目標が一緒だからでしょうか

たいへんな思いが共有していますから

達成感が倍増するのです


会社がうまくいかなかったり、まとまりが悪かったりするのは

「共通の目指すもの」がないからかも知れません

小規模の葬儀が多くなれば

同僚との協力も少なくなり

個のチカラで何でも済んでしまえば

協力して一つの仕事をするということが

少なく、個のチカラで成り立つような形になりがち

です

そうなると、会社の中に「個人商店」が並んでしまい

ますます、共有する価値観が失してしまいそうですなぁ・・・


20年ほど前までは

仕事をネタにみんなで飲んだり食べたり

あるいは、仕事のことであ~でもない、こうでもない・・と

「如何に、良くあるべき葬儀とは」について論じたものです

だから

仕事を終えたときの達成感はうれしかったのであります

当時は休みもなく働いていた時代

良くも悪くも「仕事人間」の集まりでしたから

その仕事の中で得られた達成感とやらは

なんとも言えませんでした。

うれしいのでありますから

終われば、反省会と称する「飲み会」が待ちうけ

これまた仕事の話で盛り上がり、美味しいお酒となるわけです


達成感の達成には

どうやら仲間のスタッフが共有する何かがあったようです


仕事が楽しかった・・・という時代の話ですが・・

               


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長いお付き合い

2014-08-29 16:04:06 | 作務衣はじめ 昔話


さて、私には長いお友達でありますところの

「糖尿病くん」が離れることもなく

付き纏っては、喜怒哀楽を共にしています

この糖尿病君「略してT君」は

もう付き合って15年くらいになるでしょうか

さいきんは悪さを覚え

いろんな不具合なことをしては

私を悩ませるのです

そのたび、私は他の応援を得るべく

「運動」「食事」を仲間に引き入れたり

「各種サプリ」に特効を期待したり

東に「これが利く」と聞けば試したり

西に「これで私は血糖値が下がった」と聞けば

本屋にダッシュしては

働きの殆どをT君の悪さをなだめるために

費やしてきたのです

定期の診断で

数値の上下は株価以上に気にをし

都度

う~むぅ・・・と

うなだれじいさんになります

ナニをやっても離れないT君と

おさらばしたい私は

ふと、自分がしている生活が

「間違っていた」ことに気がついたのであります

それは

夜の食事が遅いこと

その後直ぐ寝てしまうこと

それが強いては朝の高血糖の表れとして

数値(自己血糖診断器)で確認できたのであります

(ちょっと遅すぎた発見ではありますが)

以後

なるべく食事を早めて、食後の運動をして

から、風呂に入ることにして

朝の血糖値を毎朝計測するようになりました

しつこく付き纏うT君は

離れてはくれませんが

悪さが少しでも収まれば

まぁ~

なが~い付き合いですから

一病息災・これも健康のうち・・と

むしろ

親しみを込めてT君に感謝をしなくては・・?

と思っております

なにしろ

いろんな挑戦をわたしにさせてくれるのですから・・

善い奴かも・・

           

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薬草

2014-06-14 13:39:34 | 作務衣はじめ 昔話


普通のどくだみと

      

八重のどくだみの花です

道順庵のあちこちで見かけます


どくだみは薬草として古来より使われております

子供のころの私は

傷が出来れば蓬の葉を揉んで付たり

自然にあるもので

なんとかなったものです

薬はあったのですが

よほどでないと使わない

富山の「置き薬」で

薬売りの人が来ては

紙風船をいただいたものです

目にゴミが入ればおふくろが汗が染み込む手ぬぐいで

つばをつけて取ってくれたものです

子供のころは生傷は当たり前の毎日

自然の野山で探検ごっこですかね

ですから

どくだみなんかの独特の匂いなんぞ嗅げば

自然はいいなぁ~

となるのです

子供のころの嗅いだ匂いは

大人になっても

どこか懐かしいどくだみの葉



そして、いつしか文明の波にのまれては

野山から都会へ進み

身体壊せばドラックストアで

最新式の薬を手に入れるのです

野山で生活しているときが

野山のどくだみが効くのでしょうか・・・

それとも

都会の生活が

身体に「どくだみ」なのでありましょうか・・・

            




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愛すきゃんでぃ・・

2014-06-02 16:09:36 | 作務衣はじめ 昔話



田舎育ちの私が子供のころ

ちりんちりんとベルを鳴らして来るのは

「愛すキャンディ売り」のおじさんでした

手のひらに握り締めたコインをもって

坂道をダッシュ・・・

「おじさん一本ちょうだい」

自転車の荷台の木箱は愛すボックスであります

小さな蓋を開けて取り出した愛すばーは

家に帰って食べたいために

皿にのせては

再びダッシュ・・・



そう・・・

家の前では、半分解けた「元、愛す」の液が溜まり

それをじゅるると飲み干しては

残りの愛すキャンディを貪るのでありました

なんで

食べながら帰らなかったのか

今ではわかりません

ちりん・・ちりん・・

「氷」の小さな幟と麦藁帽子

昔の夏の思いでは

「愛すきゃんでぃ」

そんなことを思い出しながら

冷蔵庫のアズキバーを頬張れば

あのころの

愛すきゃんでぃの価値のあったこと・・・

お金も無く

冷蔵庫も無く

でも・・

何かがもっとあったような時代でした・・

               
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