マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

拾ヶ堰と梓川

2019年12月05日 | 信濃紀行

 又、拾ヶ堰に触れる。
 中央アルプスの一つ茶臼岳を水源とする奈良井川は50Kmほど北へ流れ、安曇野で梓川と合流し犀川と名を変え、犀川は川中島の先で千曲川に注ぐ。更に新潟県に入っては千曲川は信濃川と名を改め日本海に注ぎ、300Kmを超える長い長い旅を終える。
 拾ヶ堰はその奈良井川から取水する。その取水口は奈良井川と梓川の合流地点より上流にある。取水された水は西の山側へと進むことになり当然梓川と交差する。江戸時代に造られた拾ヶ堰は一体どうやって梓川を横断したのだろう、どのような造作が施されていたのだろうとういのがこの間ずうっと抱いてきた疑問である。この疑問は来年春に現地に出かけ、拾ヶ堰が梓川の地下を逆サイホンで潜るのを実際に見たとしても解けない疑問に思える。
 上の疑問をネットで調べてみた。「信州の農業遺産 拾ヶ堰」というサイトを読んで納得する答え見いだした。
 「梓川は河原が大変広かったのですが、下流側に土手を築き、梓川の水が流れる部分は牛枠(うしわく)と呼ばれる道具などで堰き止めることで、拾ヶ堰の水を横断させました。しかし大雨などで増水すると決壊してしまうため、何度も補修工事を行ったとのことです」とあった。梓川に牛枠を設置することにより拾ヶ堰の水は梓川を横断したのであった。



 一方「安曇野水土記」にも交差する2つの川の概念図が描かれ牛枠の図が紹介されていた。(下が牛枠の図)








 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。