日本人の特質として
何事も「普通であること」が無難な選択という認識が
長いこと続いたようです
葬儀の世界でも
「みんなはどれを選んでいますか?」とか
「中間の価格帯は?」とか
「それって、恥ずかしくないですか?」とか・・
世間体とか、平均的なこととかの選択が多かったのです
中庸の美徳なのか、ことなかれ的な判断なのか
皆がやっていればそれで良いんじゃない?・・
無難なことが最善という認識・・が間違いのない最良の方法でした
しかし・・ものの価値観の変化は
普通ではなくても
「自分たちの希望」はこうしたい・・という
今までの考えからは180度の変節をみたのであります
周りを気にせず、見栄も張らず、費用もそこそこ(底底?)で・・
結果はこんな例も・・
お寺さん?・・要らない!!
祭壇?・・・・要らない
戒名?・・・・なにそれ!
料理?・・・・買ってくるからいい!
返礼品?・・・どうせ誰も来ないから要らない!
通夜?・・・・忙しいから告別式だけにして!等々・・
う~むぅ・・
もはや、全ての基準は自分たちの「主観」で決めます
それは・・ある意味、昔の時代の価値観が終焉を告げているということでも
あるのでしょう・・
でもねぇ・・(笑)
ちょっとだけでも良いですから
周りを今一度眺めて、本当に良いのか・・くらいでいいですから・・
周りの人たちに対する配慮ということで一考いただいたり
お寺さんに供養をしてもらうことの意義とか
先祖はどうしていたのかとか
ご近所にはとか・・
事前のこととして
周りの方のことも
客観的に判断をしてから
自分たちの希望をかなえて欲しいと願うのであります
その結果であれば
お決めになるご家族様の意見を尊重するのは至極当然な
ことでございます
どうか・・生きてきたことが軽くなりませんように・・・
補足ながら、こんな方もおられました
故人様が、生前に
「誰も呼ばなくていいから」
「火葬だけでいいから」
そんなことを言っていたようですが
実際の葬儀のときに喪主様は
「そうは言っても、そんなわけにはいかないでしょう」
故人様の意思の中には
残された人への配慮のあまり言っていたことと
喪主様は理解をしていたようです
そして
家族葬ではありましたが親しい方数人を招いての
葬儀を執り行いました
悔いが残らない葬儀とは
故人様の意思を汲み取りながら
それでも
残された方が一番良いと思われる判断をすることなのでは
ないでしょうか・・・・
「きっとこれで故人も喜んでいるに違いない」と・・
故人を想う心とは
本心を見極める思慮深い思いがあるからでしょう・・・