マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

夢と消えた大相撲巴戦

2011年09月26日 | スポーツ

 60年来の大相撲ファンです。大相撲観戦で興奮する場面は多々ありますが、その一つが優勝決定戦の巴戦です。優勝決定戦の巴戦は実に面白い。巴戦は千秋楽の結びの一番を終えた時点で、勝ち星数の最多の力士が3人いる場合の優勝決定戦の方式です。
 優勝決定のルールは「2連勝した力士が優勝」です。

 昨日の、三役揃い踏み以降の取り組みで、11勝3敗の稀勢里は豪栄道に勝ち12勝3敗。大関昇進を確実にした12勝2敗の琴奨菊は把瑠都に敗れて12勝3敗。最後の一番で12勝2敗の横綱白鵬がもし日馬富士に敗れれば同じく12勝3敗。12勝3敗力士が3名となり優勝決定戦の巴戦が観られる事になるのでしたが、残念ながらそうはならず、結びの一番、白鵬が勝って20回目の優勝を遂げて秋場所の幕を閉じたのでした。
 
 平成に入り、この巴戦が行われたのは4回ありました。
 最新の順に時系列で並べると(優勝者は☆)
 平成8年九州場所   曙 武蔵丸(☆) 貴ノ浪
 平成6年春場所    曙(☆)  貴ノ浪 貴闘力
 平成5年名古屋場所 曙(☆) 貴ノ花 若ノ花 
 平成2年春場所    北勝海(☆) 小錦 霧島

 巴戦は平成8年を最後の実現していませんから、もし昨日実現していたら13年振りの”快挙”でした。最後の一番で日馬富士に大声援が飛んだのも、優勝を白鵬以外にという思いだけでなく、優勝決定戦を、取り分け巴戦を熱望したが故だと思います。

 上記4つの巴戦で忘れ難いのは平成2年春場所です。贔屓力士霧島が登場しただけがその理由ではありません。学年旅行の宿泊先の、奥湯河原青巒荘でのテレビ観戦であった事も理由の一つです。更に次の様な事を感じたのです。
 取り組みは次の様に推移して行きました。(〇が勝ち ●が負け)
 (1)小錦〇  北勝海●
 (2)霧島〇  小錦●
 (3)北勝海〇 霧島●
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 (4)北勝海〇 小錦●
 以上の結果北勝海が優勝しました。今では巴戦のルールを知っていますから、北勝海が優勝したことに何の疑問も持ちませんが、その時は、私は何かオカシイと思いました。(4)戦まで終えてこれにて巴戦終了となったとき、カメラは土俵下にいた霧島の怪訝な表情を捉えていました。私のオカシイとの思いと、霧島の怪訝な思いが一致していたかどうかはわかりませんが、私は(1)~(3)が終わった状態で、全員が1勝1敗。だからそこまでの成績は全て消えて(=チャラ)となって、また初めからやり直しと思ったのでした。これは違いました。巴戦のルールは2連勝したものが優勝と決められている事を初めて知ったのです。だから(3)(4)戦に連勝した北勝海が優勝です。

 巴戦は理論上は無限に取り組みが続いていく可能性があります。無限はありえないにしても10数番取り組みが続いてもおかしくはないのです。となれば、場所前に各部屋で行われているぶつかり稽古を本場所で観られることになるかも知れません。そうなる事への期待感もあります。
 テレビ放送で2連勝した力士が優勝と聞いて、それでは、最後に登場する力士は不利。その場所で言えば霧島は不利、不公平だと思い、学年旅行中、3人の優勝の確率を考え続けました。
 ここでは途中の計算式は略し結果のみ書きます。どの対戦相手との勝つ確率も1/2として計算すると、最初に登場する2力士の優勝確率は5/14、最後の登場する力士の優勝確率は4/14で、優勝比率は、登場順に5:5:4となり、明らかに最後に登場する力士が不利です。
 さて昨日で立行司35代木村庄之助が引退しました。49余年の土俵生活を終えました。永いお勤め御苦労様でした。


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