マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

元気なお方を訪ねてインタビュー

2013年04月04日 | 東京散歩

 さる1月23日に、都高教退職者会幹事として、80歳にしてますますお元気な会員拝田さんにインタビューさせて頂きました。以下はその時の様子を「都高教退教ニュース」に投降したものです。長文になりますが、80歳でこんなにお元気に活躍されている方がいることを知って頂ければと思います。

 『65歳以上の高齢者人口が 2900万人を超え、総人口に占める割合が23.1%となりました。日本は高齢化時代です。我が都高教退職者会のメンバーには80歳を超えてもお元気に活躍されている方が沢山いらっしゃいます。その元気の秘密を探ろうと、事務局長・寺井さんと幹事・川口の二人で“特別取材班”を結成。今後数回にわたってインタビューを実施し、その姿をお伝えしようという事になりました。これは第1回・拝田明さんインタビューのレポートです。

 拝田さんは、1933年生まれの80歳。池袋東口「椿屋珈琲店」に現れた拝田さんは、80歳とは思えない快活な雰囲気の、血色の良きお顔と白髪の見事なお方でした。
 早速「お元気な秘密は何ですか」とお聞きすると、「いや、私は特別何もしていませんよ」とのお答え。シャイで、蘊蓄を傾ける方ではないようです。時間をかけてじっくりお話を聞いて、元気の源を探ることに方向転換しました。
 生まれは大阪市。吹田市を経て、小学時代に、父上の転勤に伴い川崎市に転居。東京教育大学農学部を卒業後、八丈高校に理科(化学)の教員として赴任。以来中野工業(定)・荒川商業・京橋高校勤務を経て、墨田川高校で定年。3年間の再雇用(墨田川堤校舎)を経て退職。組合の役職としては、本部委員を2回、荒川商業時代には5支部担当執行委員を勤め、本部委員会議長も歴任。その頃に、組合主催のスキー教室で知り合った事務の方とご結婚。
 30数年間勤めた教員時代の印象を語って頂くと「組合も強く、学校で何か問題が起こると、飲みながら皆で良く相談するなど、職場の雰囲気は牧歌的で、良き時代に教員を勤めました」との羨ましいお言葉。
 定年後、特に拝田さんの特質が発揮された様です。一度は海外で働いてみようとのお気持ちから、日本語教師ならばチャンスありと考えて、再雇用は3年間で辞めます。ドイツに留学しドイツ語中級の資格を取得。アメリカの大学にも留学の後、津田塾で日本語教師養成講座を受け始めます。日本語教師の資格を取り、海外派遣に備えていたところ、1999年にウズベキスタンから派遣の打診を受けます。隣国キルギスで日本人4人が誘拐される事件が発生し、派遣が決まっていた方が家族の大反対にあい、辞退されたが故に拝田さんにお鉢が回ってきました。逆に、拝田家ではご家族から“行って来い”と後押しされます。彼はのほほんとウズベキスタンへ赴き、タシュケン国立経済大学で日本語を教えることとなり、長年持ち続けた夢を叶えたのでした。
 その次に赴いたのがハノイ。ヴェトナムで、日本の看護学校に受験する女子学生の指導に当たられました。教えたのは数学と化学。
 現在は、地元の「寺小屋」で算数・数学を教える一方、草加市の市民ボランティアとして、インドネシア技能実習生に日本語を教えています。「都立高校在職中に数学の免許も取りました」との事。なんと理科(化学)・農業・数学の免許をお持ちです。英語は準1級で、ミステリーなどを原書で読むそうで、その英語力も推測出来ます。
 ウズベキスタンでは週に1回はオペラ鑑賞に通いその素晴らしさを知り、帰国後は「オペラ塾」での合唱も楽しむ悠々自適な日々。
 お話を聞いて、お元気な秘密がわかりました。生き方が前向きで、ご自分の夢に向けて意欲的なチャレンジを続けて来られたのです。長生きには運も左右しますが、積極的な姿勢に伴うものと、つくづく知らされました。「75歳までは何でもやって下さい」と語られる言葉に説得力があり、こちらが励まされ、元気づけられるインタビューでした。』